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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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鈴の鳴き音と、翼の風音 *矢玉

 ようようと伸ばしかけた手は、途中でこぶしを作って止まった。

「だめだ」

 ぽつりとおとされた鈴の声。

 それに顔を上げるのと同時に鈴はその身をひるがえした。

 おりんちゃん、そう呟く声もむなしく。

 少しずつ小さくなる、その背。それを追うこともできずに。

「桐子、迎えに行かなきゃなぁ」

 首に手をやりながら山縣は呟いた。



 飛ぶように、まわりの光景が流れる。

 驚いたように道をあける町の人々に悪いと思いながらも足が、止められなかった。

 走りつかれて、その足が動きたくないと訴える。でも、立ち止まりたくは、無かった。

 少しずつのろくなっていく足は、いつしかただ歩くだけになっていた。

 気づけばそこは人気のない、神社。あかあかとした鳥居がいくつも連なっている。鳥居の両脇には、赤い前垂れの一対のお狐様。

「はは、馬鹿だろ。あの男・・・・・・」

 馬鹿だとは知っていたけれど。それでも。

「身分が、違いすぎるだろ・・・・・・っ」

 あっちは元お武家のお華族さまで。

 自分は、ただの町の茶屋の娘で。

 今は、一昔前と違って身分の差は緩くなっていると、世間はいう。

 財産さえあれば、平民でも華族のように暮らせる。けれど鈴には何もない。二親も、なければ成金のような財産もない。後見人になってくれるような後ろ盾もない。

 はすっぱな、ただの町娘だ。


「遊びってならともかく」


 生涯、なんて言って。


「妾になれってなら、ともかく」


 違う、わかってる。

 そんなげすなことを言う男ではないとわかってる。

 どこまでも、どこまでも、真っ直ぐで馬鹿正直な。

 そんな男の、本気で真摯な言葉だから、好きだとか嫌いだとかいうのを考える前に、鈴はただつっぱねることしか、出来ない。


 頭に浮かぶのは、あの凛としたあやめの花のような少女。


 山縣と共に店に来た、同僚の東郷とかいう軍人の許嫁だと言っていた、あの綺麗な娘さん。

 親は寺子屋の師匠で貧乏士族の出、そんな風に言っていたけど。それでも、茶屋にくる姦しい女学生たちよりずっと、品がよくて。

「育ちが、ものを言うってやつかねぇ」

 歩き方さえ、淑やかで。

 ぴんと背を正して座る姿さえいさぎよくて凛として。

 言葉使いだって。


 世が世なら、お武家のお姫さんだったお人。


 品なんてのは、金で買えない。そんなふうに良く言うけれど正鵠を得た言葉だと芯から思う。

 どこまでいっても庶民は庶民、武家は武家だと。

 その振る舞いで、わかってしまう。

 乾いた笑いが冬空に吸い込まれる。

 いつか、青年を傘で小突いた稲荷神社の軒先で、鈴はずっと座っていた。


***


 露わにされた赤くただれた傷跡をついとなぞられ、桐子はその背をびくりと震わせた。その反応が面白かったのか、総一郎のその眼が三日月のように細くなる。

 ぺたりとその手のひらを少女の背にあて、耳元に口を寄せる。吐息のような笑い声が耳朶をくすぐる。

「そういえば、この屋敷を訪ねたら、あの女の事を教える約束だった、な」

 素肌に触れる異性の手の感触に、桐子はそれどころではない。

「知りたいか?なぁ――――――」

 耳元の呟きに羞恥と怯えで真っ赤になっていた桐子の横で、ご、という何とも痛そうな音がした。

 ぱさりと己の背にかけられたのは、男物の黒い上着。

「なにを、やっているんですか!あなたは!!」

 見れば、青年はなぜだか頭を抱えて呻き、かたわらにはこの屋敷に桐子を連れてきた、使用人の青年が。

「お嬢さま!重ね重ね申し訳ありません!!」

 そのまま青年を引きずるようにして部屋をでる。桐子はぽかんとしてそれを見送った。

 ばたんと音を立てて閉められた扉の外からはなにやら騒がしい声が。

『なにしやがる、いってぇ』

『いいですか総一郎さま!普通年頃の女性があのような場に踏み込まれた場合真っ先に考えるのは貞操の危機なのです、それをわかっていらっしゃいますか?!』

『別に、見てただけだろ。何もしねぇよ』

『あなたがそう思っても、世間ではそうなのですよ!!あなたがそれに当てはまらない方だというのは重々承知していますが、少しはわきまえていただきたい!』

『お前な、異国なんかじゃ女の裸体描くために、裸で画家の前に立つような女もいるんだぞ』

『そういった職業の方々と華族の令嬢を一緒にできるわけがないでしょう!!だいたい、ことわりもなく婦女子の素肌をのぞくような男は、痴漢と呼ばれるのです!』

『ことわればいいのか?』

『総一郎さま!!』

 そんな騒々しいやり取りは足音と共に徐々に遠ざかり、聞こえなくなる。

 今の出来事は、なんだったのだろう。それと。


 ――――――『まるで、天使の翼をもぎ取られた跡みたいだな』


 あの赤い髪の美しい人と同じように、この醜い火傷を“天使の翼”と言いあらわした、人。

「総一郎、さま」

 女中が風呂の支度がととのったと、呼びに来るまで桐子は絨毯に座り込んだままぼんやりと考え込んでいた。




 湯を使わせてもらい、丹念に女中が髪をぬぐってくれるのにまかせ、桐子は見るともなしに部屋を眺める。

 逢崎のお屋敷は洋館だった。それになぜか桐子は驚き、自分で首をかしげてしまう。紫子と東郷の武家屋敷があまりに馴染んでいるからだろうか。なぜかあんなにも洋装の似合う紫子でもあるのに、ここが紫子の生家であると、しっくり思えない。

