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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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紫電一閃 *矢玉

 紫子が口を開くより先に、身体を震わせ叫んだのは子爵だった。

「私は自分の子を、異人に嫁がせる気は無い!!貴様が混血児とわかっていたら、縁談を持ち込む事などしなかった!!」

 紫子の中で、何かが確実にはぜた。


「それは私が赤毛だからですか?」


 空虚に静かな眼に、此処にいた誰もが息を呑む。

「知っています。すべて知っている。藤乃の母が、異人の子を産んだと思っていたのでしょう?あの頃屋敷に出入りしていた、裕福な異国の侯爵が、母に求婚していたから」

 女中の心無い噂話は、すべてこの耳に届いていた。

「貴方が異人嫌いなのはその所為。母の不貞を疑ったから。異人嫌いなのに、異国風を好むのもそれ。母のことを、奪われたと思ったから」

 でも――――――

「母が本当に不貞をはたらくとでも?どこまでも見下げ果てた人だ。あの武家の娘として誇りを持っていた母が、たとえ妾の身であったとはいえ、本当に不貞をはたらくとでも・・・・・・?」

 どこまでも、人を馬鹿にした話。

「私が自分の血を引いていることを、半ば信じていないことなどとっくに承知。けれど私は間違いなくお前の血をひいている。だが――――――」


 飴色の眼は、怖いほどに爛々と光り、その両手は、ぶるぶると震えていた。


「たとえ貴様の血を引いていようとも、私の親は母二人のみッ 今更、父親面しないでいただきたいッ」

 肩で息をしながら、激情に声を震わせ紫子は続ける。

「逢崎の娘として嫁ぐなというなら結構。喜んで従いましょう。私は桐生の娘として、東郷へと嫁ぎます」

 それと、と冷たい目を子爵へと向けられ男は息を呑んむ。従順な娘だと思っていた、だがこの気性の激しさはどうしだろう、呆然とただ呆然とすることしか出来ない。

「明代の母上の治療代は、私が一生かかってでも支払います。もう二度と、私に干渉しないで」


「――――――まったくもってその通り」


 その声は、開け放した扉の先から聞こえた。

 半身をおこそうとしてよろめく姿を見た紫子が病室へとまろぶように駆け寄る。

「母上!!」

 飛び込できた紫子を制し、母上と呼ばれた女―――――明代が口を開いた。

「あの子に惚れていたから、お前はあの子が他に心を移したと思って激怒したのだろう。あの子の心にいたのは死ぬまで逢崎、お前だけだったというのに」

 青白い頬をしながら、けれど眼力だけは凄まじく、明代は言葉を紡ぐ。

「全くいまいましい。どれだけ趣味が悪いと、馬鹿だと私が言ってもまったく微笑むばかりで聞く耳を持たない。藤乃は、どこまでも頑固だった。それも逢崎、お前のために」

 鋭い視線でひたと見つめられ、子爵は動揺した。そして告げられた事実にも。

「それなのに逢崎、お前はあの子を信じなかった。そこの正妻にいくら苛められようと、弱音も吐かずに一心にお前に仕えていた、それを・・・・・・」

 呼吸を乱した母に、紫子は悲鳴のような声をあげた。

「母上、これ以上お体に障ります、もうおやめください」

 顔を歪めてもらした舌打ちは一帯誰に向けられたものなのか。

「まったくもっていまいましい。この身体さえ動くなら、お前の首など、すぐさま撥ねてやるというのに」

 母が薙刀の名手だったと言われたことを、将臣は唐突に思い出した。

「二度と私の娘に手を出さぬことだ。・・・・・・・・たとえ死んでも化けて出て、お前など殺してやる」

 どんどん荒くなっていく息に、紫子が泣きそうになると同時に、鋭い声が響き渡った。

「何をしているのです!!!病人の前で!!!」

 現われた医師は足早に子爵たちを押しのけると、ベッドへと駆けつける。病臥する明代の呼吸を確かめ、連れてきた看護婦へ指示を飛ばす。

 にわかに慌ただしくなった病室。

 その眼中に、もはや子爵の姿などなかった。

「だ、そうですよ。逢崎子爵」

 言い放つ将臣に、子爵は何も言うことができなかった。

「お引取り願いましょう」




 明代の状態はかんばしくなかった。あれから再び意識を飛ばすと、三日三晩眼を覚まさなかった。最悪の事態も覚悟してくれといわれた際の、蒼白な顔をした紫子の姿を将臣は忘れることが出来ない。

