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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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そうして蝶は、蜘蛛の巣に *矢玉

◆重要:今回、あきらかな犯罪行為(監禁)が出てきます。この小説は犯罪を推奨するものではありません。あくまでフィクション、物語の中の世界です。現実と物語は区別してください。

◆そのような行為に嫌悪を抱く方は、読むのをおやめください。話の流れが理解できるように、次回にあらすじを付けます。 

◆決定的な場面はないものの、人を選ぶ表現があると思ったのでR-15とさせていただきます

◆というわけで中将、助けてください 


心奪われた。欲しいと、思った。


 手に入らなければ、奪えばいいのだ。




 桐子の案内で駆けつけた病院は軍属ではなく、小さな個人院だった。

 息を切らせて、東郷伯爵は、と尋ねれば、看護婦は心得たように病室へと案内してくれる。その扉の前に、軍服姿の青年の姿が。

「紫子さんですね?東郷の同僚で、山縣といいます。それの兄です」

「それとは何ですか!兄さま!」

「きんきん騒ぐな、桐子。今はそれ所じゃないだろう」

 はっと口を覆い、気まずげに横目でみた少女の顔色は相変わらず白い。山縣さま、と小さく呟く。

「東郷さまの具合は・・・・・・」

「命に別状はありませんから、そんな顔しないでくださいよ。あとで俺が東郷にどやされる」

 内容と気軽な物言いに、ほんの少しだけほっとする。

「今は麻酔が効いて眠ってます。会いますか?」

「はい」

「兄さま!私も」

「お前はここで待て。怪我人のところにそう大勢でいるのはいいことじゃない」

 ほんの少し不満げに口元を歪めたが、妹は素直にうなづいた。紫子の冷たい手をぎゅっと握り、懸命に言う。

「紫子さま、東郷さまはお強い方です。大丈夫ですわ」

 少女の言葉に、ええ、とかすかな微笑を向け、少女は青年の開けた病室の扉を潜った。

 消毒液の匂いが立ち込めるその中、白いシーツに横たわる人の静かな寝顔を見た途端、紫子はベッドの脇に膝をつきその顔をのぞきこむ。少しだけ触れた手は、温かく顔色もそう悪くはないのに、涙が出るほど安堵した。

「わき腹を、こう刺されたんです。でも刺されたといってもかすっただけで、臓器に影響はない。出血がちょっとばかしひどかったんだが、すでに手当ては終わって、あとは寝てれば治りますよ」

 軽い物言いはこちらの心を軽くするためか。そんな青年の言葉に感謝しながら、紫子は振り向いた。

「東郷さまは、なぜこのようなお怪我を負われたのですか・・・・・・?犯人は」

 つかまったのですかという少女の言葉に、青年は軽く首を振った。軽く逡巡する様子だったが紫子の必死な顔に、折れたように言った。

「犯人と東郷は、顔見知りのようでした」

 息を呑む紫子の様子に気付かず、山縣は思い返すように天井に目を向ける。

「呼び止められた東郷は、俺に先に言ってってくれと言ったんです。少し離れて様子を伺うと、その男のほうが一方的になにやら東郷に言ってましてね。東郷は軽くいなしていたのですが、最後に何かを告げると、そいつに背を向けてこっちに来た。その背後を、つかれたのです」

 かたかたと、紫子の肩が震える。むりやり開いた口は激情を抑えこんだ奇妙なものとなった。

「その男の、姿は・・・・・・?」

 少女のその姿にいぶかりながらも、山縣は答えた。答えて、しまった。

「学生のようでしたよ。珍しいくらいの良い仕立ての洋装で・・・・・・年頃は、そう、伊織くんと同じくらいかな。ああそういえば、東郷は刺された直後にこんなことを言ったのです」

