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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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破壊された理想と純粋すぎた野望 *奏嘉

つから痛みを意識しなくなったのかは、定かではない。



もしかしたら、この首を掻き切られた時にだって、痛みなど理解できていなかったのかもしれない。

目の前に散る鮮やかな鮮血を眺めながらも、幼い自分はのたうち回る事も涙を流すことも無かった。

ただ呆然と、それを当然の報いであるかのように受け入れていた。



濁る視界の先、再び振り上げられた血塗られた真剣を、ただただ美しいとさえ思った。



青く光る切っ先は、自らを断罪するかのような美しさを、真っ直ぐと伸びた剣先は武士の生き様そのもののようで。



その強さや美しさ、危うさは、




きっと、「母」に似ていた。






その刀身を受けることによって罪が許されるなら―――――否、その剣に裁かれるというのなら、本望とさえ思ったに違いない。







いつからか、青年の身体は自らの「衝動」や「意思」のまま動くようになっていた。



それは言葉にしてしまえば至って当たり前の事だが、青年は動物の本能として当たり前である筈の「身を守る術」を何処かで邪魔な不要なものであると切り捨ててしまったのだ。



ある時は刀の切っ先を躊躇いなくその手の平で掴んだ。

またある時は、躊躇いもせず短刀をその身に沈めた。




痛みより、命より、優先すべく使命があるのだと、彼女に出会うまでは本当に思っていた。


軍人として在る以上、それ以上のものは無いと信じて疑わなかった。



例え命を落としてしまおうともそれは名誉の死であると、深く刷り込まれたその精神。




青年の痛みや苦しみに関する感覚は、恐らく他人よりも意識から遠くにあった。

それが所謂「仮面」のせいであったのだろう。



痛みに鈍いのは、軍人としては有難く、やりやすかった。



しかしその生き方のせいで今、大切な人を深く傷付け続けている。




青年は、文字通り頭を抱えた。





「……紫子、さん」




あまりに白い、少女のかんばせ。

病的な彼女も確かに美しくはあるが、そんな彼女の姿を自分が望むはずも無いのだ。




出来ることならあの太陽のように暖かく、月のように穏やかな表情で、いつだって笑っていて欲しいと、願うのに。





「……貴女を失うのは、こんなにも恐ろしいのに」





彼女の無防備な頬を利き手の左手で撫ぜる。

儚げなその感触がひどく切なくて、将臣は表情を歪めた。







彼女をここまで追い詰めた、自らの行動の数々。

周りの人間からすれば異常なまでの無自覚さ故に、どうしたら良いのか青年には理解できなかった。





「…本当に解らないんです、紫子さん」





彼女が眠っているが為に漏らしてしまった、本当に情けないその呟き。




不意に、将臣は自らの右の首筋へと右手を滑らせた。

毎日のように換えている貼り慣れた傷当てが、そこには当たり前のように存在し指先を擽る。

塞がっている筈の傷の疼きにももういつからか慣れてしまった。




(あの、祖父のような真っ直ぐで純粋な殺意にさえ)





