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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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夢と現の境目 *奏嘉

異国を意識した薔薇の庭園に白を基調とした豪奢な洋館。

馬車から降り立つのは浮足立つドレスの淑女に、仕立ての良いスーツを着た東洋人。

鉄で作られた柵の門を潜ると、其処は『別世界』と言っても過言では無いほど、些か不思議な世界が広がっている。



少女は未だ微かに覚束無い足取りで馬車から降り立つと、着慣れないドレスの裾を踏んでしまわないよう気を配りながら少しづつ洋館へと歩を進める。

逢崎子爵と夫人、口の端に絆創膏を貼った異母兄とその付き人は少女の前をどこか落ちつかない様子で歩いていた。


――――庭園を占める強い薔薇の香りに少し目眩がした。

慣れないコルセットの締め付けのせいか、少し頭痛もする。



(顔が、引き攣らないと良いけれど)



同伴している異母兄がニヤニヤとその様子を眺めているのが目に見えて解り、あくまでも視線を移さないよう気を配る。

陰鬱とした気分を振り払い、少女は穏やかな表情を浮かべ挨拶を交わす。

自信や気品に溢れた淑女達の一つ一つの動作や微笑みには歪みがない。

感心しながらやっとのことで洋館の入口へとたどり着くと、見慣れた背恰好の青年がスーツ姿で逢崎家の一同を穏やかに微笑みながら迎えた。


「ようこそ、御出で下さいました。逢崎殿」


恭しく左胸に手を当てると青年は洗練された動作で会釈をする。


子爵と夫人はそわそわとした様子で感謝の言葉を青年に掛けると、握手を交わした。

少女の背後で異母兄の舌打ちと、それを叱る付き人の声が聞こえる。


「このような素敵な夜会にお招き頂き光栄です、東郷様」


少女がお嬢様らしくドレスの裾を少し摘まみながら頭を下げる。

青年は少女の姿を改めて目に留めるとひとつ息を飲んだあと、僅かにはにかみながら微笑みを浮かべた。


「こちらこそ。…洋服もよくお似合いです、紫子さん」


礼儀正しく礼を言うお嬢様の背後で、虫唾が走ると言うように盛大に眉を潜める総一郎の顔が見えると青年は小さく笑い静かに歩み寄る。


軽い挨拶を交わしながら握手を交わすと、青年が不意にぐっと腕を僅かに引いた。


「―――その絆創膏、スーツには合わないね」


低く囁いた後ぱっと離れれば不思議そうにする4人を他所に総一郎が苛立ちに顔を歪め、青年はにこりと笑みを浮かべた。


「今宵は無粋な事は無しでお願いします。逢崎殿と御夫人はこちらへ。先ずは皆さんに挨拶を致しましょう」


青年は子爵と夫人を連れ華族の集まるホールへと向かうと顔見知りである華族達と談笑しながら子爵の紹介をし回り始める。


紫子と総一郎、その付き人は後に続きながらその様子を眺めていた。

―――――――――異母兄は、不気味な程に静かだ。



その異様さに不意に紫子が顔を上げ異母兄の表情を垣間見上げると、少女はぐっと息を飲む。

僅かに俯いたその顔には、暗く歪んだ冷たい笑みが浮かんでいた。


「……どうやって、あれを崩してやろうか」


ぼそり、と掠れた声で呟かれたそれに、小さく肩が跳ねてしまう。


それに気付いてか気付かずか、不意に異母兄は紫子と視線を絡めると「なあ」と歪んだ笑みを深めて見せた。


どっと嫌な汗が滲むのを感じるが、それを悟られないよう聞こえないふりをし少女はゆっくりと視線を外した。


(この人は)



気に食わないのだ。

裏表も無く誠実な、あの青年が。



歪んでいる、と少女は本能的に直感した。


衝動的な恐怖に、少し早足に少女は青年の傍らへと移動する。


「……紫子さん?」


その様子に気付き青年は少女へと視線を移すと、強張った表情とただならない雰囲気に少し目を見開いた後、別方向を向いたまま微動だにしない総一郎を見た。


何かを悟ったように青年は小さく息を吐くと、ちいさな少女の手を掬う。

びくりと少女の肩が跳ねると、青年は静かな動作で少し屈み少女と視線を合わせた。

驚いたように自身を見る少女に穏やかに青年は微笑むと、落ちつかせるようにその小さな頭を撫でる。


「…紫子さん、テラスへ出ませんか?逢崎子爵は、もうあの様子なので大丈夫です」


新参者への新鮮味や興味に、逢崎子爵は大勢の華族達に囲まれている。

その対応にいっぱいいっぱいになっているために寧ろ自分達がここにいることは邪魔であると告げると、青年は飲み物を二人分貰い半ば強引に紫子の手を引きテラスへと出た。





―――――頬を擽る冷たい風が心地いい。

煩わしいまでの喧騒からもやっと離れることが出来、少女はひとつ息を吐いた。

その様子に青年は安堵したように微笑むと、少女に持っていたレモネードを渡す。


「浅はかでした。貴女を、苦しめるなんて」


青年は静かに謝罪をする。

少女は咄嗟に「違う」と首を振るも、僅かにぐらつく視界に危機感を感じテラスの縁に手をついた。

その様子に気付いた青年が少女の肩を咄嗟に支える。


(まずい)


