同じ、匂い *奏嘉
『将臣』としていながら、祖国の事や母の事を思い出すのは、何処か不思議な感じがした。
いつか母の胸元に提げられていた十字架と、神父の手に握られた十字架を重ね合わせながら、穏やかな声音で語られていく異国の言葉に、将臣は静かに耳を傾けていた。
幼いころは理解できなかった基教の教えや思想に、興味深いとさえ感じながら、異国の景色や生活を思い浮かべる。
暫くして礼拝堂に戻ると、前の席で涙をこぼしていた筈の桐子の姿が無かった。
「桐子さん?」
青年は一つ呟いた後、辺りを見回す。
桐子を心配してくれたのか後ろをゆっくりとした足取りで歩いてきた神父に大丈夫かと問われれば、青年は穏やかに微笑んだ後、ふと人の声が聞こえた祭壇の横に続く奥まった回廊へと視線を移した。
入っても良いかどうかを神父に確認し、青年は回廊へと歩を進める。
まるで人を誘うように、小さな絵画が『救世主』の奇跡に満ちた伝説を語っていく。
不思議な感覚に包まれながら奥へと歩いていけば、やがて磔にされ横腹に槍を突き立てられた『救世主』の絵画が目に映った。
見入るように絵画を見上げながら歩いていた為か、不意に自分よりも小さな影にぶつかり咄嗟にその身体を支える。
――――悪友に良く似た、柔らかそうな茶色の長い髪が目に入った。
「っ、桐子さん」
こんなところに、と漏らせば桐子は驚いたように目を丸めながらも、「ごめんなさい」と謝罪し恭しく頭を下げた。
(なんでこんなしっかりした子の兄があれなんだ…)
ついそんな事を考えながら、青年は「いえ、こちらの不注意ですから」と応えながらも少女が歩いてきた方向へと視線を向け、その奥に見えた人物の姿に少し驚き目を見開く。
石畳の床に絵画の模写が描かれた紙が散らばり、その真ん中にはかの逢崎家の嫡男、総一郎が描くことだけにのめり込むように座っていた。
「君は……」
その声にその少年もぴくりと肩を跳ねさせると、乱雑に私物であろう周辺に散らばったのものをかき集め始める。
桐子は知り合いなのかと将臣を見上げるが、彼は何も答えずその少年へと歩み寄った。
「逃げようとするって事は、悪い事をしたと思えるようになったってことかな」
青年から発せられた言葉に、少年は相変わらず虚ろにも感じるその表情で青年を見上げる。
「…元気そうだな。蛾みてぇ」
少年の口から吐き出された悪態に桐子は首を傾げるが、青年は少し目を丸くした後ふっと笑うと躊躇い無くしゃがんだままの少年の頭を優しく撫でた。
「しおらしい謝罪なんて期待してなかったけど、君に生まれた多少の罪悪感に免じて許そうかな」
ぽかんとしたままの総一郎の表情に青年はいっそう笑うと、「今度お茶でも付き合ってよ」と言いながら手を離した。桐子は相変わらず状況が理解できず二人の顔を見比べている。
「君と話がしてみたくてね」
「行きましょうか」と桐子に告げながら、青年が元居た礼拝堂へと歩き出すのを見ると、律儀に桐子は頭を下げその後へと続き小走りに去っていく。
―――――――少年は暫く微動だにしなかったが、思い出したように真っ白な紙を広げ淡い輪郭を描き始めた。




