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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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地獄の鬼より、 *矢玉

 おっかさんが死んだのは鈴が十の時だった。


 一太郎を産んで、産後の肥立ちが悪くてそのまま床を離れることなく逝ってしまった。


 おとうちゃんが死んだのは鈴が十二の時だった。


 反逆者をかくまったとののしられ、むちゃくちゃに殴られた姿を見たのが最後。

 連れて行かれた先の牢獄で死んだと、それだけしか教えてもらえず。

 亡骸は、鈴には見せてもらえなかった。

 あまりにむごいから、そう言われて。


***


 鈴の母親は小町と呼ばれるほど別嬪だったが体が弱かった。

 鈴と一太郎の間にも幾人か兄弟がいたのだが、みな産まれることが無いか、産まれても大きくなれなかったそうだ。

 そんな母は一太郎を産んでまもなく、ろうそくの火をふっと吹き消すように静かに逝った。最後にやっと跡取りが産めて良かったと言いながら。

 まだ首もすわらない一太郎を抱えて母の今わの際の言葉を聞いた鈴は、この弟は死なせてはいけないと、いけないのだと思った。


『守ってあげてね・・・・・・大事に、したげてね』


 そんな母の言葉に、必死に言葉を返し冷たくなっていく手を、必死に必死に小さな手で握り締めた。




 それからは父と鈴と赤ん坊の一太郎、それに父の店に弟子入りした年上の従兄弟と一緒に暮らすことになった。

 頑固で“一刻者”と町内でも評判のおとうちゃん。けど菓子作りの腕も大したものだと同じくらい評判で、店は小さいながらもいつも繁盛。そんなおとうちゃんの背を追おうと、必死に仕事に励む気真面目なにぃちゃん。でも女手がないから、店はともかく家の中がまわらない。

 鈴は必死に家事をこなし、一太郎の面倒を見た。

 いかにも下町住まいといった世話焼きの近所のおばさんが、代わる代わる様子をのぞきに来て一太郎に乳をやり、家のこまごまとした家事をやってくれたが、赤子にはやはり手がかかる。

 幸いなことに一太郎は母の体の弱さを受け継ぐことなく丈夫だったけれど、それでもやっぱりその世話は大変で。一太郎が夜泣きをすると疲れて泥のように眠りにつく二人を起こすのが忍びなくて、玄関先で鈴は一太郎をおぶってあやした。

 そんな鈴がけなげだ不憫だと、ますます近所の人は色々手を貸してくれた。余り物だと、作りすぎたとおかずを届けてくれるおばさんたち。これで一太郎をあやすといいと、竹細工の玩具をくれた大工のおじさん。気晴らしにと、将来きっと役にたつからと、そろばんや字を教えてくれたご隠居。

 そんなあったかい手に支えられ生きるのは、大変な暮らしだったけど、つらいことも多かったけど、それも辛抱できるほど楽しかった。


 それが無残に崩れ落ちたのが、あの夜。


 夜分に激しく、怖いくらいに叩かれる木戸。その向こうにいたのは、傷を負った若い青年たち。

 厳しい顔をしたまま深く考え込んだ後、父はその人たちを家へと上げた。

 その事情は大きくなってから聞いた。

 今の政府に不満を持った、幕臣だった家の若者が集まり。御一新の後に冷遇された士族らが隊士と称して集まり起こした反乱。

 戦とも呼べないそんな事件は、たった一日で終わってしまったらしい。

 ただただ熱意に取りつかれた無軌道な若者たちは、その後のことなどまったく考えておらずある者は死に、生き残った者は散り散りになって逃げ延びた。

 鈴の家に来たのもそんな若者たち。そのさまが哀れで、父はかくまってやったらしい。

 けれどいくらも時を置かないうちに、政府の軍人がやってきた。大声で怒鳴り散らし、木戸を打ち壊し家を荒らして、反逆者どもを出せと吠えた。

 かくまった若者たちが見つかると、怪我を負った彼らをさらにさんざんに痛めつけ、かくまったものも同罪だと父も打ち据え嘲笑を浴びせた。

 嘲りを含んだ笑い声、いたぶるためただ己の気の向くままに与える暴力。聞こえた悲鳴と殴打の騒音。

 そんな様子に耐え切れず、家の奥に押し込められ表にはけして出るなときつく言われていた鈴は襖に手を掛けた。

 隙間から垣間見たそんな軍人たちは、地獄の鬼よりおぞましく思えた。

 そんな奴らの一人が血走った眼をぎょろりと動かす。


『反逆者の娘がいたぞ』


 子どもは関係ない、そう叫ぶ父の声。血だらけで、痣だらけでさんざんに殴られた、いつもは厳めしくもやさしい父の痛々しく歪んだ顔。

 とっさに口を塞がれた鈴の眼に焼きついた無残なその姿。悲鳴すら上げられずそのまま従兄弟に一太郎ともども抱えられ家から逃げた。

 父は数日後、骸になって帰ってきた。

 遊ぶようになぶるようにいくつもの斬り傷が残る、そんな無残な遺体だった、と。そんな大人たちの会話を盗み聞き、恐怖と怒りと煮えくりかえるような憎悪で体が震えた。

 大変な暮らしだった。でも、温かくてやさしい暮らしだった。

 それを、虫でも潰すように。畜生をもてあそんで殺すように。壊したのは、野蛮な軍人だった。


 “政府の者” “お国を守る偉い人” “命を投げ出す、覚悟を持った――――――”


 そんなの嘘っぱちだ。

 あんなのはただの人殺しだ。


***


 それからの暮らしは、いっそう苦しいものとなった。

 継ぐ店があるにも関わらず、従兄弟は鈴が十六になるまで実家へ戻らずしみずやへと残ってくれた。

 もういいと、十分だと言ったのは鈴の方からだった。

 従兄弟が実家に戻り店を継いだ後は、鈴がひとりで店を切り盛りした。

 一太郎の世話をし、店の仕込みをし、毎日くたくたになって眠る。

 なんとか姉弟ふたり、暮らしていけるだけの金は稼げた。一太郎は何も言わずとも店を手伝うそんな子に育った。そんななりが不憫で健気だと、可哀想なことをしていると時々思った。


 自分の事なんて、苦労なんて、何とも思わなかった。


 ただ、あの日々を壊した軍人だけは憎らしかった。

◆作中の士族の起こした反乱ですが、実際にモデルにした事件があります。しかし、あまりに適当な下調べしかしてないんで名前は伏せておきます;

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