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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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彼女の隣のもうひとりの面影 *奏嘉

真っ白な雪は、町全てを埋め尽くしてしまう。


幼い『少年』にとって、それはあまりに恐ろしいことだった。





幼い頃――――恐らく、五つにも満たなかったのではないだろうか。


そんなことでさえ曖昧であるというのも、自分が誕生した日を青年が知らなかった為である。


その頃もう既に多少の運動でさえ出来なくなってしまった母に無理をさせたくなかった少年は、ごく稀に深く布を被り町へと出掛けていた。


慣れない買い物を済ませながら、無論店のものに怪しまれることもあったが、その時は「火傷で顔が爛れてしまったため、醜い顔を晒せない」、そう嘘を吐いていた。



それは、物心付いてからこの国へと母と共に訪れ、初めての冬の日。

祖国でもあまり外に出られなかった少年にとって、町全てを覆い尽くしてしまう雪はあまりに恐ろしかった。



帰り道、見慣れたはずのその道でさえ、自分ひとりだけが取り残されてしまったような錯覚を覚えた。

孤独や不安が堪らなく恐ろしくて、必死に走って帰ったのを覚えている。



そんなことなど露知らず、母はいつだって上機嫌だった。



「ねぇアロイス、今年も綺麗に咲いたわ!」


羽織を肩に掛け薄着のまま外へと出た母は、その赤い花にそっと触れると自身へと振り返り無邪気に笑ってみせる。




Kamelieカメーリエ




――――零れ落ちてしまいそうな深紅の花は、母が特別な時にのみ差す紅の色にとても似ていて、美しかった。




「Schön(綺麗だね)」




見惚れてしまいぼんやりとそう一言だけ呟けば、彼女はいっそう微笑む。



「少しづつでもいいの。あなたにも、この国を好きになって貰えたら嬉しいわ」



少年は、母の温かな言葉に灰青色で虚ろなその瞳を寂しげに伏せた。



手元には、慣れない手付きで彼女の為にと作った祖国の味に似せたスープ。





―――――祖国に未練など、無かった筈なのに。



(あなたしか、僕を愛してくれないだろうこの国で)



昨日まで凄みを帯び華やかに咲き誇っていた筈の一輪。

あんなにも美しかったのに、その花は突然ぼとり、と音を立て雪の上、無残に散ってしまった。




(――――誰かを愛するのは、あまりに虚しい事ではないのか)




それとも誰かに愛されたいと願うのは、自分にとって傲慢なことなのだろうか。

祖国でも珍しかった自らの容姿、それを否定したいのは、人として当たり前のことではないのか。




諦めようと、何度も少年は葛藤する。

けれどいつだって母の微笑みは心からの慈愛に満ちており、少年の求める答えへと導いてはくれなかった。



少しだけ、恨んだりもした。



けれど今となっては、その事を感謝してすらいるのだ。



愛することを諦めきれなかったからこそこうして、最愛の人に出会えた。





***********





今となっては懐かしい鉄格子の前、青年は腰を下ろす。


屋根のおかげで、ちょうど其処には雪が積もらないことを青年はよく知っていた。



雪ひとつひとつが舞う度に疼く古傷は、熱を帯び僅かに温かい。




そこから視界いっぱいに広がる葉も落ちた紫陽花の庭。


その向こう、これもまた葉の落ちた小さなひとつの桜の木。



綿雪が枝を彩るのみで、やはり寂しいその姿は、形のない彼を想像させた。



(例えば俺ではなく君だったなら、紫子さんを泣かせないのだろうか?)



誰にかけるでもない言葉を小さな声で漏らせば、草むらから小さな黒い猫が顔を出した。




「…君は?」



不意に漏れた問いかけ。

しかしまるでその問いに答えるかのように、猫は「にゃあ」とだけ鳴いてみせた。




「……君なら、紫子さんを悲しませたりしないだろうね」



自然と笑みが零れて、青年はその子猫を抱き上げる。



「彼女の傍にいてあげてくれないかな。私では力不足だから」



それを理解しているのかはわからないが、再び猫はまだ高いその喉でひとつだけ鳴いた。



あんな表情をさせたまま、お祝いなど出来るはずもないのだ。




というか、どうにも落ち着かない。




青年は他力本願な自らを恥じながらも、痣だらけの腕を隠すと少女の元へと歩を進めた。

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