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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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【同調】                     

[名](スル)

1 調子が同じであること。同じ調子。

2 他に調子を合わせること。他人の意見・主張などに賛同すること。「彼の提案に―する」

3 受信機などで、特定の周波数に共振するように固有振動数を合わせること。……

庭に降り積もる雪に無惨に落ちる寒椿は、いつだって何処かさみしいように感じた。


深い雪の中沈むそれは、青年にとっては美しくもありグロテスクにも感じるもので、あまり好ましいものではない。


血を思わせる、そんな感想を持ったのは、自分が軍人であったせいかもしれない。


土に舞う血は空気に触れ醜く黒に近いが、何故そんなものに自分は例えようとするのだろう。


暫しの自己嫌悪のあと、青年は再び年賀状を書くべく真っ白なままの書状へと向き直った。


もう幾つ書いたのか、それすら覚えていない。

それでも、大した内容もなく気のない言葉達は幾らでも脳裏に浮かび、青年はそれをただしたためるだけだった。


(よくできたものだ)


他人事のように、そんなことを思う。

当主としての責務、毎年の事ながら骨の折れる作業も、休日に暇を持て余すよりは幾分か良かった。



「退屈は人をも殺すもの」で、恐ろしいものらしい。

悪友は悪友自らが落ち着きが無いのはそのせいだと、そう公言していた。




(今なら、それも分かる)




最近では彼女のいない時間が、『空白』であると感じるようになったのだ。


少しでも満ち足りれば、人間であればやはりもっともっとと欲が出るらしい。



ようやく何枚目かの一枚を書き終え、青年は機械的に新しいものを広げる。

迷いの無い筆は、男の文字にしては繊細な波を静かに描いていった。




―――――『雪が降る時期になると、いつもそう』


しんと静まる室内、勿論のこと今頃寝込んでいる筈の彼女の鍵盤を叩く音など聞こえない。



『藤乃が死んだのが、この時季なのですよ』



一度として見たことの無い、彼女の母君の姿。

彼の脳裏で何故か重なって見えたのは、激しく咳き込む美しいひと。




―――――きっと、彼女に似て『美しい人』なのだろう。




『…ぁあ、嫌ね。こんな私、本当に嫌だわ』



血管すら浮かびそうな白い手、その隙間から溢れる、あまりに鮮やかな真紅。

それでも気丈に笑ったのは強がりなのか、―――自らに対する優しさだったのか。



視界が涙で歪む、それすら煩わしいのに。



『大丈夫よ、大丈夫』



散り際にいっそう花弁を広げ、凛と咲く花のように。



散り際さえ、潔くも美しく。



『アロイス。泣くことなんて、何もないわ。だって、私はまだ歌える』



響くのは、微笑を浮かべ歌うように話す母の声だった。






(母が亡くなったのも、こんな時期だったのだろうか)




「………」




自身の、単調な息遣い。

さらさらと、筆が紙を滑る音だけが占める室内。



青年は、反芻するように幾度となくあの紅い花を思った。




(母は痛みも病も、幼い私には見えないよう隠してくれた)




―――――それでも染み付いたあの色、温度、その匂い。


想像の域を超える不安と恐怖は、幼い少年にとって堪え難いものだった。






貴女は、自分よりも聡く優しい人だから。



(紫子さんは、もっと辛かったのかもしれない)



自分は母を想い、どうか貴女の前に、貴女よりも先に死ねたら。

そんなことを思ったことだってあった。



『自分には、貴女以外に愛してくれる人がいない』



母の優しさが有難くもあり、真実から遠ざけられた『自分達』は―――――きっと、憎いのだ。









美しい『紅』など、幾らでもあるはずなのに。


(例えば、彼女の髪だって)


燃えるような、美しい『赤』。



彼女の存在は、無自覚でありながらも自身へと温かな希望を与え続けてくれる。

全てを報いていきたいと誓い、願うのに。



(私が、彼女にどんな言葉を掛けられるというのか)



薄っぺらな人間から吐き出された言葉に何の力があるというのか。





忘れさせる、そう望むのはあまりに軽薄だ。




それ以上に、乗り越えられるだけの、力を。




(どうしたら、私は)




止まった筆がその手をすり抜け、未だ白いその紙を汚しながらころころと転がった。




*******





「……勿論許してくれるなんざ、これっぽっちも思って無い」




男は数日後店に訪れ、真っ先に彼女の眼前で深く頭を下げた。




「…何で謝るんだい」



おかしいといったようにも、気に入らないといったようにも感じるその言葉に、青年は少しだけ顔を上げる。



「…俺は、鈴ちゃんや一太郎を傷付け続けた張本人だ」



彼女の父親を殺したのは自らの上司。

それを罰せなかったのは、無力なあの頃の自分。



どうしても、そんな自分の立場を見ない振りなどできなかったのだ。

この数年、幾ら悔やんでも悔やみきれなかった。






あの時、自らの胸を貫いた少女の姿。


自己満足とは理解しながらもどうしても、あの少女に謝罪がしたかった。








「本当、馬鹿」




彼女の声に、青年が胸の痛みに耐えるよう目を閉じ、唇を噛んだ。




―――――しかしその時、頬に感じたのは温かな感触。




「ありがとう、征さん」



予想外の言葉に目を見開き、青年は顔を上げる。




そこにあったのは、鈴の柔らかな微笑みと―――――頬に触れる、自分よりも小さな手。




「もう、背負わないでおくれよ」








それだけの一言に、一瞬にして思考が真っ白になるのを感じた。



走馬灯のように駆け巡る、軍人としての贖罪のような日々。




青年は頬に伝うその感触にさえ気付かないまま、少女の手に自らの手を重ねた。

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