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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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消えた鬼の子と姿の無い子 *奏嘉

薄暗い曇天に、草や水面を揺らす小雨。

ぽつぽつと不定期になる雨音が時間の流れを鈍らせているような錯覚さえ覚えさせて、頭がぼうっとする。


何日ぶりかの休日にも関わらず、青年は暇を持て余していた。


机に座りぼんやりとすれば、職業病なのか筆を握ってしまい嫌気がさして、青年は何となしに縁側に座る。



6月も半ば。

広すぎる日本らしい庭園の小川の縁には、彼の人を思わせる紫の花が少しづつ咲き始めていて、心が少し安らぐのを感じた。


彼女が、この屋敷で生活をするようになってから数日。


女学校にも、これまで通り通っているのだと聞く。

平日の昼間であるいまは勿論、この屋敷に彼女の姿は無い。今頃学業に励んでいる事だろう。


不自由さを感じさせないようにしつつ、自己満足ではあるが護衛も付けている。


(少しは、楽に過ごしてくれているだろうか)



それだけが、ただただ心配だった。



重たい倦怠感に、首をもたげると、冷たい木の床に寝転ぶ。

うとうととし始めてしまえば、ゆっくりと目を閉じ深い息を吐く。


(少し、無理をしたかな)


静かな雨音に、意識がぼんやりと遠のいていく。



『……、…』




(……あ)




『―――――――』



(あの声は、誰の声だったか)




懐かしい、女性の声が聞こえた気がした。



覚えている限りで、一番古いこの家での記憶。


古い仕来たりに雁字搦めの、文字通り息苦しい家。

それが由緒正しい武家の血を継ぐ、かつての東郷家だった。


当時の父は若く、その頃はまだ祖父が当主の椅子に鎮座していた。



若く凛々しい軍人であった父は、ある夜六鳴館の夜会にて美しい歌姫に逢い、若い二人は燃え上がるような、情熱的な恋に落ちた。


彼女の髪は美しいブロンド、その大きな瞳は透き通るような、青灰色をしていた。

もの静かな美しい大和撫子が集う夜会の中でも、人の目を惹きつける華やかな美しさは、群を抜いていた。異人と言う身でありながら、それをも枷だとは思わせない程に。

垣間見える無邪気さや誠実さも、父を惹きつけて離さなかった。



――――しかし時代は、今よりももっと、閉鎖的で窮屈だった。

凝り固まった仕来たりに、逆らうことすら許されない厳格な家。

そんな旧家で、異国の女との間にできた混血児の存在など、許される筈も無く。





『異国の女が、東郷家の嫡男の子を産んだ』



誰が漏らしたのか、そんな噂が華族の間に立ち、厳粛な祖父と祖母は憤慨する。


火の無い所に煙は立たないと、祖父は父にきつく問い詰めるが、彼女に一切の害を与えまいと父はしらを切りとおした。


しかし狭い社交界にて立ってしまった噂は、どうにか収集を付け無くてはならない。

祖父はあらゆる手を使い血眼になって母を探し、ついにある日、女給として働き身を隠していた彼女を見つけ出す。

ひっそりと親子二人で住んでいた長屋も特定され、少年は祖父の手によって強制的に取り上げられ、親子は引き裂かれた。


無理矢理に連れ帰られた東郷家で散々に罵倒された後、汚点を抹消すべく青く光る刀剣を迷いなく振り下ろされ、少年は首を斬られ瀕死の重傷を負う。

偶然にも帰宅した父に寸での所で救われ、少年はある条件を飲むことで一命を取り留める。



『一生この鬼の子を外に出さない事』



厳粛な東郷家にとって邪魔でしかない少年を、瀕死の状態でありながらも気に留めることなく祖父は汚物でも見るかのような目で見下ろした。




かくて、青灰色の瞳を持つ少年は座敷牢に幽閉されることとなる。



鈍く光る鉄格子に、僅かに匂う錆と埃の匂い。

日当たりはそれなりに良いものの、外界から殆ど遮断され、しんと静まった部屋。


暇つぶしにと父が与えてくれる本だけが、外からの情報だった。

父が訪れる他には食事の際にしか人は訪れず、食事の受け渡しも少年が通れないような小窓から。


相手の顔が見える事も、声をかけられることも無く、走って逃げていくような足音だけがいつもその小窓からは聞こえた。


その鉄格子が開けられることは殆ど無かったが、少年がそのことに対して泣きごとを漏らすことは一度としてなかった。


『鬼の子』などと蔑まれ、罵られた少年は、何故かどこかで納得していたのだ。


いつだって、少年の青灰色の瞳に映る皆の表情は一緒だった。

優しい笑みを浮かべてくれたのは、母だけ。

その、大切な母にさえ、罪悪感を感じていた。


(この目を開けば、皆の顔は曇ってく。母は、僕のせいで、窮屈に生きていた)



――――気付いて、しまった。


(知らないふりをしたままでいたかった)


そうできていたら、どれだけ楽だろう。

思い込み、誰かを恨む事で、きっと気は晴れていただろうから。

自分には罪が無いと、思っていたかった。



『アロイス』



懐かしく優しい、母の声。

懐かしい、異人らしい名前。

もう二度と、あの名前で呼ばれることも無ければ、あの優しく美しい母に逢うことも、叶わないのだろう。



ぽたりと、畳に何かが落ちる音がする。

はっと我に返ると、いつの間にか視界が歪んでいた。



(涙だ)