 峠を越したと言われ、紫子は安堵の涙を零し、そのまま意識を失った。一睡もせず、明代を看病し続けていたのだ、無理もないと医師たちは言い病室の一つを使っていいとい言ってくれた。

 紫子のいない病室。徳次郎と二、三言葉を交わした明代は、将臣を枕元へと呼んだ。

「お噂はかねがね、東郷伯爵。こんな姿で申し訳ないですが、ご容赦を。紫子の母、桐生明代と申します」

 意志の強そうな気丈な眼は、なるほどあの人の母親らしいと将臣は微笑んだ。

「とんでもない。むしろ部外者の自分がこうしてずうずうしくも居残って申し訳ございません」

「部外者ではないでしょう?あの子と結婚するのだから」

 おかしそうに続けるのに、将臣は何も言えなかった。それに、まだ結婚できると決まったわけではない。

「あの子のことは、どこまでご存知で?」

 ふと話題を変えられ、将臣は静かに話した。列車で聞いた、二人の母のこと。逢崎とのつながりのこと。女給をしながら母親を養っていたこと――――――

 そこまでご存知なのですねと、明代は一つため息を吐く。

「あの子は、早くから自分の身の上を知っていました。私が話したのです」

 静かな眼は、遠い過去へと向けられる。

「私の子として育てることは可能でした。私の夫は御一新の戦で戦死いたしておりましたし、反対する身内もおりません。ですが・・・・・・あの子から藤乃の面影を消すことが、私には忍びなかった」

 ですが、と明代はここで初めて後悔の色を滲ませた。

「それがあの子の負い目になってしまった。自分は妾の子で、母は自分のせいで死んだのだと。悔やんでも、悔やみきれません」

 静かな眼差しで、まるで懺悔のような明代の言葉を聞いていた将臣は唐突に呼びかけられ、背筋を伸ばす。

「本当にあの子を望むなら、幸せにしてやってください。不器用な子です。自分の幸せが何かすらわからない、そんな子」

 はい、と答えた将臣に明代は満足そうに笑った。けれど――――――

「しかし、紫子さんの気持ち次第です。本当に自分との結婚を望んでくれているか、自分にはわからないので」

 どこかしょんぼりと続ける青年将校に、明代はころころと笑った。

「では、本人に聞いてみるといたしましょうか」


***


 目覚めた紫子は、布団を跳ね除けると一目散へと母の病室へと駆け込んだ。そして半身をおこして徳次郎と話している明代の姿をみると、ドアにすがって立ち止まる。でないと安堵で膝が崩れ落ちそうだった。

