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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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武家の娘 *矢玉

沈痛な、顔で俯く青年。それは普段の快活さとは真逆の姿。


 嗚呼、この方も、瑕を抱えているのだと、紫子は思った。

 己や、アロイスさまや、桐子さんと同じように。


 心に、翳を落とす瑕を抱えたもの――――――


「家族を、守れないのは・・・・・・辛いですね」

 本当に、辛いです。その声の重さに、山縣は思いをはせていた過去から我にかえる。少女の声はただの同情でも慰めでもない、悲痛な口調だった。

 ふと、少女は山縣の隣から立ち上がると、正面へと向かう。

 眼を、逸らしたくなかった。

 山縣さま、と呼びかける声は、ひどくこわばった調子。

「あやめ、という女を。ご存知ですか?」

 ふいに告げられた名前に心当たりはまったくなく。虚をつかれた表情を浮かべる山縣の様子にそっと微笑を浮かべる。

「やはり、東郷さまからは何もお聞きになってはいないのですね」

 言葉とともに浮かべた微笑は自重を含んだどこか悲しげな顔だった。

「私がついこの間まで、女給をしていたと言ったら、貴方は軽蔑されますか?」

 うるさい程の蝉時雨が、一瞬途切れた気がした。

 女給――――――花街に舞う夜の蝶、男の相手をする女。この清廉な少女とまるで一致しないそれ。

「あやめは、女給時代に私が名乗っていた名前です」

 驚きで、呆然とするしかない山縣が口を開けないでいると、紫子はそっと言葉を継ぐ。

「そして逢崎紫子は、私の本当の名前ではありません。まことの名は桐生紫子。もっとも逢崎が戸籍を弄っていたら、どうなっているかわかりませんが」


 それから紫子は淡々と話し始めた。

 母が逢崎の妾であったこと。

 自分を産んだから、追い出されたこと。

 養母に、育てられたこと。

 その母が自分のせいで病に倒れたことも。


「それで、私は女給となることを決心しました。本当は、身を売ろうとしたのですが、よくわからなくて」

 箱入りの令嬢ではないと思っていた、この歳にしては気丈で強い少女だとも思っていた。ただ、こんな壮絶な過去があるとは、思っていなかった。

 自分を律する強さを、誇りを持つ、武家の娘。そんな者が色を売る商売につくことなど、他者にはわからぬほどの屈辱であったろうに。

 紫子は淡々と、ただ淡々と言葉を紡ぐ。

「でも結局は、私は逢崎に媚びへつらい、東郷さまに助けて頂かなくてはなにも出来なかった」

 不甲斐ない、話です。そう笑う顔にはひどい悔恨が滲む。

 己の無力を悔いる、それは――――――覚えのある、感情で。

「私の力では、母を病から救えなかった。それが今でも悔しい」

 ふいに歪んだ顔は、しかし、けして涙を零すことなく、かえって痛々しい。

 唇を結んで、すがる様に日傘の柄を握り締める。その拳は、力を込めすぎて白くなっていた。


 神社の深い濃緑の杜と、白い着物の少女。


 その組み合わせは、どこか浮世離れしているほど絵になる。

 だが、そんな美しい光景の中心に立つ少女は生々しい暗く苦い過去を背負って、そこに立っているのだ。

 あわ立った感情を押し込め肩を震わせる。その様子に、思わず山縣が手を伸ばした時、すっと紫子が伏せた瞳をあげた。

 その飴色の瞳は、清濁すべてを見てきてなお、ひどく澄んで美しい。

「でも、嘆いてばかりはいられませんから」

 ふと声の調子が変わる。

「自らが出来ることから少しずつ。為していこうと今は、思います」

 こぼれるように浮かべた微笑みは、ひどくやわらかかった。

「嘆くことは容易いですが自己憐憫に酔って満足するのは、ただ自分を哀れんでいるだけ」

 それでは、あまりにも見苦しいでしょう。

 そう告げる少女は凛として背筋を伸ばした、まさしく誇り高い『武家の娘』だった。一切の甘えも、繰言も赦さない。

 凛とした風情を崩さないまま、山縣に真剣な眼差しを向けた。

「私の勝手な感想ですが、山縣さまのおっしゃりようでは桐子さんは不幸であるように感じました」

 でも、それはひどく一方的な見方だと、私は思います。そう少女は告げる。

「桐子さんはあんなに朗らかに笑えているではありませんか。その笑顔を守ってきたのは山縣さまだと私は思います」

 それを否定してしまうのは相手を思っているようでいて、実はとても傲慢なことであるかも、しれませんよ。

 降るような蝉時雨の中で、紫子はじっと山縣を見つめた。




***



あとがきっぽいもの

水商売の女性を指す「夜の蝶」という表現ですが、一説によると女給たちのしていたエプロンの蝶々結びからきている、と聞きかじったので表現として使ってみました。

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