師走の風物詩 *矢玉
「っこの、スカタン!!!」
暖簾をくぐり、目があった途端の罵声だった。
「ちょ、おりんちゃん」
顔を真っ赤にして振り上げられたこぶしが胸にいくつも命中する。力が強いのか地味に痛い。
「あんたは!肝心な時に顔ださないほんっと間の悪い男だね!!」
「へ?」
「薫さんがっ、異国に帰っちまっただろうが!!!」
「は?」
やっと手首を捉まえることに成功する。はたからみればばんざいさせているような奇妙な恰好。
「薫さんならいま東郷の家にいるが?」
「・・・・・なんだって?」
黒々としたまん丸の眼をきょとんとさせた鈴に、事の次第を説明してやる。
ぽかんとしたまますべてを聞いていた鈴がへたりこんだため仰天した。
ますます両手で宙吊りのようになったので慌てて傍らにしゃがみ込む。黒髪からのぞくうつむき加減のその顔をのぞいて驚いた。
瞳の端に球を結んで、涙がにじんでいた。
「よかったぁ・・・・・・ほんと、に」
溜息のようにもらされた、その言葉。
勝気ないつものそれとは違うそのさまに、どぎまぎする。
両手を意味もなく動かし、さんざんためらった後にその背に伸ばす。
手のひらの下のその身は動揺するほど華奢だった。
しばらくの後我に返った鈴に
「見んな!」
と理不尽にののしられ、弾き飛ばされるはめになったのだが。
「おりんちゃんー?」
ひょいとのれんをのぞき込んだのはいつか町で喧嘩に行き会った時の女将。
「・・・・・・お邪魔したかい?」
泣き顔の鈴を見ての一言に、鈴が激怒した。
「誰が!!やめとくれよ、おたきさん!!」
「あれまあ、やっとおりんちゃんにも春が来たかと思ったのに」
「こんな阿呆な軍人と!!冗談じゃない!!」
「おりんちゃんてばそんな事ばっかり言ってると嫁にいき遅れるよ?」
「は、嫁かずの後家上等だよあたしは。一太郎を一人前にしてやるほうが先だね」
すねたようにそう言うのにやれやれと苦笑をうかべる。
「いつまでたってもおてんば娘だねぇ」
「そんなこと言いに来たの?」
「いやいや違うよ。あのね、今度の町内の餅つきだけど。三井のおやじさんが腰をやっちまってね。できるかどうか怪しんだよ」
「え?!大丈夫なの」
「うんうん、たいしたことないんだけどねぇ。医者も寝てれば治るっていうし。けどほら男手がたりないだろう?だから今年の餅は無理かもしれないって」
顔をしかめる二人に、今まで空気のように扱われていた山縣が口を開いた。
「男がいないとなんで餅ができないんだ?」
「うるさいね。部外者はだまっててくれよ」
「こら、おりんちゃん。そんな口きいちゃいけないだろう。この軍人さんには助けてもらったんだし」
母親のような叱り言葉に、拗ねたように、頼んでないと頬をふくらます。
やれやれという風情で女将が山縣を振り返った。
「ごめんねぇこの子。へそ曲がりだから。嫌いにならないでやってくれる?」
「いや別に。おりんちゃんのこれは愛嬌だろ」
笑ってそう山縣が言えば、女将は破顔した。
「で、なんで男手がいるんです?」
「ああ、ただ単につき手がいないんだよ」
「つき手って・・・・・・餅の?」
「ほかに何があるんだい。それともお華族の軍人は餅の作り方も知らないのかい」
棘のある物言いにかまわず、山縣はあっけらかんといった。
「俺が手伝いましょうか?やったことないから教えてもらいながらじゃねえといけないが」
その発言に二人とも眼を丸めた。
早く我に返った女将が手をたたいて目を輝かす。
「いいのかい?いやぁ助かるね!都合はそっちに合わせるから、いい日があったら教えてくれ!」
みんなに伝えてくる、と小太りの体をきびきび動かして出口へむかった女将がそっと鈴に耳打ちした。
「まったく風変わりな軍人さんだねぇ。だけどいい人だ」
鈴が言い返す間もなくその身は通りへと消えてしまう。
苦虫をかみつぶした風情で鈴は山縣をねめつけた。
「庶民の行事がそんなに珍しいの、あんた」
「余計なお世話だったか?」
だったら悪いと眉を下げる山縣に、そのまま怒りつづけるのも馬鹿らしくなった鈴はため息をついた。