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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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白い翼の鳥 *矢玉

 春霞のような空は、どこかやわらかだ。

 冬の寒空とは違う、どこかぼんやりした風情の冬に似合わぬ小春日和。

 そんなうららかな校庭を同じくぼんやりとした眼で眺める。頬杖をついた木の窓枠が暖まり心地い。

 くるくると最近の出来事が頭を周り、とりとめなく考えをめぐらす。

「桐子さん、桐子さんたら」

 我にかえると、少しばかり頬をふくらました旧友が。

「もう、わたくし何度も呼んでいましたのに」

「ごめんなさい、少し考え事をしていて・・・・・・」

 素直に謝れば、相手は満足そうに頬をゆるめる。

「菊子さん、どのようなご用事でしたか?」

「紫子さまのご様子をうかがいたくて。ご加減は、いかがですの?」

「ええ、伊織さまからうかがったのですが。もうすぐ登校なされるそうですわ」

「ああ!それは良かったですわ」

 頬を緩める級友に首をかしげる。それがわかったのだろう、秘め事を打ち明けるように少女述べた。

「わたくし、結婚することになりましたの」

 息を呑み、そのまま、おめでとうございますと吐き出す。

 頬を染めて嬉しげにいう彼女は、ひどく可愛らしかった。

「ピアノ教室の際に、紫子さまにも報告させていただこうと思ったのですけれど、年明けの教室がお休みになってしまったものですから」

「そう、でしたか」

「ああでも、ピアノ教室は続けさせていただきますわ。あちらのお宅も、良いと言ってくださって」

 それは、そうだろう。

 あの東郷伯爵家と繋がりが保たれるなら、嫁の多少のわがままなど大したものではない。むしろ、かえって喜ばれるのではないだろうか。

 そんな事情を知らずとも、少女たちは小鳥のように囀る。

「紫子さまがピアノ教室を始めてくださって、とても嬉しいですね。あの方に親しくして頂けるんですもの。前に隣に座って頂いて指使いを教わったときは、卒倒するかと思いました」

「でも紫子さまが卒業してしまうと思うと、寂しいですわ。あの方のお姿が、もう学園で見られないかと思うと。わたくし、泣いてしまいそうです」

「卒業式の日など、きっとわたくし朝からハンカチが離せないと思いますの」

「でも・・・・・正直、早苗さま方が卒業されたら、紫子さまともっと気軽にお話できそうですよね」

 忍び笑いが広がる。あの高飛車な女王様然とした先輩がいたせいで、今まで紫子と親しくしたいと思っても、できなかった級友も多いのだ。

「卒業式が終われば、入学式。小さい方がたくさん見えますわね。可愛らしい方が多いといいですわ」

「わたくし、今年こそお目にできる子がいるといいなぁと思っていますの」


 “お目にする”とは、Sの姉妹の申し込みをするという意味だ。


 新入生はまだ誰も姉妹を持っていないため、どの子でも選べる。“S”は、複数の妹や姉を持つことは浮気とみなされ固く禁じられているのだ。

「でも、妹のお話もいいですけれど、わたくしは結婚のほうに興味がありますの。お姉さま方が卒業されてしまうと、とうとうわたくしたちが最高学年なのですもの」

 少女たちの話題は、ころころと転がる小石のように変わっていく。

 物憂げため息が、少女たちの間に広がった。

 少女たちのもっぱらの関心は、結婚にある。それで、己が一生のほとんど決まるのだ。生家で過ごした歳月の倍ほどの時間を、嫁家で過ごすのだから。

「お姉さま方も、この組の方々ももう半数がご結婚がお決まりになり、退学なさったのだもの。焦らさせられもしますわ」

「でも、手近な殿方に安易に決めてしまうのも、考えものですよね。だってその方がとても乱暴な方だったらどうしますの?ここだけの話ですけど、あの男爵家に嫁いだこの組の方なのですけど嫁いだ先で、大変苦労なさっていると聞きましたの。なんでも――――――」

