昏い視界、ただひとつ指すのは *奏嘉
「お前ッ、おかしいと思わねぇのか!」
あの日、先ず自分が責めたのは同期で旧友の東郷だった。
自分達の周りには、二人を囲むようにしてまるで苦虫を噛むかのように表情を歪め黙り込んだ同志が十数名。
「お前は、おかしいと思わない者がこの中に一人として存在すると思うのか?」
皆が浮かべる表情―――――それはあまりに、複雑で苦しげなものだった。
東郷の普段通りの冷静ささえ、僅かながらも湧き上がる怒りを隠し切れていない。
その当時、数ヶ月前に士官したばかりの自分達は、見習いとして細かな軍内部での厳格な規律を習ったり、上官から与えられる雑務をこなすのみだった。
東郷や山縣のように強い意志ひとつで前だけを見据えそれをこなしてきた者もいれば、憧れに憧れたその職場に胸を踊らせた新米軍人も少なくはなかっただろう。
しかしその日与えられた仕事だけは余りに異様な内容で、山縣はどうしても納得ができなかったのだ。
『このゴミを下町の大通りの中心に捨てて来い』
それは嘲笑を含ませたような声音、表情から発せられた上司の言葉だった。
ごとり、と重々しく嫌な音を立てる『それ』。
班の代表として呼び出された東郷の前に転がされた、一つの薄汚れた大きな袋。
灰色のその布の塊の所々には、泥や赤黒い染みが滲んでいた。
布越しにぼんやりと浮かぶのは、人の体を思わせるような窪み、丸みを持った姿形。
あまりに大きなそれは、どう見ても―――――どう想像を巡らせても、人の形を形作っていたものに違いなかった。
青年は形の良い眉を潜め疑問を口にする。
「何故、町中などに棄てるのですか」
例えばこれが罪人の遺体をであるのなら、普段通り河川敷の処刑場にて晒し者として吊るせば良いのだ。
もし戦火に散った同胞なら、遺族へとその大切な遺体を返してやればいい。
ならば果たしてこれは、誰だというのだろうか。
どちらにも当てはまらない町中に棄てるというその方法は、まるで何かに対する見せしめのようだった。
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―――――仕事の内容を友人に聞かされた青年は、直感した。
否、その上司が「秘密裏に殺めた人物」を知っていたのだ。
「あの遺体はッ、人助けをした義理深い人のものだ!!!」
掴みかかるように怒鳴ったその言葉は、誰に対してのものだったのか。
しかし自分達がその仕事を拒否しようとも、そんな雑務でさえこなすような代わりは幾らでもいたのだ。
それから二日後、遺体は指示通りに軍部から運び出された。
懐も潤い、浮き足立っていたに違いない。
袋に入ったままのそれを、訝しむようなものはその班には「いなかった」。
そうして遺体は、町の通りの真ん中に無造作に放られていたのが見つかる。
例の軍人はそれを粛清だとか天誅だと嘲笑しておきながら、やがて非難の的となれば一目散に軍部から逃走した。
町の皆が遺体を囲み嗚咽する中、その中心から少し離れた場所で、山縣は手を合わせた後、深く頭を下げ続けた。
「アンタのような人がまだこの国にいてくれてよかった」
弱々しく漏れたのは、感謝の言葉だった。
しかし堰を切ったように溢れたのは謝罪と、誓いの言葉。
そして、勇気ある行動に敬意を込めて。
その人と、深い関わりなどは無かった。
しかし普段下町に入り浸っている山縣は、知っていたのだ。
『瀕死の残党を匿った店の主人が―――――』
視界の端に、大人達に抱きかかえられながら「おとうちゃんにあわせて」と泣き叫んだ少女の姿が映った。
「どうしてッ、どうしてぇ…!!!」
―――――目を見開き、ぐっと呼吸が止まる。
その悲痛な姿は自らの腕を貫いた刀のように、その胸を貫いたようだった。