――――慣れて、しまっていた。

それは、常人にはあまりに恐ろしいものなのだろう。





戦場で向けられた無数の殺意。

しかしそれは青年にとっては幼くから馴染んだ物に違いなく、微塵も恐怖など感じたことは無かった。

むしろ肌に馴染んでさえいたのかもしれない。








真新しくも無い自らの体に無数に残った深い傷跡。

それを見て、貴女が涙を零してくれたのはいつのことだったか。




彼女の涙する姿を見るのは胸が締め付けられる程に苦しいのに、その心を痛めてくれたという事実に酷く幸福な気持ちに包まれたような気さえして、本当に嬉しかった。





「…私は、最低だな」






握った拳に、青灰色の瞳から零れた涙が伝う。

青年の紺色の着物にひとつ、ふたつと涙の痕が残っていく。

紫子の体は、その凛とした精神に反して余りに脆く――――――青年は、喪失の恐怖に涙を零していた。





布団に沈んだままの小さな彼女の手を握る。

あまりに小さくか細くて、簡単に軋んでしまいそうな感触が恐ろしい。






「どうして、俺は…貴女を、泣かすことしかできない…」





掠れたようなその低い声は、虚しく室内へと溶けていく。






強く唇を噛めば、鉄の味が口内を染めた。







**********



乱世、と例えるのも、恐らく大方正しいのだろう。



時代の大きな変動の時期であったことも要因であったらしく、青年が仕官するより前から、大なり小なり、幾度となく国内では血が流れるような争いが起こった。


その度に経験もわずかな新米兵士達ばかりが戦場へと続々と駆り出され、命を落としていった。



勿論の事、将臣も仕官してから間も無く戦場に赴く事となった。




一度目は、地方の内紛に近いそれ。

その争いを止めるべく、青年や悪友である山縣を含む新米兵士一同は手に余る砲台や銃を持たされその戦地へと赴いた。



勿論、その戦場に青年達の所謂『上司』とされる上官は誰一人として存在しなかった。



きっと怖気づいたということもあったのだろう。

「そんな下らない戦争で自分の命などを賭せない」と、恥ずかしげも無く将臣の上官は新米兵士達の前で告げてみせた。




『それを越えてこそ、価値の有る命と思わんか』




あっさりと吐き捨てられた言葉。

それは、彼らを使い捨てであると簡単に吐き捨てたのと同じに違いなかった。

憤りと、失望。

兵士達の瞳はみるみる曇っていき、拳は純粋な怒りに震えた。




『幾ら貴様らが新米であろうとも、これだけの装備を持たせてやれば容易に勝てるような戦だろう』




机上でつらつらと気怠げに呟かれる言葉の数々。

知りも知らない人間を、意志を、とても対等とは思えないような強靭な力で捻じ伏せるその「虐殺」ともとれる行為に、皆が顔を見合わせ困惑の表情を浮べた。



無数の命を贄に、自らの栄光や功績の為にとその手を汚せというのだ。

それを光栄な事であるとでも言うかのように、上官達は小首を傾げてみせる。




『何、躊躇う理由が何処にあるのだ。出世の機会だ、皆心して励むといい』




決して軍人として仕官しながら、人を殺めることを回避していけるなどと甘い考えでいたものなどいない。


しかしその勝利は、「采配を奮った」とされるであろうその上官の功績となるだろうことをその場の誰もが判っていた。


その為の、ただ軍資金だけは掛かったのであろう周到すぎる装備。




(こんなものの、為に)





皆、何処かで絶望したに違い無かった。

ぐうの声も漏らせず、新米兵士達は唇を静かに噛み瞳を歪める。




ただ一人の青年を除いて。







**********






「好機だと思わないか?」







遠く、山脈の向こうから上がる戦火の黒い煙を見据えながら青年は呟いた。




青年から声を掛けられたのは、旧くからの悪友である山縣。





「………ああ」




山縣は青年の横顔を見上げた後、その質問の意味を理解し同じように山脈の向こうを見詰めた。





「この機会を利用しない他は無いだろ」







これから戦場へと向かう新米兵士達は皆、軍学校時代から二人が纏め上げて来た同期ばかりだった。





その新米兵士達でしか構成されていない軍隊。

二人が動かし易い人間達でのみ敵兵を迎え撃てるこの機会は、二人からすればどう考えても出世への足掛けであり、あまりに出来すぎた舞台だった。




その時の二人には、同じ道筋が見えていたに違いない。




「俺には、為すべきことがある」




凛とした声で将臣は静かに呟く。

静かなる野心は、同年代にしてはあまりに珍しいそれだった。





「俺だって、こんな場所で腐ってやろうなんて気は更々無ぇさ」




山縣は普段の飄々とした表情から一変、その顔から一切の表情を失くし目を細め、軍帽を目深に被り直す。





「あいつらを醜く肥えた豚なんざの刀の錆になんかさせてやるものか」




慈愛に満ちた山縣のその戦場には似つかわないような台詞に、おかしいと言った様子で将臣は静かに笑った後深く頷いた。






「皆で国を変えてやる為に私達はここにいるんだ」





目に見えた、―――――それでいて、偉大なる功績を。




「解るだろ。……欲深いくらいが良いんだよ」




でなくては、全てを怠惰な害獣に掠め取られ搾取されてしまうのみなのだ。






山縣は、その薄い唇を歪める。



この戦場で、勝利は勿論のこと手にするつもりだ。

しかし仲間を一人として捨て駒になどする気はなかった。




上官とされる人物達の中で、真の英傑と称され、人々がその背を追うのはほんの一握りの人間だけだった。





それ以外の怠惰で私欲を貪るだけの家畜等しい上官達を超えてしまうのは、2人にとってあまりに容易い。





「今までの命は無駄にさせない。…奴らに、…目にものを見せてやる」




向けられた二人の怒りは、全て敵軍に対するものではない。




将臣の言葉が終わると同時かそれよりも早く、二人は手綱を強く握り直すと自身の馬へと鞭を奮った。




*******




今まで経験が少ない新米兵士達がただ無駄死にするだけの戦い方でしかなったその戦場は、突如として形勢が逆転した。




戦場に現れた、傷をも恐れず命をまるで投げ出してしまったかのように進む様、そしてこの国の人間らしくない風貌の青年。



その異様な恐ろしさに、やはり人は青年を『鬼』と呼んだ。




微塵も無駄の無い指示と、統率の取れた『軍隊』。

二人の手足のように自在に動く新米兵士であるはずの年端もいかぬ青年達の怒涛の勢い。



そして『鬼』の、命を刈り取る為だけに振るわれる真剣の太刀筋。




無慈悲な視線は、敵軍を震え上がらせるには十分すぎた。





三日三晩を要して、その戦いは終焉を迎える。





前代未聞の、――――最小限に抑えられた犠牲者と、終戦までの日数。





そうして、二人は手に入れた。

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