 少々下世話な話になってきたため、桐子は再び窓の外へとその栗色の眼を向けた。

 暖かな風に髪を乱されるのを抑えると、真向かいに白い影がよぎる。


 白い翼をもつ、鳥だった。


 何の鳥であったかは、判別できなかったがその白い翼で風を切り、はるか空へと吸い込まれるように飛んでいく。

「桐子さんは、いかがですの?」

 話題を向けられ、曖昧に微笑む。まるで聞いていなかったとは、二度目であるだけに言いにくい。けれど、それはお見通しのようだった。

「もう、結婚についてですわ。もうお見合いなどはなさったの?」

「桐子さんなら選びたい放題でしょうね。ダンスの授業も、武術体操も首席で。お琴や和歌の授業だって」

「そんなことありませんわ。体を動かすこと以外は人並で。それに、華道の授業などはとんとだめで」

「あら、人並などとおっしゃるのね。乙の方にそんな事を言われてしまっては、わたくしたちの立つ瀬がありませんわ、ねぇ皆さま方」

 一斉に真剣な顔で頷かれ、まいってしまう。

「それに、桐子さんならそのお家だけで十分じゃなくて?なんといってもあの山縣伯爵家で、山縣少将のご令妹なのですもの」

 羨ましい、そんなまなざしに目を伏せる。

 そんな有様であるのに、桐子は結婚に一向に興味を見せない。こういったおしゃべりに参加することも稀だ。それにみな首をかしげる思いがするのだが、当人が一向に口を閉ざしているのでわからない。

 桐子はその細い肩をぎゅっと握りしめる。

 結婚など、諦めていた。

 結婚した先で、この醜い傷を見られ、疎まれるぐらいならいっそ、婚き遅れ、婚かずの後家と陰口を叩かれたほうがいいとすら思っていた。


 けれど――――――


『異国の絵画などに描かれる、『天使』を見た事がありますか?神様の遣いだそうです。背中に、綺麗な羽が生えていて』


 そして――――――


『まるで天使の、翼をもがれた跡みたいだな』


 この傷を、“天使”などという美しいものに喩えてくださった、もう一人の方。


「総一郎、さま」


***


 鍵盤に指を下ろしていた紫子は、ぱたぱたという足音に顔をあげ首をかしげた。

 がたりと、一言もなく開けられた襖にその飴色のまなこを丸くする。

「薫さん、どうなさったのですか」

 朝方から出かけていたはずの彼女は、肩で息をしながら頬を薔薇色に染めて勢い込んで言った。

「紫子さん!紫子さんはたしか、すべての譜面を一度見ただけでその曲を弾く事ができるのでしたのでしたよね?!」

「ええ、一応ですが。ただすべての譜面を見ただけで可能かどうかは」

 わからない。己が今まで見てきた譜面はできたたけで、この世にはもっと難しい楽曲などたくさんあるのだろうから。

「これ、これは弾けますか?!」

 差し出された譜面を受け取る。真剣なまなざしで譜面を読み取る間にも薫の興奮は収まらないのか、早口にまくしたてていた。

「これ、独国でも最新鋭の楽譜ですの。お父さまにお願いして、やっと、やっと手に入って。もちろん山ほどのお説教付でしたけれど。それでも、お父さまの友人であった修雅さまのお宅ならきっと間違いないだろうって。歓迎してくださるなるようなら、まだこの国にいても言いと許してくださって」

「修雅さまの、ご友人?」

 初めて聞く事実に、紫子は楽譜を取り落としかけるほど驚いた。その様子に薫が、どこかきょとんとした眼差しを向ける。

「ええ、お伝えしていませんでしたか?お父さまと、兄さまのお父さまの修雅さまは友人同士で、お母さまとこの国で出会ったのですわ。お母さまが独国に戻られる時に、ちょうど駐在大使となったお父さまが付き添いをしたのです」

 頭の中で紫子がその人間関係を整理する前に、薫に急かされ紫子は再び楽譜に向き合った。

「これなら、幾度か練習すれば弾けそうです」

「まあ!本当に嬉しい。わたくし、この曲大好きなんです。歌うのも好きで、伴奏が無くても歌えるのですが、やはりピアノにあわせて欲しくて」

「そうなのですか」

 そんなに好きな曲ならば、と練習してみますね。とだけ言い紫子は白い鍵盤に指を添えた。

 ピアノを前にすると、紫子は不思議な気持ちになる。琴もだ。

 自分が、透きとおるように薄くなり、透明になって楽器を奏でるその音を出す仕組みの一つになる心地がする。

 拍手の音に我に返ると、薫が青灰の眼をきらきらと輝かせ、頬を興奮に染めていた。

「すごいですわ紫子さん。元の曲を聴いたことも無いのに、こんな風に弾けるなんて」

「ちゃんと弾けていましたか」

 ええと、こくこくと何度も頷かれるのに安堵する。ちょうどその時、開け放したままだった戸の向こうから、弥生が顔を出した。

「まあ、今の曲。歌劇の曲ではなかった?」

「そうですわ!弥生さん、ご存じですの?!」

「ええ、少し聴いたことがあって・・・・・・ああ、そうそう。ちょうどその演目が、帝劇で上演されているのよ」

 おっとりとした笑みで告げられた言葉に、薫の歓声が重なった。

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