 所狭しと置かれた西洋の陶磁器の置物や、金の獅子のブロンズ像。派手な色合いの絨毯やカーテンが互いに自己主張し合い、不協和音のように反発し、全体としてけばけばしく感じてしまう。上質な西洋の物に囲まれてきた少女は、だからこそこの安っぽい西洋趣味に本人の自覚なしに違和感を覚えた。

 あの清楚な紫子にも、妖艶な青年にも似つかわしくない。

 物思いにふけっていると、ドアが軽い音を立てて叩かれた。

 現れたのは、あの使用人姿の青年。

 入れ違いに出ていく女中を見送り、宮彦は再び深々と頭を下げた。

「この度は、まことに申し訳ありませんでした」

 繰り返される謝罪に桐子のほうが慌ててしまう。

「あの、そう何度も謝らないでください。少しその、驚いただけですので」

 その令嬢のようすに勇気を得たのか、宮彦は幾度かためらったあと、真剣な面持ちで口を開いた。

「できれば、このことは内密にお願いできますでしょうか。厚顔な申し出でとは重々承知でございますが」

 あの方は、そう宮彦は言葉を継ぐ。

「あなたさまを貶めるつもりも、侮辱するつもりもありません。ただ少し、変わった方でして。世間の常識から少々外れた事を時々なさるのです」

 かばうようなその口ぶりにも、主を思う心が見て取れ、桐子は少し笑った。

「少しばかり驚いただけです。何も、心配しないでください。お兄さまにも、紫子さまにも言わないでほしいと願われるなら、言いませんわ」

 紫子さま、そう呟くと宮彦の顔色がさっと変わった。それに目を見張り、先ほど言われたことを思い出す。

「あの、うかがっても構いませんか?紫子お姉さまと総一郎さまは・・・・・・仲が、お悪いのでしょうか?」

 こわばる宮彦の顔に尋ねないほうがよかったと思ったが、言ってしまった言葉は覆らない。

「総一郎さまは、紫子さまがご自分をお嫌いだというようなことをおっしゃられていましたし、その紫子さまもあの、総一郎さまとあまり親しくしないほうがよいなどとおっしゃられて、その、いつもお優しい紫子さまらしくなくて」

 ああこれでは、ただの下世話な好奇心だと、自分の発言を少しばかり後悔する。

「そ、総一郎さまが、それを知りたければこちらを訪ねてくるようにと、先日言われて」

 それでも、気になってしまうのだ。あの両極端でいて、それでもどこか似通った二人の事が。

「あの・・・・・・答えられないのなら、それで結構ですから」

「いえ。総一郎さまが、そう仰られたのなら、わたくしがお答えします」

 眉に皺をよせ、真剣な面持ちで口を開いた宮彦の言葉に、桐子は言葉を失った。

「総一郎さまと紫子さまは、母君が違われるのです。総一郎さまが、奥さまのお子で、紫子さまの母上は藤乃さんとおっしゃる方でした。紫子さまは生まれて間もないうちに、この屋敷を母君と共に去られ、お二人は昨年までお顔を合わせた事すら、ありませんでした」

 忙しなく、白手袋に包まれた手を組み替える。

「紫子さまは、きっとこの逢崎の家を恨んでおいででしょう。藤乃さんはほとんどこの屋敷を追い出されたようなものでしたから」

「それで、お姉さまは、総一郎さまと、仲よくするなと?」

「いいえ、違うでしょう。紫子さまは公正な方です。きっと総一郎さまの振る舞いが、あの方を警戒させたのでしょう」

 無理もありませんが、そう瞳を伏せて宮彦は苦く笑う。

「総一郎さまは、突然現れた同い年の妹に、ひどく傾倒なさいました。総一郎さまの美意識に、紫子さまの存在はひどくうったえかけるものがあったのでしょう」

「美意識・・・・・・?」

「総一郎さまは、絵を描かれるのです。それはもう、すさまじいほどの才能で。それを自身でももてあますのか、奇矯な振る舞いを時々なさるのです」

 奇矯な振る舞い、そういわれ己の背中を見られたことを思い出し、肩をつかむ。この醜い傷を、天使と例えた、もう一人の人。

「あの方は、あの方独特の論理で動いておられます。だから、それが時に周囲を、己を傷付けてしまう。けれど、それがあの方にはわからない。わかろうとも、しない」

 哀れな、方です。そうそっと宮彦は呟いた。

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