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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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翼をもがれた天使のような *矢玉

 薄暗い、古びた茶屋の室内。兄と親しくしている女性がいると聞き、ぜひお目にかかりたいと勇んで出かけてきたのに―――――桐子は縫いとめられたように気だるげな風情の青年から目が離せなかった。

「僕たちは、しみずやさんが抹茶ぜんざいを始めたと噂を聞いたので。総一郎が食べたそうなそぶりだったから来たんですよ」

「誰が食いたいなんていった」

「そんな顔してたんだよ」

 不機嫌そうに椀に向かう青年。その子どもっぽい振る舞いに似合わない、妖しささえ感じるその白いかんばせ。

 この方が、紫子の兄弟なのだと。先日知ったばかりの事柄が、脳裏をよぎる。

 顔かたちは、少し似通ったところがあるように思う。美しく整った端正な姿。

 だが、清廉な、いつも凛とした風をまとっているような紫子とは、この青年はあまりにも違う。退廃的で、妖しげな。でも怖いからこそ見たくなるあやかし絵巻のような。

 うさんくさげな漆黒の眼を向けられ、桐子は我に返った。人を凝視するなど、あまりに失礼だ。

「にいちゃん」

 店裏から、小さな男の子が駆けてくる。

「おお、元気か一太郎。姉ちゃんはどうした?」

「ねえちゃん、さっきおばちゃんに呼ばれて出てっちゃった。おいらにその間、店番してろって」

 どこか誇らしげに言うのが背伸びしているようで可愛らしい。いつものようにわしゃわしゃと頭をなぜ、えらいなと言ってやる。

「しっかし店空けるなんて珍しいな。何か、あったか?」

「大工のおじちゃんとこの木材が風で倒れたんだって。それが道ふさいじゃって、けがした人もいるからって、ねえちゃん薬箱抱えてでてった」

 それを聞き、一気に山縣の顔が険しくなった。

「一太郎、場所どこだ」

「前に、もちつきやった神社の前だよ」

 よし、とひと声かけて立ち上がる。

「桐子、ちょっと待っててくれるか」

「え?!」

「きっと男手があったほうがいいだろ。知らない連中じゃないんだ。悪いな」

「いいえ、人助けなのですから急いで行ってください。わたくしはここで待たせていただきますから」

 悪いと繰り返し、ちらっと笑みをうかべ兄は店を出、いくらもたたないうちに雑踏の中に紛れてしまった。

「桐子さん、よかったら此処に座ってください」

 退屈でしょうとやさしく伊織に言われた。

「あ、ありがとうございます。失礼いたします」

 そっと引いてくれた椅子に座れば、総一郎とあい向かいに座ることになり、何やら緊張する。

「こっちは知っているかもしれないけど、逢崎総一郎。六鳴館で一度顔を合わせていますよね?」

「ええ。先日お会いしたときにも、ご紹介いただきまして。あの紫子お姉さまからも」

 ふ、と正面から嘲るような笑い声が聞こえ、桐子は驚いた。

「あの女から俺の話、聞いてんのか?」

「は、い」

 まさか本人に向かって“近づかない方が賢明だ”などと言われたと、告げることなどできず言葉を濁せば、ついと目を細められた。すべてを見透かすような、黒々とした黒曜石のような眼。

