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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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ダリィヤの君 *矢玉

「ピアノの教室はどうかしら?」

 弥生夫人に、働きたい旨を伝えるとあっさり了承された挙句にそんな事を言われ、紫子は面食らった。

 それがいいわ、そうしましょう、などとうきうきと話されるのを制止して、紫子は言う。

「そんな、私の腕ではとても人様にお教えできる程のものでは・・・・・・」

「あら、女学校の先生からお聞きしていてよ?紫子さんのピアノとお琴の腕前」

 悪戯っぽく微笑まれ、思わず赤面する。

「お琴でもいいけれど、お琴を教えてくださる人はたくさんいますしね。ピアノや西洋音楽を習いたいってお嬢さん、結構多いのよ。だけど教えていただける場所が限られているんですって。紫子さんならうってけだわ」

 にこにこと笑われ、紫子は口を噤む。反論を頭の中で組み立てようとするが、あまりうまくいかない。

「そうそう、私のお知り合いにね。嫁いだ娘さんの使っていたピアノがあるっていう方がいたわ。娘さんには新しいものを花嫁道具として持たせたし、ピアノって長く弾く人がいないと傷んでしまうんでしょう?誰か引き取り手を捜していたのよ。早速連絡をとってみますね」

「あの!そこまでしていただくわけには・・・・・・!!」

「あら、それぐらい甘えてくださいな。私たちは家族になるんですもの」

 私も紫子さんのピアノ、聞きたいわ。そんな事を言われては、紫子は何も言えなかった。


***


「おーい、遅いぞ!伊織!!」

 二階建ての長屋から顔を出し手を振ってきた青年に、応えるように伊織は腕を振った。

 下宿屋の女将さんに一声かけ、狭い階段を這うように上がる。その先の狭い六畳の部屋には五、六人の青年が思い思いの格好で寛いでいた。

「はは、若様のおなりだ」

「若様はよしてっていっているのに。君こそ作家先生だろ?そっちの方が羨ましいよ」

 違いない、と同意する周りの笑い声が高く響く。ここに集まっているのは伊織の文学クラブの仲間だった。月に何度か会合を開きお互い切磋琢磨する、というのが建前だがようは同じような趣味の人間が集まり、わいわいやっているというほうが真相だ。まぁ、その話のうちで思わぬ発想が浮かぶことも多々あるのだが。

「これ、軽井沢土産だよ。はい」

 現われたビスケットのつやつやとした缶におお、とどよめきが走る。

「さすが若様は違うなぁ、前も京都に行ったと思ったら次は軽井沢ぁ?羨ましいね、それで何か着想は得られたのかい?」

「うん、中々興味深いことがあったよ。今度の主人公は絵描きにしようと思うんだ」

 伊織の言葉にかぶせるように、吐き捨てるように上げられる声。

「若様は気楽でいいよな」

 平塚、と諌める声にも耳を貸さず顔を歪める青年は、伊織を睨みつける様に言った。もともと険のある顔立ちがますます剣呑さをかもし出す。

「どうせ物書きなんてお遊びでやってるんだろう?こっちは明日の原稿料でくってけるかひやひやしてんのに」

 さすがに顔をしかめた伊織が口を開く前に、まぁまぁと仲間の一人が割って入り伊織を窓辺へと移動させ、二人の距離を開けた。そしてこっそり伊織に耳打ちする。

「最近、書けないみたいなんだよ。平塚」

 それに今度は驚きで伊織は眼を見張った。

 平塚次郎はこの文芸クラブの一番の出世株だ。まだほそぼそと小説を書き同人雑誌を作り、出版社へと日々持ちみを続ける仲間が大半だった頃に、いち早く出版へとこぎつけた。そして今もいくつかの出版社で連載を抱えている身である。その後続くように何人かは作家として活動しだしたが、それでも平塚にまさるものはいない。

 とにかく筆が早く、前日没になった原稿を一晩で書き直したなんて逸話もあるほどだ。

「どこか具合でも悪いの?」

「それがな・・・・・・どうやら、その女の、問題らしい」

「あの硬派な平塚が?!」

 思わず上げた大声に、しーっと指を立てられ慌てて口を噤む。周りを見渡すと、すでに平塚の姿は見えない。どうやら帰ってしまったらしい。それを見た青年も、普通の声で話し出す。

「もちろんあの平塚だから、どこかの女郎に入れあげて、何てわけじゃないんだがな。ほら『宵星』ってカフェがあるだろ?」

「ああ、知ってはいるよ行った事は無いけど」

 なかったのかと呆れられ、首をすくめる。

 ああいう場が芸術の場や文芸サロンという一面があるのは知っているが、いわゆる『悪所』には違いない。何となく敷居が高い気がして今までどの誘いも断っていた。

「『宵星』は結構マスターも博識で、こう何というか特に趣味のいい店って感じでな。派手派手しくはないが、通ってくる客も趣味人から俺たちみたいなのやら芸術家やらで。女給達も安っぽい色気のある馬鹿な女じゃなく、頭のいい娘がそろってるんだ」

 今度連れてってやるよという誘いには曖昧に微笑み、先をうながす。

「その中でも際立って頭のいい子がいて・・・・・・名前はなんと言ったかな。うーん、平塚は『ダリィヤの君』何て呼んでたんだが・・・・・・まぁ、とにかく博識でずばぬけて頭もよくて、こう何というかこっちが舌を巻くような切り替えしをしてきてそれが面白くてなぁ。けどどこかつんとして謎めいていて。男に物をねだるみたいな真似も一切しなくて、何と言うか女給としては変った子だったよ。

 けど、その子が――――――三月前に、突然死んじまったらしい」

「え・・・・・・?」

「前日まで普通に店に出てたんだぜ?けど宵星のマスターに尋ねても死んだ、の一点張りで。じゃあ墓はどこかとか、身元はとか尋ねてもだんまり。だからこっちも色々疑ってきちまって、もしかしたら死んだんじゃなくて、どこかの妾にでも入ったんじゃないかって噂まで流れて・・・・・・それを聞いてから、平塚、おかしくなっちまった」

 厭味でいうんじゃないんだが、と青年は伊織に向かって微笑む。

「俺らは貧乏人の集まりだろ?だからもし意中の相手がいても、その子がましてや金に困ってたとしてもどうしてやることもできない。だから、お前にやつあたりしてるんだ。堪忍してやってくれよ」

 若様、などと囃子たてられるとおりこの中では華族の家柄の人間など伊織一人っきりだ。みな、地方からその才覚を認められて本当の『書生』をしている人間が多い。

 それでも今までからかい以上の意味をもってそのように此処で言われたことはなかった。

「その子、お金に困っていたんだ?」

「うん?そうらしい。自分の事をそんなに話すような娘じゃなかったから詳しくはわからないが、病人が身内にいて仕送りしてるんだと。だから、な。その病人ごと面倒を見るというお大尽もいたんだが、あの娘は困ったように笑うばっかりで」

 その微笑みを思い出すように天井を仰ぐ。染みの浮いた、古びた板。

「“そんな不誠実な真似はできない”って言ってた。そういう商売だろうに、そういう潔癖なところが何とも可愛くてな。結構、好きだった奴多いんじゃないかな」

 そう笑う様子では、この男もまんざらではなかったらしい。伊織はぼんやりと、立ち去った平塚の事を考えた。

◆『ダリィヤ』は『ダリア』の花です。八重の花弁の西洋の花。赤い色が綺麗です。明治っぽさを出すために『ダリィヤ』表記にしました。

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