痛みに比例する愛しさ *奏嘉
あの夜出会った『あやめ』と名乗った少女は、ただただ可笑しな程に自分にとって愛おしく、美しかった。
『貴女のどんな姿さえきっと、自分は愛せるのだろう』
柄にもないそんな甘言を、吐き出せそうな程に。
そんな浅はかな錯覚を、覚えてしまう程に。
幾重にも重なった花弁の奥、微かに見え隠れするその憂いさえ、儚げで美しく。
―――――――男を捕えるのには、十分過ぎた。
比喩の多い、他人からすれば理解されないであろう少女と交わす淡い言葉の数々が、ひどく心地良かった。
こんなにも、男にとって有意義と感じた時間があっただろうか。
勿論今まで、女性経験が皆無であったわけではない。
けれど、その少女は今まで出会ってきた女性像のどれにも当てはまらなかった。
一つ一つの言葉が、男を捕えていく。
それでいて、夜の蝶の様に近づこうと厭に媚びる様子は、欠片も無いのだ。
無自覚なそれが、尚深く男に棘を立てていく。
歯痒さが男の身を焼き、恋しさが胸を締め付け、呼吸をも儘ならなくする。
少女に出会ってから幾度となく、男は数え切れない程に耳障りの良い会話を少女と交わし続けた。
時折見せる花の様な微笑みは、男の思考を麻痺させていき、棘を食い込ませていく。
*******
――――――――その日、男は決意していた。
(馬鹿らしいと、笑ってくれても良い)
いっそ少女が振ってくれさえすれば、この絶え間ないもどかしさや切なさも消えるのだ。
男は理解していた。
あの少女に、自身が恋をしている事を。
否、分かっていなかったとしても、異常な程にあの少女を欲している事は自分でも理解していた筈だった。
書き物を職とする自分は稼ぎも安定せず、勿論実家も立派ではない。
書生の端くれに、貴女に出来る事は無いのかもしれない。
(それでも、)
自分だけでは止められないと理解していたから、
終わりを告げて貰おうと、救いを求めたのだ。
『貴女を、愛してしまった』
そう、自己満足でも良いから伝えようと、男は一人宵星を訪れた。
遠くに見えた夢は消し去ることは出来なかったが、それすら振り払ってくれるのだろうと、青年は見慣れたその扉を叩いた。
――――――――――――――しかし、マスターの唇から紡がれた言葉に、青年の思考は真っ白になった。
それは酷く、男にとって現実味のない言葉だった。
『あやめは一昨日の朝、死にました』
「…どうして……」
弱々しくも聞こえるその声は、如何にも男らしくない声音。
『あの様子じゃ、どっかの金持ちに身請けされたんじゃないか』
―――男の中で、何かが壊れていく音がした。
あの花を手折った誰かの指先を、見も知らぬ男を。
暗い思考が、男の筆を鈍らせていった。
(もう、何も)
何も、浮かばない。
何度思考を巡らせても、焼け付いた少女の面影が、男の心を絡めとる。
触れることさえ出来なかった、あの花を。
(わかっていた、筈だった)
手折ったのは、自分には到底持ち得ないものを、背負った男なのだろう。