「想像つくさ。さぞや悪く言われてんだろな」

「お姉さまは人の陰口をたたくようなお方ではありません!!」

 つい声を荒げてしまい、はしたないと口元を抑える。

「気にしなくていいよ、桐子さん。総一郎の根性がひん曲がっているのはみんなが認めていることだから」

「うるせぇよ」

 そう言いながら、面白くなさそうに匙で白玉をつつく。急に興味を失ったような、子どもめいた気まぐれさ。

 気詰まりな沈黙が耐え切れず、視線を泳がせる。そこであることに思い当り、桐子は口を開いた。

「そうでした。伊織さま、紫子お姉さまの具合はいかがなのですか?」

 紫子は新年から体調を崩し、冬季休暇が明け登校が始まってもその姿を見せていない。風邪で寝込んでいると聞き、気をもんでいたのだ。

「あまり具合のよくないならばご迷惑かと、お見舞いにもうかがっていなかったのですが」

「ああ、それなら。大丈夫ですよ」

 伊織がやわらかく微笑む。見るものをほっと安心させるような、その笑みは兄である将臣に通じる。

「熱も下がって、今は念のために自宅で療養しているだけと聞いています。数日もすれば、女学校にもまた登校できるんじゃないかな」

「そうでしたか!・・・・・・よかった。本当に」

「もしよければこれから、東郷の家に来ますか?紫子さんもそろそろ退屈に思っているだろうし、お見舞いに」

「まぁ、よろしいのですか?」

 心から心配していたために、安堵のため息が震えた。

 ふいにがたりと正面からの物音に、びくりと肩を震わす。漆黒の眼が、自分を見下ろしていた。

「お前が家に帰るんなら、俺は先に出るぞ。適当に馬車か俥(人力車)でも捕まえろ」

「はいはい、宮彦くん。総一郎をお願いね」

 相変わらず気まぐれだなぁというあきらめめいた言葉を投げかけるものの、伊織は総一郎を止めようとはしない。それに桐子は瞠目する。

「あの、総一郎さま?」

 気づけば、その袖をつかみ引き留めていた。胡乱げな眼差しに、気後れしながらも必死に言葉を紡ぐ。

「あの、これから紫子さまのお見舞いに行くのでしょう?なぜ総一郎をさまは行かれないのですか」

「はぁ?」

 顔をしかめ眉をひそめた、心底理解できないといった顔をされてしまう。

「なんで俺があの女を見舞うんだ」

「えっと、ご兄弟、でいらっしゃるのでしょう?」

 ふいに唇が歪む。いたぶるような、嘲笑するような笑みに似たいびつな貌。

「確かに血はつながってるはずだがな、だからどうした?あいつは俺の顔なんざ見たくもないだろうよ」

「そんなことあるはずありませんわ。だってご兄弟なんですもの。病を得て、心細くなっている時こそ、身内の方が恋しく――――――」


「うるせぇよ」


 ぱしゃりという音とともに、冷たい衝撃が肌をつたう。

 総一郎、と慌てるような咎めるような伊織の声。それに振り返りもしない青年の姿。濡れた己の着物と髪。時間が、とまったような感覚。

「大丈夫ですか、お嬢さま!!申し訳ありません!!火傷などは?!」

 使用人のお着せを来た青年が己の前にひざまずく。そこでやっと己が湯呑の中身を頭からかけられたのだとわかった。

「だ、大丈夫です。あの、別に熱くはありませんでしたし」

 ぬるい茶が、頬をつたってぽたりぽたりと落ちるのが、他人事のように思える。

 驚きだけでいっぱいで、怒りも何もわいてこない。ただただなぜこんなことになったのかという疑問だけだ。

 ハンカチで拭うが、それではとてもおいつかない。着物の下の襦袢まで湿っている気がする。

 いくらなんでもやりすぎだ、そう言われ顔を上げる。伊織が珍しく顔をしかめていた。

「宮彦くん。馬車をお願いできる?」

「すぐにこちらに呼んでまいります。ですが、この店の前までは道が細く無理かと」

「うんわかってる。大通りの手前まで行くよ、それから東郷の家へ向かってくれる?」

「いえ!ここからなら逢崎のお屋敷のほうが近いですからどうぞこちらに。この季節にこのような恰好では、お体をそこなってしまいます」

 今は、一月の半ば。先日まで雪が積もっていたのだ。まだまだ寒さは緩む気配など、かけらもみせない。今日とて、昼間だというのに息が白くなるような寒さ。

 まことに、もうしわけありません。ふかぶかとそう頭を下げられ、桐子は首を振った。

「あの、わたくしが、何か気に障ることを申し上げたようで」

「とんでもございません」

 ひたすら恐縮する青年はそれでは急いでまいります、と告げ走っていく。

「不格好でしょうけど、どうぞ使ってください」

 差し出されたのは伊織のインバネス・コートだった。たしかにこんな濡れ鼠のようななりでは大通りなど歩けない。

 茫然としていた一太郎に兄への伝言だけ頼み、インバネスを頭からかぶって桐子はしみずやを後にした。


***


 総一郎の奇行には慣れているはずの逢崎家の使用人たちも、華族の令嬢に頭からお茶をあびせたのには度肝を抜かれたらしい。

 降るような謝罪を浴びながら、桐子が通されたのは客間の一室のようだ。急いで火を入れたらしい暖炉でちりちりとと燃えている。けばけばしいような派手な西洋風のたたずまいが、紫子とあの青年の印象にも、そぐわないちぐはぐな感じのする内装だった。

「いま、急いで風呂を沸かせています。まずはこちらにお召替えを。紫子さまのお召し物なのですが」

 そう差し出された矢羽根の着物は、確かに以前に紫子がまとっていたものだった。濃紫が海老茶袴によく映え、凛々しいと思ったのを覚えている。

 ありがたくお借りします、そうつげればとんでもないと再び頭を下げられ、困ってしまう。

 本当に不思議と、腹が立たないのだ。


 ただ、何故という疑問だけが、頭をくるくると回っている。


 ふいに小さなくしゃみが出て我に返る。物思いにふけるばかりに、しばらく時間がたっていたらしい。タオルで髪を軽く拭うと、帯に手を掛け、動作がとまる。

 ぎゅっと、肩を握り締める。

 ドアまで駆け戻ると、内鍵をしめる。

 それにほっと息をついて、帯を緩めた。蛇のように足元にとぐろを巻く帯の上に、しずかに着物をすべらす。

 襦袢の前をひらき、肩から滑り下ろしたその時。


「おい」


 低くも、高くもない、心地いい声音のはずなのにどこか心をざわめかす響きをどこかはらんでいる、声。

 後ろを振り返りかけ、息を呑む。

 窓の向こうに、あの青年がいた。

 悲鳴も上げられず硬直した桐子の様子にかまうことなく、しげしげと総一郎は桐子の背中に見入っていた。


 あかあかと残る、火傷の跡を。


 半裸を見られた羞恥より先にそれに思い当り、絶望にも似た思いがよぎる。慌ててしゃがみ拾い上げた着物を背にかぶせる。

 見られた、見られてしまった。この醜い傷を。よりにもよってあの憧れの人の、兄弟に。

「隠すな」

 いつのまに、部屋に入ってきたのだろう。冷たい風が吹き込む窓辺でレェスのカーテンが揺れている。

 勢いよく着物をはぎ取られ、いやと叫んだ。ただただ恐怖に身がすくむ。

「まるで天使の、翼をもがれた跡みたいだな」

 ぽつりと漏らされた呟きが、つかのま桐子の涙を止めた。

あとがき



総一郎君は窓から入りました。


セクハラ・・・というより痴漢ですね。


殴られればいいと思うよ!

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