くれないの髪 *矢玉
「で?」
「でって何だ」
「最後まで――――――ッ」
鳩尾にいい拳が入り、山縣は咳き込んだ。痛い。猛烈に痛い。
「お前・・・・・・本当にもう本調子だな・・・・・・」
「くだらないこと言うお前が悪い」
友人を殴ったとは思えぬしれっとした顔で将臣は言う。窓辺では、彼女が活けた花が優しく花弁を揺らしていた。
「だって思うだろ?!あの朝、尋ねたら看護婦達が紫子嬢がお前の病室で寝てたとか噂飛び交ってるし!紫子嬢の首元に何か痕ついてるし!!弥生さんが赤飯炊くし!!」
「添い寝してもらっただけだよ」
「あのな・・・・・・子どもじゃあるまいし、結婚を誓った男女が一つ布団で寝て何もないとか――――――ッ」
今度は枕もとの本が飛んできて、山縣は飛びのいた。
「当たれよ」
「当たるか!!」
「彼女の名誉を汚すような真似、するはずないだろう」
どすの利いた声にそろそろ本気でまずいと思い、話をそらす。
「そうだ!お前の快気祝いに皆で集まろうかと軍部でも言われてるんだがな!どうする?」
露骨にめんどくさそうにした青年に、そんな顔するなよ。などと返す。
「お前を慕う下士官なんかは、本気で心配してたんだぞ?」
考えといてくれ、と席を立とうとした背後で、ノックの音が。部屋の主より先に答えた友人に対し、露骨に顔をしかめるものの、あらわれた人影に、相好をくずした。
「紫子さん、今日も来てくださったんですね」
「はい。山縣さまも、お久し振りです」
花束を抱えたまま丁寧にされたお辞儀に、山縣も頭を下げる。
「毎日、大変ですねぇ」
「いえ・・・・・・私には、これくらいしかできませんから」
どこか寂しげ顔は憂いを含んで大変美しい。が、背後から何やらひんやりとした空気が感じられ、足早に席を立つ。
「じゃあ、邪魔者は退散するとするよ。東郷、考えといてくれよ」
ぱたりと閉められたドアに、申し訳なさそうに紫子が呟く。
「追い出してしまったようで、申し訳ない事を・・・・・・」
「いいんですよ。見舞いと称して息抜きに抜け出してくるような輩ですから」
涼しい顔で言う青年に微笑み、ふと床を見れば何故か本が落ちている。拾い上げ、手渡しながら、紫子は問うた。
「先ほど山縣さまがおっしゃっていた件、お聞きしても?」
「ああ、退院の日が決まったと軍部に知らせたら、何やら快気祝いをすると騒ぎ出した輩がいるようでしてね」
「東郷さまは、みなに慕われておいでですね」
ふとそう呟いた唇に、人差し指が触れる。
「二人きりの時は、アロイスと呼んでくださる約束でしょう」
ね?と呟かれ、ついっと唇がなぞられるのに、紫子は赤面した。
「あ、アロイスさまは恥ずかしい人になりましたね・・・・・・!」
「紫子さんが可愛らしいからいけないのですよ」
眉を寄せてもため息をつかれても、赤面では効果が無い。くすくすと笑う将臣に背を向け花を生ける。金魚草の丸い愛嬌のある花が、ゆらゆら揺れていた。
「もし日にちが決まりましたら、紫子さんにも知らせますね?」
不思議そうな顔で振り向く少女に、苦笑気味に言った。
「なぜか私の怪我は、許婚をかばって負った傷ということになっていましてね。まぁあながち間違いでもないのですが、みな“紫の上”に興味津々なのですよ」
「私にも、出席しろと?」
「ええ、できれば」
どうせこの話が来た時から、逃げられないと思っていたのだ。山縣の持ち込んだこの手の話から、逃げられたためしは無い。
ふと顔色を暗くした少女に、怪訝な顔を向ける。
「では、また髪を染めなければいけませんね・・・・・・」
ぽつりと呟かれた言葉に瞠目する。
「なぜです?」
「アロイスさまに、恥をかかせるわけにはまいりませんから」
「貴女が私の恥になるわけはないでしょうに」
「アロイスさまがそう思ってくださっても、周りはそう思うでしょうか?」
将臣は眉をよせて考え込む。ふと、思ったのはこんなことだった。
「もしかして、女学校での評判が気になりますか?」
あの事件の後、痣が消えるまで紫子は静養していた。そのうちに女学校は夏季休暇へと入ってしまったため、この赤い髪で登校はまだしていないと聞いている。
だが――――――
「“あやめ”がどこで過ごしていたのかご存知でしょうに」
ふと微笑んだ顔はどこか不敵に見えた。
「箱入りの小雀の陰口など、取るに足りません」
妓達の悪口雑言にくらべたら、可愛らしいものでしかない。
それにもう、どうでもいい人間の言葉などで、己は傷つかない。
『まあ!素敵な赤い髪だとこ』
いずれ義母となる弥生夫人の言葉。
『まるで髪長姫や、灰かぶりの姫君のよう・・・・・・』
己などを姉と慕う桐子嬢の言葉。
それがどれだけ嬉しかったことか。
好意を持った人間に言われる冷たい言葉は、己の心をえぐる。だが有象無象に言われたところで、己は小揺るぎもしないのだ。
ふともれた微笑。しかし青年は不満そうな顔をし、腕を組んだ。
「貴女が髪を黒く染めるというなら、私が髪を金に染めます」
「なぜそんな話になるのです!!」
思わず病室ということを忘れ大声を上げてしまう。突飛すぎる言葉に二の句の告げられない紫子の髪に触れ、将臣はゆっくりともちあげた。
手に取った紅の髪は、さらさらと水のように流れていく。
「私のこの眼すら、今ではそれなりに受け入れられています。紫子さんも、貴女の本当の姿で胸をはって私の横に並んでください」
髪長姫・・・ラプンツェル。
灰かぶりの姫君・・・シンデレラ。
のつもりでした。明治だし。




