声なき、泣き声 *矢玉
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喉の奥で悲鳴がはじけた。
力の抜けた青年の身は、紫子の腕で支えきれずにそのまま一緒にずるずると腰をついた。
肩から片腕をつたい落ちた真紅が、血だまりとなって地面にこごる。
少女の身にまとう淡緑の着物がみるみるうちにその血で濡れぼそっていく。
いくら呼びかけても、その青灰の瞳が現れることはなかった。
「早くッ、お医者様を」
その呼びかけに、茫然とするしかなかった周囲がにわかに慌ただしく動き出すのに、紫子は絶望したような眼をむけた。
早く、早く。お願いだから、早く。
どこか遠くで、小さな泣き声が聞こえた気がした。
いとけないほど細い、細い、子どもの声。
どうしてもこらえきれなくて、痛々しいほどの哀切がこもった、泣き声。
ぼんやりとした世界は、数度瞬きを繰り返せば視界を取り戻す。
格子細工の天井を見上げ、なぜ天井を見上げているのかと将臣は不思議に思う。
頭が働いていないなと、自分に自分で苦笑したくなった。
目覚めたからか、冬の冷たい空気が感じられ寒さに身がすくむ。ただ片手だけが妙にぬくくてそちらに目をやれば、鮮やかな真紅が。
「・・・・・・紫子、さん?」
はい、と吐息のような声で応えられた。その飴色の瞳の端に光るものを見つけ、くせのようにその白い頬に手を伸ばす。
「目を、さましてくださって。本当に、よかった」
頬にあてられた手に、自らの両手を重ね包み込むようにする。
安堵の表情で泣きながら笑う少女の姿。
頭が働いていないながらも、少女が微笑んでくれたのが嬉しくて将臣も少し笑う。
そして、その身がゆっくりと崩れ落ちるのに、驚愕した。
「紫子さん?!」
慌てて身を起こそうとしたが肩と頭に走った激痛でそれはかなわなかった。
白い顔をしながら大丈夫です、と紫子が小声であえぐように呟く。
「安心して少し、気が緩んで。めまいがしただけですから」
力なく微笑まれ、一気に働き出した頭が少女のその様子を見てとる。
いつにもまして白い頬、乱れた髪、少し浮かんだ隈。
「紫子さん?どうしたんですの?」
襖の向こうからかけられた薫の言葉に、将臣は切羽詰った声で応えた。
***
「兄さまが悪いのですわ。騎士の決闘も大事ですけれど、あんな怪我されるから紫子さん、とても心配して。兄さまが寝ていた間、枕元で看病していてほとんど離れ無いばかりか、食事もほとんどできなくて。心配で、喉を通らないのでしょうって弥生さんが言っていましたわ。そんな様子が見ていてとても痛々しくて」
「お医者さんはね。怪我自体はそんなにひどくないし、処置も早かったから問題ないはずだって言っていたんだけど、兄さんなかなか起きなくて。それがまた紫子さん心配だったみたいで」
心当たりある?そう聞かれ頭を巡らせてみれば。
「・・・・・・少し、寝不足だったか?」
最近、軍部での責務に追われたり東郷の分家に話を通したりと、色々なことを一度にこなしており、少々疲れがたまっていた、のかもしれない。
それを告げれば、弟と妹に同時にため息をつかれてしまった。
「あのね、兄さん。兄さんはすごい人かもしれないけど人間なんだから限界はあるんだよ?それにさ、今年に入ってから何回目だっけこういう流血沙汰。ああ四回目?かな。いや五回目だっけ」
それに驚いたように薫が眼を見張る。
「まぁ、兄さまはそんなに怪我を?」
「うん。兄さんはあんまり自分の怪我には頓着しない人だから」
その言葉に薫の金色の眉が跳ね上がる。
「いいですか、アロイス兄さま!こんな、こんなことが続いたらこちらの心臓が持ちません!わたくしでさえそうなのですからあの紫子さんがどう感じるのかぐらい考えて、自重してください!!このままでは紫子さんのほうが先に倒れてしまいます」
燃える炎のような怒りに耳が痛い。
さらに、そうだね、とどこかのんびり伊織が言った言葉に打ちのめされる心地がした。
「現に今も紫子は寝込んでいるからね」
あの後すぐさま薫が呼んだ女中にほとんど抱えられるようにしながら部屋を後にし、今は自室で横になっていると聞いた。
「こんな調子じゃ、軍人の兄さんは大丈夫でもかよわい女の人の紫子さんの方が先にまいってしまいそうだよね」
弟と妹の言葉が非常に耳に痛い。血など一滴もつながっていないはずなのに、妙に息の合った伊織と薫の小言。それに将臣はだいぶ打ちのめされていた。
「まず紫子さんを大事にしたかったら、自分を大切にすることです!!」
金の髪を揺らし、薫は胸をはってそう言い切った。
***
あとがき
たぶん将臣さんが寝てたのは1日ぐらいだと思われる。けど1日でも心配しながら食べないで看病してたら憔悴するよね!・・・ね?