いつ振りだろうか。

少年は声を殺しながら、小さな膝を抱え泣いた。





幾年の月日が流れたある日、聞き覚えのない子供の声が小窓から聞こえた。


「だれかいるの?」


拙い、自身よりも幼いであろう少年の声。

少年は本を閉じると顔を上げ、小窓へと恐る恐る歩み寄る。


座敷牢に入ってから、父以外の人間から声をかけられたのは初めてだった。



「ぼ、くは」



零れてしまった声に、外の少年が嬉しそうに話しかけてきた。


「まさおみ、にいさん?」


聞き覚えの無い名前だった。

それでも、不審がられないようにと少年は肯定の言葉を返してしまう。


彼の名前は、「いおり」と言うらしい。



その日以降、その幼い少年は座敷牢を毎日のように訪れるようになっていた。

最初こそ使用人や祖父にばれてしまうと止めていたのだが、その幼子が訊く様子は無かったので、いつしか少年も諦めてしまった。


「いおり」は、時には花をくれたり、母が作ってくれたという香袋などを少年に与えてくれた。



(お母さん、か)



――――いつかの母の面影は、悲しい程に朧げになってしまっていた。


(僕は、薄情だ)



自責の念だけが重たく、少年の心を埋め尽くしていた。

涙は、遠い昔に枯れ果ててしまっているような気がした。



(だってあれから、流れない)





――――ある朝、外の騒がしさに目を覚ました。

小窓から、いつもの幼子と、聞き覚えの無い女性の声がするのだ。

どくどくと、恐怖に鼓動が速くなる。


(あの子が、罰せられてしまうかもしれない)


口を塞ぎ声を殺していると、幼子が必死に女性に何かを説明しているような声が聞こえた。


「なんてこと…どうして、そんな…」


困惑したような女性の声が聞こえたかと思うと、不意に声が遠ざかり、暫くして逆方向にある格子越しの扉の鍵がガチャガチャと鳴り始める。

時折掃除に来る使用人の様子とは異なるその様子に、体が小さく震えだ出した。


ガタンと一際大きな音がし、鍵が開いたのがわかると、少年は僅かに後ずさりする。


雪崩れ込むように座敷牢に入ってきたのは、見覚えの無い女性と、女性と同じ髪色の幼い少年だった。


「あなた、大丈夫?!」


しっかりと、目が合っている筈なのに、その女性は自身を気遣う言葉を第一声に発した。

鉄格子に駆け寄ってきた二人に驚いてしまいぽかんとしていると、不意にその後ろから聞き慣れた父の声がした。




「将臣」



(まさ、おみ……?)



何年ぶりかの父の姿は、白髪混じりになり顔には深い皺が刻まれていて、年を感じさせる風貌となっていた。

強い瞳はあの頃のままだが、どこか祖父に似ていて古い記憶が蘇りそうになり、僅かに恐怖を感じる。

少年が震える腕を片手で押えていると再び、父が口を開いた。



「出られるぞ、将臣。お前を閉じ込めておくものは、もういない」



(まさおみじゃ、ないのに)



「将臣って、あなた…」


驚いたように目を見開き信じられないというように女性は父を見つめる。

その様子と口ぶりにどうやら父の本妻であるらしい事を察すると、その足元にいる幼子はきっと嫡男であろうことを容易に想像することができた。



「将臣は、もう」


苦しげに表情を歪める女性は、どこか泣き出しそうな顔をする。


(…あ…)


突然大量に入ってきた情報に困惑し目を丸くしたままの少年を、父はその強い目で見つめると、厳しい口調で「将臣、良いな」と念を押した。



(ああ、今度は)



――――追いつめる様に、父が言葉を続ける。



「アロイスは死んだ」



何年か振りに聞いた、自分の名前。

それなのに、父は自分に、見ず知らずの人間として、生きろと言っているのだと理解する。



――――『鬼の子』は、死んだのだと言う。



「あなた、いまあなたがこの子に何を言っているのか、分かっていますか」


女性が、激昂した様に顔を赤くしながら声を荒げた。

きっと、優しい人なのだろう。



(だって、僕にも優しい)



そんな事をぼんやりと思いながら、震える自分の生白い手のひらを見つめる。

驚くほどに、少年の思考は穏やかだった。





「…それで、僕は、許されるんですか…」





何故そんな言葉が零れたのかは自分でも分からなかった。



でも、何故か。


いつだって償いたかった。



誰かをいつだって、傷つけているような気がして。



「アロイスが死ねば」



女性が何かを言いたげに口を開いたまま、茫然としている。

次第に泣き出しそうになるその女性の表情に内心驚きながらも、少年は言葉を続けた。



「僕が、立派に、将臣に、なれたら」






―――――父は肯定も否定もしなかった。


ただただ、無感情に自分を見つめているようだった。

そのことに、寂しいなどという感情すら感じなくなっていた。




それから、変わり切った外界で、期待も見限りもされていないのならと、ひたすらに努力した。


見ず知らずの『将臣』を築き上げる為に。





誰とも知れぬ誰かに、償えるならと。





「っ、」



――――――――不意に強くなった雨が激しく地を叩く音に目を覚ます。



どくどくと早まる鼓動と僅かに乱れた呼吸に、嫌な汗が滲んでいた。


ゆっくりと体を起こせば、深い溜め息を吐きながら額を押さえる。




(あんなこと、久しぶりに思い出したな…)




この間、彼女に話したからだろうか。

ズキズキと古い傷が疼くような感覚があり右の首筋を擦る。




「おかえりなさい、紫子さん!」




遠くに嬉しそうな弥生の声が聞こえ、想い人の名前も聞こえれば、不意に顔を上げる。




(―――――ああ、そうだ。あの人に出会って、初めて)




ゆっくりと立ち上がれば、その声の方へと歩を進めた。





(自分らしく、生きれたらと)




――――――貴女に『アロイス』を、認めてもらえたらと






(貪欲な事を、願った)


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