 これで、満足かい、と。

 紫子の脳裏に、ある男の姿が像を結んだ。




 病室の戸がばたんと音を立ててあけられ、ベンチに腰掛けていた桐子は飛び上がって驚いた。

 目の前を風のように駆け抜けていくのは、憧れの先輩。

「紫子、さま?」

 いつも穏やかに微笑んでいる人だった。いつも背筋をのばして凛としている人だった。その人の、こんな取り乱した様子など。見た事がない。

 慌てて出てきた兄の、服を掴むと少女は勢い込んで尋ねた。

「兄さま!紫子お姉さまに何を申し上げたのです!!たとえ兄とはいえど、容赦はしませんよ!!」

 頬を高揚させて言う妹の姿に、追うのを諦めたのか青年は振り返った。

「俺は無実だぞ?ご令嬢が東郷が刺された時の様子を聞いたから、素直に答えただけだ」

「まぁ!兄さまは本当にデリカシィの欠片もない人ですのね。紫子さまがいくら気丈とはいえ、そんなお話を聞いて動揺なさらないほうがおかしいわ」

 可哀想な紫子お姉さま、と呟く様子にげんなりしたものを感じながらも。内心で山縣は首をかしげた。あの紫子の様子は、動揺のそれではなく。

「犯人に、心当たりがあるようじゃないか・・・・・・」

 幸か不幸かこの声は、妹に届かなかった。




 紫子は激情のまま走った。ここまで激怒したのは、逢崎に娘になれと言われて以来だった。

 髪が乱れるのもかまわず、海老茶袴の裾を蹴って走る。幸いというか何というか、病院とその屋敷は近かった。

 ――――――逢崎の屋敷は。

 音を立てて開かれた両開きの扉に、女中達はびくりと背を振るわせた。その先にいたのは、ついこの間までこの屋敷で過ごしていた少女の姿が。

「あの男はどこです・・・・・・」

 だがこの剣幕はなんだろう。無表情に淡々と令嬢として振舞っていた頃とは、まるで違うこの姿は。

「逢崎総一郎はどこだと言ってるのですッ」

 肩をつかみ迫られれば、自室においでですとあえぐような返答を返すしかなかった。

 紫子はいまいましいほど毛足の長い絨毯を踏み紫子は階段を駆け上る。その男の部屋の位置は知っていた。顔を合わせず済むように、そのために覚えていた。

 音を立てて開いた扉の先には、殺風景な部屋が。見渡しても、男の姿はない。

 舌打ちひとつもらして、寝室の扉を開く。そこにも男の姿はなかったが、ふと視線をやった先に奇妙なものを見つけた。

 それはこの場に場違いな、キャンバス。荒い線で素描されたそれ。半裸の女の姿。そこまではいい。しかしその容貌は――――――

「これは、私・・・・・・?」

 ドレスを半ばまで脱がされ、かたく眼をつむったその横顔、それに動揺する。

 背後でドアが閉まったことにすら気付かぬぐらいに。

 不意に突き飛ばされ、少女は床に転がった。その腹部に、重みを感じさらに呻く。逆光の中、視界の先にいたのは、求めていたあの男。少女に馬乗りになったまま、男は言った。

「いけないなぁ、紫子。昼間から男の寝室に来るなんて。誘っているのか?」

「逢崎、総一郎」

 憎悪の眼差しを向けられ、喉の奥で嗤った。愉しくて、しかたない。

 どこからとも無く取り出したナイフには、べったりついた赤い血。それを白い頬にぺたりとつければ、ますます少女の怒りは火のように揺らめいた。

「やはり東郷さまを刺したのは貴様かッ、逢崎総一郎っ」

「ん?お兄様というのはやめたのか、ああ・・・・・・そういえばお前は桐生の娘に戻ったんだったな」

 白い頬を汚す赤い血、そのコントラストが眩暈を覚えるほど美しい。

 ふと喉をつかまれ、紫子は呻いた。ぐいぐいとかけられる力は尋常ではない。かは、と空気の塊を吐き出すそのさまをまじまじと眺める。

 それでもこちらを睨む眼差しからは、憎しみの炎が消えることは無い。そのさまがぞくぞくするほど魅力的で、ついに男はナイフを放り出し、少女の首を両手で絞めた。

