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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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天誅が下され無いならば、我らの手で *矢玉

「我々は、そのためにここまで来た」

 元々その軍人たちの評判はよくなかった。

 無意味に庶民に威張り散らし、遊郭にいりびたる。その金とて踏み倒すほどの、無軌道ぶり。緩みきった軍部の中でも苦々しく思われていたが、最も中心となる人物に財界に親族がいるらしく、なかなか上も処罰に踏み切れなかった。


 だが、さすがに例の事件とそれから派生した騒動で上も重い腰をようやくあげた。


 新聞屋が例の事件を書き、町中にばら撒いたのだ。

 ただでさえ、評判の悪い軍人のおよそ人とも思えない振る舞い。軍部に不満をもつ市民の間でそれは、紙に燃え移った火のようにまたたくまに広まった。

 極めつけは、その噂を知ったある人物がその男を諌めた事。それを、あろうことか酒に酔った男は偽善者と罵り、斬りつけた。

 ――――――その人物が華族であったのだ。

 政府からも軍部に厳しい叱責があり、泡を食った上層部はその男を軍法会議にかけること決め、その身柄は拘束された。

 やっと、という思いが山縣や将臣ら若い軍人や、一部の良識をもっていた数少ない上官の間に広がった。


 だが軍法会議にかけられるという前日、男たちは逃亡した。


 賄賂による内部手引きによっての脱獄だった。

 これ以上の醜聞を恐れた軍部は、それをひた隠しにし男たちは獄中で自害したと発表した。


 その後、戦のさなかその中に男を見つけた時、山縣の眼前は憤りで血色に染まった。

 何て滑稽で醜悪な茶番だ。

 政府に楯突いたと無辜の町人を切り捨てたやからが、ただ金欲しさに反政府側につく。

 主義も、主張も、誇りさえない、性根が腐りきった男。それを上官と形ばかりとはいえ敬っていた自分。

 初めて殺したいほど憎いという衝動をおぼえた。


***


 時は、少しさかのぼる。

 将臣はほんの二日程で床を払ってしまうと、叔父に剣の指南を頼んだ。

 今まであまり防御を意識して身につけずに戦う事しかなかったので、改めて今回の件でまずいと思い、剣の腕のたつ篤康叔父に願い出たのだ。

 断られることを覚悟していたのだが、意外なことに叔父は無言で指南役を引き受けてくれた。

 それを嬉しく思い半日ほど稽古をつけてもらっていたのだが、それを伊織と薫に目撃されてしまったのが騒動の始まり。

 防具を付けなかったので、この時将臣の体にはすでにいくつもの打ち合いでできた痣があり、薫の叫びを聞き駆け付けた紫子は再び蒼白となった。

「全く、怪我も治りきっていないというのに将臣さんたら。自重してくださいな。紫子さんが可哀想ですよ?篤康さんも篤康さんです。こんな状態の将臣さんをこんなに痣だらけにするなんて」

「しかし」

「しかしではありません。年配のあなたがその気配りができなくてどうするのです」

 流石に本家の妻である弥生には逆らえないらしく、渋い顔をしながらも並んで説教を受けるのが、なんだか可笑しかった。



 きっと仕事が溜まっているから、と説得して軍部に来たのだが此処でも大騒ぎになった。頭に包帯を巻き、顔や軍服の隙間からわずかに見える手や首に大量の痣の残るその凄まじいなりにまず二ノ宮が奇声を上げた。

 そして己の直属の部下の下士官達から口々に帰って養生してくれと懇願され、半ば強引に執務室を追い出されてしまったのだ。

 しかも、二ノ宮のお供付で。ちゃんと家まで送り届ける、という言い分だが内情は見張り番らしい。

 見た目ほど痛みはないのだが一同の『中将の平気は常人の平気の基準から大幅に外れております!!!!ッ』という叫びがまだ耳に残っている。

 馬車を用意すると言われたのだが、東郷の馬車はもう帰してしまっている。軍部の馬車を使うのは大げさだ、体がなまるから、ただ歩くだけだからと、これだけは譲らず徒歩での帰宅となった。

 大げさ程、心配顔の二ノ宮に正直うんざりするが、己の身を案じてくれているというのがわかるから邪険にはできないと思う。己の身などを案じてくれる者たちは、今まで気が付かなかっただけでこんなにもいてくれたらしい。

 帝都の煉瓦道を歩きながら、そういえばと二ノ宮に問う。

「山縣の姿が見えなかったが、休みなのか?」

「はい、あの・・・・・・山縣少将は『餅つきの手伝いしてくる』とだけ言い残され、早退なさいました」

「・・・・・・何をやっているんだあいつは」

 そういえばしみずやの近所の餅つきを手伝う事になった。そんな事を聞いた気がする。

 ならばと少しだけ道をそれ、しみずやの方へ足を延ばした。

「東郷中将」

 咎めるような二ノ宮のまなざしに、少しだけ笑う。

「さぼりの山縣の様子を見に行くだけだ」

 だからそんなに心配するな―――――そう続けようとした言葉は、最後まで口にすることなかった。

 もう二人のいる場所はしみずやのある下町へと移っている。異様な騒動のざわめきに、将臣の顔が引き締まる。厳しい顔で走り出した将臣に、慌てたように二ノ宮が続く。

 警察を、お役人を、そういう言葉が切れ切れに耳に届く。騒ぎの中心は、ある店だった。

 軍人二人の登場に人垣が驚いたように割れる。


 その先にいたのは、抜刀している山縣と汚れた身なりの浪人。


「何事だ、山縣」

「止めるな、東郷。この外道だけは殺さなきゃなんねぇんだよ」

 いつもの快活な風情とは全く違う、鬼気迫る山縣の顔は、戦場のそれに酷似していた。

 その異様な様子に、事態を把握しようと見回せば、浪人の顔に見覚えが。

「大佐」

 その声に気が付いたのか浪人は歪んだ顔を向けた。

「その異人じみた気味の悪い眼。貴様、東郷か」

 かつての上官。腐りきった言動と行動。己に下した人とも思えぬ命令は、いまだに脳裏に焼きついている。

 山縣の激昂の理由が分かった。だが。

「やめろ山縣」

「やめねぇよ。こいつはあの戦場で死んでたはずの男だ。ここで斬っても問題ねぇ」

「それではお前の気が晴れるだけだろう。私情を挟むな。身柄を拘束して、今度こそ軍法会議にかけるんだ」

「それでまた賄賂で抜け出させんのか?」

 まだ男に突き付けられた刃は下ろされない。ほんの少しだけ動かせば、その喉元を切り裂き男は絶命するだろう。

 あの時の、苦い思いが口の中に広がる。しかし。

「違う。もう、あの時の俺たちじゃない。それに・・・・・・ここでこの男を斬ったら、あの時の他の人間を逃がすことになるだろう。捕まえて、吐かせればいい。それこそどんな手を使っても」

 冷酷にひかる青灰の眼に射すくめられた浪人の顔が、屈辱に赤く染まる。

「貴様ら、かつての上官にむかってなんだその口の聞きようはッ」

 それに将臣が返したのは溜息ひとつ。

「大佐、あなたには複数の容疑により手配書が回っている。あなたは、すでに軍人でもないただの罪人だ」

「そんなもの、いくらでも取り消させて―――――」

「ひとつ、お教えしましょうか。今の私の階級は中将」

 驚きに歪む顔は、ひどく醜悪だ。

「そして山縣は少将。私たちは、あなたを裁ける力を手に入れた。かつての我々と、同じに思ってもらっては困る」

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