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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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刃のきっさき *矢玉

紫子が息を切らせて玄関へたどり着くと、そこには立派な風格をした初老の男性がいた。髪に白いものが混じりながらもその炯々とした眼差しは、厳しくすこしも年齢などかんじさせない。

 その瞳が紫子をとらえ、ついと細められる。

「それがお前が妻にと望んだ娘か。噂の通りの、醜い髪だ」

 紫子の顔から表情が抜け落ち、将臣のその顔は冷たい微笑に彩られた。




 いつかこういった事態を迎えるという覚悟はあった。

 成篤叔父や、弥生夫人、義父になる修雅のようにこの自分のこの異形の成りを東郷の親族すべてが、受け入れてくれると考えるほど、紫子はおめでたくはない。


 でなければ青年が、あの座敷牢に幽閉されることなどなかったはずだ。


 慣れているはずだ、と心を落ち着ける。

 この涙が出るほど暖かな、守られた場所に来る前は、それが当たり前だったのだ。

 石の礫をぶつけられたこともある、髪を鷲づかみにされ罵られたこともある。

 それでも、自分は折れるわけにはいかなかった。

 気丈に、生きよと母は教え諭してくれた。

 だから紫子は背をただし、深く頭を下げる。

「お初におめもじつかまつります。桐生紫子です」

 けがらわしいとも言いたげな視線にも、紫子は静かな目を向けただけだった。

「これ以上の問答は無用でしょう、篤康叔父。前庭にてお待ちください」

 支度をしてまいります。そう告げる将臣の後ろに紫子は自然と続いた。その際、篤康と呼びかけられた男に目礼をしたが、見事に一瞥もされない。

「アロイス様、あの篤康さまとおっしゃるかたは成篤叔父上の?」

「ええ、弟にあたる人です。あのとおり、私のことを気に入っていない」

「・・・・・・そう、ですか」

 きっとおそらく己も、この東郷の嫁になるということを認められていない。

 だからこそのあの態度だ。

 うつむくと、さらさらと赤毛が肩から頬に落ちかかる。その鮮やかすぎる、真紅。

 恥じたことは、ない。しかし――――――

「そういえば、お庭で何をなさるのです?」

 客間に通すのが普通であるはずであろうに、青年は庭へと告げた。それにあっさり将臣は答える。

「篤康叔父と、立ち合いをします」

 紫子の顔から一気に血の気がひいた。

 先ほど、ちらりと見えたその手には、黒漆に光る刀が。

「・・・・・・私のせいですか?」

 消え入りそうな声で落とされた言葉に、柔らかく将臣は微笑む。うつむいてしまった少女。その白い頬に手をやれば、しばしの時をおいて紫子は顔を上げた。その瞳には悲痛な色がにじむ。

「私自身のことを含め、いつかはあの叔父と決着をつけねばならないと思っていました。今が、その時というだけですよ」

 その痛々しい色を消したくて、慰めるように、優しく言葉を紡ぐ。

「篤康叔父は見ての通り、頑迷な人です。ですがだからこそ、一度勝敗をきっすれば何も言わないでしょう」

 巌のように、水をも通さぬかたくなさ。

 一度誓ったことを、翻しはしない。文字通り“武士に二言はなし”という生き方。

 だからこそ。

 幾度か息を呑み、肩で大きく息をした紫子は、唇をかんだ。

「今ほど私に母ほどの腕があればと思ったことはありません」

 その言葉の意味が分からず、将臣は面食らう。それに気づかず紫子は言葉を続けた。

「私に母ほどの腕が――――――薙刀が達者であれば、私が立ち合いを申し込ませていただくこともできたのに」

「・・・・・・紫子さんは時々すごいことを言いますね」

 自分を認めさせるために、大の男に挑んでいく。その心意気を称して言ったのだが紫子は違う受け取り方をしたらしい。

 飴色の瞳できっと将臣の顔を見上げる。

「確かに私の武術体操の成績は丙ですが、それでも自身で始末をつけたいと思ってはいけないでしょうか?」

「いえ、思い違いをしないでください」

 流石、と思っただけですよ。微笑んでその艶やかな真紅の髪を撫でる。そっと抱きよせても今度ばかりは紫子もすんなりその腕の中へと納まる。

 ご武運を、そう囁くように告げられた言葉が嬉しかった。


***


「今生の別れは済んだのか?」

 たすきを掛け、庭へと赴いた将臣を出迎えたのは叔父のそんな言葉だった。

 遠回しに切って捨てる、そう告げられても平然と返す。

「そんなもの必要ありませんよ」

 どこか以前とは違うそのたたずまいに、篤康はしばし眼をすがめた。

「立ち合い人は、どうするんです?」

「いらぬだろう」

「では始まりの合図だけ、紫子さんにお願いしましょう」

 女中と家人に囲まれ、奥歯を噛み殺しながら二人の様子をみていた紫子は驚きに目を見張ったものの静かに一歩前へと踏み出した。

 将臣と篤康、二人が鞘に手を当て構える。

「――――――始め」

 少女の澄んだ声が、冬の風に響く。

 同時に抜刀された真剣が、冬の鋭い陽を浴び光る。袈裟懸けに斬り下ろされた篤康のその刃を、抜刀の勢いを殺さず受ければ、耳障りな音を立て、鋼が鳴る。

 鍔で受け、そのまま押し込もうとしたが難なくいなされてしまう。

 さすが当代一、と謳われた腕だと将臣は冷静に考えた。

 技の冴えは、きっと叔父のほうが上であろう。

 だが若い分だけ力はきっとこちらが上だ。それに長く剣を振るえば、きっと勝機はこちらに。

 それを読み取られたのか、叔父の唇が歪む。

「そんなざまでは倒せても」

 認めさせることはできない、か。

 やはり一筋縄ではいかないなと頭の隅で考え、いまひとたび一歩踏み込んだ。




 打ち合いのかん高い音が鳴るたびに、紫子の身がすくむ。それを恥じる気持ちはあるが、模擬戦ではないのだ。真剣を用いた立ち合い。それどころか、刃を潰してすらいない。

 授業で行う木の薙刀ですら、眼前に迫れば恐ろしい。

 紫子は、運動が不得手だ。しかし、眼前の二人の立ち合いが尋常の腕ではないとくらいはわかる。

 拮抗した力を持つ者同士の、馴れ合いなどではない殺気のこもった刃のやり取り。

 払われた刃が青年の額のはじをかすめ、紫子は悲鳴を呑みこむ。

 流れた血が、青年の顔を伝いその眼に流れ込む。

 血が、入ったのだろう。片方の視界が真っ赤に染まる。

 これでは片目が役に立たない。

 そこを好機と思ったのだろう。いっそう鋭い踏み込みで篤康の刀が迫る。

 将臣はそれをほとんど避けなかった。命を奪うきっさきはほとんど首筋をかすめるように撫で、肩を切り裂く。

 一瞬の躊躇もなく、踏み込む。

 衆目すべてが息を呑んだ。

 青年の刀が、篤康の首筋にぴたりとあてられていた。


「――――――そこまで」


 かすれた、だが威厳に満ちた声が静寂を打ち壊した。

 肩を弥生にあずけた修雅が、そこにいた。


「篤康。もう、満足しただろう」

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