 白い首は、鳩の首のようだ。ぽきりと折れてしまいそうな、細いそれ。

 少女の体から、少しずつ力が抜けていく。霞む視界の先、最後にみえたのは男の歪んだくちびの動きと、その言葉。


 ――――――逃げられると思っていたのか、おまえ。



***






 ふいに、意識が覚醒する。呻こうとした喉に違和感を覚え、少女は咳き込んだ。

 口元に手をやろうとして、腕が自由にならないことを悟る。恐怖に身をよじれば、更にとんでもないことがわかった。

 少女の胸元は大きく肌蹴られ右肩の着物はかろうじて腕に掛かっている程度、その白い胸は、ほとんどあらわにされている。

「気がついたのか」

 視線の先にいたのは、憎いあの男。しかし今は、恐怖が憎しみを凌駕する。

 こちらに歩み寄ってくるのが、怖くて怖くてしかたない。完全な恐慌状態に陥った少女の髪を一房持ち上げる。

「女中にいって落とさせたんだが、予想以上だな」

 ふとそう言われて、眼を左右に動かせば、髪がもとの赤毛に戻っている。

 紫子の赤い髪は、一種独特の赤だ。金に緋を溶かし込んだような、たっぷりとした赤。オックス・ブラッド、アガット、丹色。

 髪から手を放し、今度は白い喉元へ。首を絞められた恐怖からか、異常なこの有様からか、こくりと喉が上下する。そのさまを眺め、舌打ちをひとつ。

「痕が、残ったな。忌々しい」

 くっきりとした指の痕は、白い肌に醜く青痣として残ってる。まあいいとそのまま指をすべらせ胸の間から薄い腹までなぞる。

 そこで始めて羞恥が生まれ、紫子は身をよじった。だが両の手を椅子に縛りつけられているのだ、大したことは出来ない。首をそむけるその様子に、男は無邪気に笑った。

「べつに生娘じゃあるまいし、触られるのくらい平気だろう?」

 その台詞に瞳孔が広がり瞳に動揺が走る、それを見のがす男ではない。

「なにお前、生娘なの?」

 ははは、と瞳をゆがめ声を出して笑う。

「生娘の女給なんて聞いたこともない!!」

 だが、いい。何て楽しいんだろう。

「全部終わったら抱いてやるよ」

 耳元で囁かれた言葉に、必死になって首を振る。赤い髪が、白い肌の上を踊るように打った。

「だがまずこっちが先だ」

 ふいに離れられ、安堵のために息をつく。男が歩いていった先には、大きなキャンバスと、様々な絵具が。

「何を・・・・・・」

「五月蝿い。動いたら殺すからな」

 そういい無言になった男に、少女は二、三口を開け閉めしただけだった。男の狂気に呑まれたように、息をするのも辛かった。


***


 ここに連れてこられて、どれくらい起ったのだろうか。すでに時間の感覚など麻痺してしまった少女はぼんやり考えた。

 総一郎は時々席を立ち、どこかに出かけて戻ってくる。

 恐怖の後には怒りがわき、睨み付ける様に男は満足そうに嗤う。

 しかしそれも長くは続かなかった。男が席を外した時、気絶するように眠りについた。それでも男が帰ってきた時に目覚めるとは限らないから、さして意味は無い。

 それよりどんどん衰弱していく身体の方が問題だった。何せ此処に来てから、食べ物はおろか水の一滴すら与えられてないのだ。

 此処がどこだかはわからないが、少なくとも帝都の喧騒から離れた場所にあるらしい。男が席を外したのを見計らい大声を出してみたが、何の反応も無かった。

 今は男がいようといまいと、意識が朦朧として、ふとした拍子で飛んでしまう。


 もう涙すら、出なかった。


 花が萎れるのを愛でるように。

 果実が腐り落ちるのを待つように。

 少女が堕ちていくのを眺め、男は満たされたように笑った。


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