 ふと、こちらに眼を向けた母に、どきりと鼓動がはねる。こうして母と対面するのは、親子の縁を切ると盛大な親子喧嘩をしたそれ以来だった。

「そんな所に立っていないで、こちらにおいでなさい。では徳次郎、あとは任せましたよ」

 母の言葉に恐る恐るベッドへと歩み寄る。途中ですれ違った徳次郎に、思わず不安げな眼を向けてしまう。

「徳爺・・・・・・」

「大丈夫ですよ、お嬢さん。奥様は、怒ってなどいらっしゃいませんから」

 穏やかに微笑む皺のある顔に勇気をもらい、紫子は枕もとの椅子へと腰掛けた。

「具合は、よろしいのですか?」

「ええ、こうしている分にはまったく。先生にはこんな状態で大声を出すなどと、叱られてしまいましたがね。それにしても紫子、その髪は?」

 思わず染めた黒髪に手をやる。視線をさまよわせ、そっと言った。

「おかしいでしょうか・・・・・・」

「折角の綺麗な赤い髪が台無しです。それがお前の意思ならとめはしないけど。あの逢崎のぼんくらに言われたのでしょう?」

 答えを濁す紫子に、顔をしかめ舌打ちをひとつ。この母は、気性に比例するように存外口が悪い。

「本当に腹の立つこと。無傷で返したのが忌々しい」

 吐き捨てるように言う母に、紫子は苦笑しそして安堵した。病に倒れても、母は母だった。

「それより紫子」

 ふと真剣な眼差しに、紫子は背筋を伸ばす。

「東郷殿の申し出はどうするのです。あの人はお前を妻にと、望んでくれているのでしょう?」

 一気に赤面した。そのままあわあわと何やら意味の無いことを口走る娘に、可笑しそうに言う。

「“桐生の娘として東郷に嫁ぐ”などと言って啖呵を切ったのに、その慌てようはなんですか」

「あれは!あれはその場の勢いというか何と言うか。思わず、言ってしまっただけで」

「思わず出た言葉というのは、案外本心だったりするのですよ」

 赤面したまま黙り込む娘に、やさしく語りかけた。

「東郷殿を、慕っているのですね」

 その言葉に、不安げに瞳を揺らし消え入りそうな声で、わかりませんと、応える。

「本当に、わからないのです。あの方には、とても良くしていただいています。私などに」

「おやめなさいな」

 ぴしゃりとした母の言葉に、叱られたよう子どものように肩をすくめる。

「“私などに”と、自分を卑下することなど許しませんよ。お前が自分を卑下する理由など無いでしょう」

「だって母上、私は女給として働いていたのですよ?そんな私が、伯爵夫人などに」

「あら、お前は後悔しているの?女給となったことに。そんなことならやめればよかったのです。この母が言ったように。いつでも後悔しない道を選べと、私は口をすっぱくして教えたはずですよ」

「後悔などしておりません!!後悔、など。あの時はあれが最善でした。私は自分で母上のためにお金を稼げたことを、後悔などいたしません」

「ならば胸を張ることです。今後一切、自分を卑下することを言わぬように。誓いなさい」

「・・・・・・は、い」

 ああ、母はこうだったと、紫子はふいに微笑みながら泣きたくなった。いつも自分の背を押し、ただしてくれる。そんな母が紫子は大好きだった。

「それで、東郷殿のことはどう思っているのです」

 再び元の問題に戻ってきて、狼狽する。かすかにこのようにしつこく母が問いかけるのを不思議に思ったが、心中が乱れすぎていてそこまで行き着かない。幾度か口を開け閉めして、搾り出すように紫子は言う。

「彼の人の過去は、私などおよびつかないほど過酷なものだと、お話くださいました。そのお話を聞いて、私はどうしようもなく――――――かなしく、なりました」

 それが悲しいのか、哀しいのか、愛しいのかすらわからないけれど。

 かすかに染めた頬を、切なげに揺らす紫子は自分がどんな顔をしているか、きっとわかっていない。

「叶うなら、過去のあの方。幼いあの方を、抱きしめて慰めて差し上げたいと、そんなことさえ、思ったのです」

 ゆっくりと微笑んだ明代は、幼子にするように、紫子の髪を撫でた。

「私には、あなたは十分、恋をしているように思われますよ」

 ねぇ、東郷殿。そう続けられた言葉に、紫子は瞠目する。母が向けた視線の先は外に続く窓。そこから現われたのは、気まずげな顔をした青年将校。

「き、聞いていたのですか?!」

「ええ、すみません」

「私が言ったのですよ。紫子の本心を確かめるから、そこの窓の外で聞いているようにと。お前があまりにまだるっこしいのがいけないのです。手紙でも、堂々巡りを繰り返してばかりで」

 すました顔で続ける母に、二の句が告げられない。怒りの矛先は、窓辺の青年へと向かう。

「盗み聞きなど、帝国軍人の名折れです!!恥を知りなさい!!」

 赤面のままそれだけ叫ぶと、紫子は病室を駆け出した、それをとめる言葉を言う前に、明代が静かに青年を呼び止める。

「東郷殿、あの子を、幸せにしてあげてください」

 あの子はかくれんぼがたいそう下手です、そう続ける明代は茶目っ気がありながらも優しげな母の顔をしていた。

 今度こそ迷いなく言える。

「はい、必ず幸せにしてみせます」

 それだけいうと、将臣は走り出した。目指すのは、逃げ出した少女の背中だった。

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