――――――――――このままでは。



白んでいく意識に、いつかの青年が将臣の姿と重なる。



(……あれは、)


暗転した視界に夢か現か、朧げな記憶が過った。



「紫子さん」



最後に聞こえたのは、聞きなれない強い声音の青年の声と、きっと自らの手から零れたであろうグラスの割れる音。


そして、温かい腕に抱きとめられる感覚。


――――――――少女は、そのまま意識を手放した。




――――目を覚ますと、見慣れない細かな格子状の天井が見えた。

穏やかな鳥の囀りと、聞き慣れない小川が流れているような静かな水音が鼓膜を擽る。



(ここは……?)



次第にはっきりとしていく意識に、一気に我に返ると勢いよく体を起こした。

見慣れない部屋をぐるりと見回した後、自身を包む肌触りの良い着物に気付く。

逢崎子爵の屋敷では無い事は明らかで、少女は尚混乱した。


(六鳴館で舞踏会に呼ばれて、それから…)



テラスへ出てからの、記憶が無い。



不意に障子に人影が映り、小さな肩が跳ねる。

影を見つめていると、紫子の影に気付いたのか障子越しに聞き慣れない女性の声が響いた。


「紫子さん?お目覚めかしら」


穏やかで上品な声音に少し緊張しながらも少女が「はい」と応えると、ゆっくりと障子が開いた。



夜露に濡れたような黒く長い髪に、髪と同じく深い漆黒の瞳。

年を重ねていることを感じさせるような、落ちついた雰囲気の美しい女性がゆっくりと部屋に入ると紫子の傍らに座る。



穏やかな微笑みを浮かべると、女性は不意に口を開いた。


「気分は如何かしら?驚かせてしまって御免なさいね。初めまして、私は東郷弥生と言います。将臣の母です」


(東郷……)


少女は合点がいったようにもう一度部屋を見渡すと、女性に向き直り正座し直し深く頭を下げ挨拶をする。


「あの、私……、逢崎紫子と申します…」


目覚めたばかりのせいか拙い口調になってしまい、僅かに後悔するもそんなことは気にしないというように弥生は微笑んだ。


「ええ、聞き及んでおります。貴女が、紫子さんね。なんだか解る気がするわ」


意味深ともとれる言葉と笑顔に紫子は小首を傾げるも、はっとしたように弥生を見つめ直し口を開いた。


「ええと、…その…たいへん、お恥ずかしいのですが…ここまでの記憶が、曖昧で…どうして私は東郷様の御屋敷にお邪魔しているのでしょう…?」


余りの失態に僅かにしどろもどろになりながら言葉を紡ぐと、弥生がくすりと笑って見せた。



「ドレス、着慣れてないのよね。あの息苦しいコルセットが私も好きじゃ無くて…昔、舞踏会で倒れてしまった事があったわ。お揃いね」



目を細めて穏やかに笑う弥生に、紫子は顔が赤くなるのを感じると「御迷惑をおかけしました…」と消え入りそうな声で謝罪する。

弥生は「いいのよ」と呟きながら冷たいお茶を湯呑に注ぐと、紫子にそれを渡した。



「……ちょっと強引になってしまったけれど、貴女には花嫁修業をして貰うって名目でうちに連れ帰っちゃったのよね。将臣さん」



突如聞こえた言葉にどういうことなのかと紫子がぽかんとした表情で見つめると、どこか将臣に似た表情で弥生がにこりと笑って見せた。



「ごめんなさいね。お話聞いていて、私心配で…私がお願いしちゃったのよ。『東郷家には嫁いでもらうまでの期間、此方の家で花嫁修業をして貰う仕来たりがある』なんて大嘘吐いて来ちゃったらしいの」


「ど、うして、そんなこと……」


あまりのことに驚き咄嗟に湯呑を落としてしまいそうになりながらも紫子が問い掛け返すと、弥生は紫子の手を握った。



「あの将臣さんが大切に想っているひとだもの。私達だって大切だわ。…頑張り屋さんで素直な子なら、尚更ね。……でも、逢崎さんのお家に帰りたければ止めないし、きちんと送っていくわ」



穏やかで、屈託のない微笑みに、すとんと身体から力が抜けてしまう。

驚いたように弥生を見つめたままの紫子に、弥生は更に笑みを深めて見せる。


漏れてしまったかのように、ぽつりと小さく聞こえた「ありがとう」という言葉を了承と取ると、弥生は嬉しそうに握ったままのその手で握手をした。


「東郷には、女の子って居ないのよ。勝手だけど娘が出来たみたいで嬉しいわ。宜しくね」



初対面の相手を、どうしてここまで信用して、気遣うのか。

どうして全てを知りながらも、優しさを見せるのだろう。

青年が求めているものとは、何なのだろう。



(…おかしな、ひとたち…)





それは、紫子が幾ら考えようとも、答えがでる筈も無く。



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