あやめに菖蒲に杜若 *矢玉
矢玉のターンです。これから交互に書いていきます。
どこまでも青い空に、爽やかな初夏の風が薫るように木々をざわめかす。
テラスから直接庭へと降り立った二人は、そのまま小路へと歩を進めた。上等な絨毯のような若葉の芝生がさくりさくりと音を立てる。
雪のような小手鞠のアーチをくぐり、花盛りの躑躅と薔薇の垣根を通りすぎる。花から花へと忙しく飛び交う蝶や蜂が賑やかに初夏を満喫している。
その奥には深緑の松がどっしりと枝を伸ばし、柳が風をうけゆらりゆらりと揺れていた。
庭園は日本庭園を西洋風に作り代えたような、節が幾つか見受けられた。
それも仕方ないだろう。人の手で作り、すぐに建て替えられる家屋敷とは違い、木々は生き物。何年も手をかけ、育てあげ景観へと作り上げるのだから。
しかし、庭師が丹精込めて世話をしているのだろう。青年の言葉に偽りはなく、子爵家の庭は見事なものだった。
和洋を折衷した当世風の華やかな庭。
しかし、その根本はこの国の面影を色濃く残している。
「この先には、池があります。今は花菖蒲が見頃ですわ」
無言で歩を進めていた少女が口を開き、青年はすこしばかり驚きに眉を上げた。
「花菖蒲、ですか。生憎花には詳しく無くて。無聊振りに呆れられてしまでしょうが」
「殿方は、皆様お花の区別など出来ないのではありませか?説明するより、ご案内差し上げたほうが良いでしょう・・・・・・ああ、見えて来ました」
初夏の眩しい光を受けて煌めく水面から、幾つも鶴の首のような蕾を伸ばした花が咲いていた。
剣のように鋭い葉をもち、包みをあけた布地にも似た紫の花。
「・・・・・・これが、花菖蒲ですか?美しいですね」
「ありがとうございます」
目を伏せた顔に、あの日の面影が重なる。
「不勉強で申し訳ないが、この花には別の名前があるのではないですか―――あやめ、という」
ごう、と音を立てて一陣の風が湖畔を波打たせ吹き抜ける。少女の髪とレェスを揺らすのに気を取られていると、気付けば帽子が吹き飛ばされていた。
足元に落ちたそれを、少女は優雅に膝を降り救い上げるように拾う。
「殿方は、本当に花の区別がつかないのですね。菖蒲もあやめも杜若も、似てはいても違う花ですわ」
そっと差し出された軍帽を受け取ろうと伸ばした手は、気付けば少女の細い手首を掴んでいた。
「そうでしょうか、自分は見たのです。あやめという花の名をもつ、貴女によく似た人を」
見開かれた飴色の眼は、何の感情も込めずに微笑へと代わる。
「どなたかと、お間違えでしょう。わたくしが帝都へと参ったのは先日です。それまでは父方の祖母の所におりましたので」
「父上の?」
「ええ、少し体を弱くされていて。わたくしがお世話を」
そっと、だが絶妙な頃合いで手袋に包まれた手から自分の手を取り返し、紫子は微笑んだ。
「本当は、この東郷さまとのお話は姉が受けるはずだったのですわ」
ですが、と少女の色づいた唇が動く。
「姉が、みまかりわたくしにお鉢が回ってきたのです。そのような有り様ですから東郷さまが御不満に思われるのも当然です」
わたくしが御不満でしたらお断りはそちらから―――凍った眼をして、少女はそう囁いた。
***
「叔父上、今日お逢いした逢崎のご令嬢はお二人目のお嬢様なのですか?」
帰りの馬車の中、唐突に口を開いた甥に若干瞠目しながら叔父は口を開いた。
「何だ。聞いたのか?」
「ええ、ご本人から」
遠回しな断りの誘いまでは伝えず頷けば、叔父はあっさり頷いた。
「本当だ。最初にお前の嫁にと話が来たのは上のお嬢さんだったんだがな。体が弱いらしくどうしたものかと思っていたら案の定。そうしたら次は次女はどうかと直ぐ様言ってきた」
皮肉めいた口調で続けられる言葉に浮かびそうになる嫌悪は、ひたすら圧し殺す。
「やつも必死よ。家柄は大したものだが所詮は公家の旧華族。財も力もありはせぬ。だがこの家柄もそうそう馬鹿にしたものではないのだぞ?何より黴の生えかけたお家柄だ。他家や皇家との繋がりも深い。お前があの娘をめとれば旧華族と新華族のいさかいも少しは収まろうよ」
どうだ?などと言ってくる下世話な問いかけに、堪えていた苛立ちが溢れる。
「叔父上。自分はそのように結婚を決めるつもりはありません。ご令嬢にも失礼でしょう」
虚をつかれたように息をのみ、珍しいなと呟かれた。
「お前がそのような物言いするとは。そんなに気に入ったのか?」
「さあ、どうでしょうか」
ただ気にはなった。
能面のような空虚な微笑で、何かを頑なに守ろうとしているあのさまが。