無垢な白樺と別邸 *奏嘉
汽車を降りると、山縣が手配していた馬車と従者に連れられ、山縣の別邸が有るという白樺の林の奥へと馬車はゆっくりと進んでいく。
帝都の喧騒が嘘のような静けさに紫子がほっと息を吐くのを、将臣は安堵した様に微笑みながら眺めていた。
視線に気付いたように顔を赤らめ、紫子が桐子に合わせた様に外へと視線を外したのを見れば、将臣は小さく笑い隣に座る山縣をふと見遣る。
悪友である山縣は、相変わらず間抜け面を晒しながら眠りこけている。
それを見ないようにしているのか、桐子嬢は紫子にじゃれながら白樺の中ちらちらと見え隠れする小動物や湖に夢中になっていた。
やがて山縣の別邸に到着したと従者に告げられれば、将臣は山縣の肩を揺らす。
「征光、着いたぞ。そろそろ起きないか」
不意に将臣から発せられた山縣の名前に、紫子と桐子が目を丸くする。
むにゃむにゃと間抜け面で目を擦る男の横、二人の様子に不思議そうに将臣は首を傾げた。
「どうか、されましたか」
青年が不思議そうに首を傾げるも、二人は「いいえ」と応えながら、改めて「友人であること」を理解し少し驚く。
正直、二人の共通点が見つからないと言うのが一般的な見方だった。
「ふぁ…、案外近かったなあ」
隠すことなく欠伸をしながら呟く山縣に、将臣はみっともないとぴしゃりと注意しつつ「お前は眠っていたからだろう」と続ければ、再び紫子と桐子の荷物も軽々と持ち上げる。
その様子に慌てて駆け寄ってきた紫子と桐子に、将臣は「女性は甘えて良いものでしょう」と笑って見せた。
「でも先程も……っ」
困ったように紫子が眉を下げると、子供にする様に将臣はその小さな頭を撫でる。
「紫子さん、」
有無を言わせないと言うように微笑む将臣の様子に、弥生の面影を感じると、何故だか嬉しいような気がして、紫子は「はい」とだけ応えると素直に「お願いします」と軽く頭を下げた。将臣はその恭しさに困ったように笑えば、「畏まりました」とだけ応え歩を進める。
白樺の林を意識しているのか、白を基調とした山縣の別邸は、『別邸』と呼ぶには僅かにぞんざいに感じ憚られる程、中々に豪奢な西洋建築である。
「これから数日間御世話になります」
別邸を管理する為にと住まわせているのか数人の使用人が駆け寄ってくれば、将臣と紫子は丁寧に挨拶をする。
使用人たちは恐縮と言った様子で深く頭を下げると、全員の荷物を持ち四人は各部屋へと通された。
山縣は将臣と紫子を同室にしようとしたらしいが、それは紫子に悪いと将臣が断ったらしい。
紫子が通された部屋は客室の為か、必要最低限の家具と花が置かれた、どこか落ちつく雰囲気の部屋であった。
紫子は旅の疲れからかふう、とひとつ息を吐くとふかふかとした椅子に腰を掛ける。
不意に部屋の扉をコンコンとノックする音が聞こえると、座る姿勢を正し「はい」と返事しながら扉へと視線を向けた。
返事を待ったようにその後静かに扉が開くと、洋服姿の将臣が顔を覗かせる。
「大丈夫ですか?お疲れでしょう」
汽車はあまり乗り慣れていないのでは、と問う将臣に、紫子は「大丈夫です」と応えると微笑み、着替えている将臣の姿に首を傾げた。
「どうしてお着替えに?」
「?ああ、」
不思議そうに問う紫子に将臣は頷けば、
「夏祭りまで未だ時間がありますし、桐子さんに早速自転車を教えて欲しいと仰られたので」と応える。
その御誘いに来たのだと続ければ、紫子が着替えようと海老茶を袴鞄から取り出すのを見、察した様に将臣は「廊下で待っていますね」と部屋を後にした。
自転車は初めて見るのか、紫子はその見るからに不安定な乗り物に表情を強張らせた。
「何ですか、これは…」
支えが無い限り倒れてしまうその奇妙な乗り物に、困ったように紫子が言葉を漏らしたのを訊くと、将臣と山縣は顔を見合わせる。
「紫子さん、怖いですか?」
将臣がそう問えば、紫子は「そんなことはないですっ」と咄嗟に啖呵を切ってしまう。
見るからに身体が強張っているため、そのままでは乗りこなせまいと将臣が指導につく事となった。
心配そうに将臣が紫子の支えをする横、運動神経が良いのか桐子は口だけの市道ですいすいと自転車を乗りこなしはしゃいでいる。
「東郷さま、御足を轢いてしまいます…っ」
将臣の足を轢きかねないから離してほしいと訴える紫子に、見るからにふらふらしているから危ないと将臣は答えるが、生真面目過ぎる為に涙目になりながら訴える紫子に、不意に将臣が手を放してやると案の定少し進んだところで少女は転倒してしまった。
「大丈夫ですか?」
慌てて将臣が駆け寄ると、反応できなかったのか手を付くこともできなかったらしく紫子の額には擦り傷が出来てしまっていた。
「東郷さま……」
へたりと座り込んだまま涙目に自身を見上げる紫子に酷く愛らしさを感じてしまえば、ふっと将臣は笑ってしまう。
「ごめんなさい」と言いながらも口元を片手で押さえ笑いを堪えようとしているのが見て取れ、紫子は恥ずかしさから顔を真っ赤にしながら少し頬を膨らませた。
(桐子さんに見られていたら飛びつかれそうだな)
はしゃいでいる為か此方の様子には気付かず少し遠くに行ってしまっている兄妹を横目に見ながら、青年はそんな事を思い少し安堵した。
少しして落ちついたのを見ると青年は紫子の脇の下に手を入れ、軽々と持ち上げると立たせてやり彼女の海老茶袴の裾に着いた砂をぱっぱと払う。
「貴女に傷が付くくらいなら、自分の足を轢かれた方がマシです」
そう何処か棘がある様にも聞こえる言葉を青年が発すれば、ぐっと小さく紫子は呻きながらも少しだけ頷いて見せ、手伝ってもらう事を承諾した。
いつの間にか、紅い夕陽はその色を反射させるように白樺を紅く染め、視界は鮮やかな紅でいっぱいになっていた。