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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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薔薇のなごり *矢玉

そんな誘いに応えてしまったのは、彼女がどこか彼と似ていたからかもしれない。


 毒のしたたる、妖艶な花。


「ここは親しいお友達の別宅ですわ。お庭が見事だから、いつでも入っていいって言われていますの」

 彼女に言われるままに連れていかれたのは、少し歩いた先にある小さな洋館だった。門番に二言、三言言いつけるとすぐさまその蔓薔薇の細工を施した鉄扉が開け放たれた。

「さあ、お越しになって?」

 鮮やかすぎる笑みを浮かべて、薔薇の花を思わせる女性は庭の小路の先へと消えてしまう。

 強引に誘われないからこそ、糸を引かれた傀儡のように足を踏み出してしまった。

 煉瓦しかれた道は途中で洋館へ行く道から、途中で枝のように別れていた。その脇道は鬱蒼と茂る庭園の木々の中へと伸びている。

 庭園は青々とした葉を見せている物も多いが、花は見当たらない。当然だ。もう冬の足音が聞こえてくる頃になっている。

 小路の両脇に植えられた鋭い刺を持つ枝の木々は、きっと季節になれば大輪の花を咲かせる薔薇の木のだろう。だがそれも冬枯れしており寂しい。

 ふと鮮やかな赤が眼にうつりこむ――――――血赤の色をしたそれは、椿。

 無数に花を付ける枝、そしてその下にもいくつもの赤い花が落ちている。

 その下に、優雅な笑みを浮かべて大理石のベンチに腰掛けていた。

「さあ隣に」

 一時考えこんだものの、素直に従い少し距離をあけて座る。

 何故かくすくすと笑われてしまい、伊織はいぶかしむ。

「いえ、可愛らしいなと思いまして」

「意味が、よく」

「ああ、おわかりにならなくて結構ですわ。そんなことのために、こんな怪しい誘いを受けたのではないでしょう?貴方は」

 きょろりと向けられたその黒々とした瞳は、どこか猫を思わせた。

「恋わずらい、ではありません?そんな顔をなさっているわ」

「・・・・・・そんなに顔に、出ていますか」

「あら、当たりですか?まあ。あら、ごめんなさい。気を悪くなされた?」

「いえ」

 からかうような、物言い。そんな振る舞いをされても怒りすらわいてこないのは、とにかく身のうちに淀んだ言葉を吐き出したいせいか。

「きっと貴方は、いつもは何でも柳に風と受け流してしまわれるのではなくて?そんな方がそこまで思い悩まれるなど、恋情ぐらいではと」

「・・・・・・貴女は本当に、似ている」

 斬り込むように真実を見抜き言い当てる。それによって相手を傷つけることになろうとも、お構いなしに。

 暗い眼を寂しい庭に向け、伊織はゆるゆると口を開いた。

「ある男に、恋をしました」

 顔色ひとつ変えずに無言でうながされるのを感じとつとつと言葉を紡ぐ。

「酷く、残酷なんです彼は。でも純粋で、だからこそ歪んでいる。歪んで、しまった。・・・・・・彼の狂気は触れた周りをも、その狂気に巻き込んでしまう。病のように、いつしか」

 総一郎の色恋のせいで殺生沙汰になった、そんな噂話を学園で聞いたことがある。その二人の青年はどちらも総一郎に溺れ、嫉妬し、凶行に及んだらしい。それを彼は、面白そうに眺め、嘲っていただけだった。彼の周りは、彼にとってはすべて机上の駒で手慰みの玩具でしかない。

「わかっていたんです。彼をそういう眼で見てしまえば、破滅しかない。今の友人としての彼すら失ってしまう・・・・・・でも、あの誘惑に抗えなかった」

 花の色をした薄い唇。

 差し出されたのは美味極まりない、果実。それは一口かじればすべてを失う毒を持つと知っていてもなお。

 沈黙のままに青年の懺悔のような独白を聞いていた女性は、そこで初めてその黒目がちな瞳を伏せた。

「恋とは、堕ちるものだとわたくしは考えます。堕ちる時や相手など、選べはしない」

 女性の顔をうかがえば、うっすらとした微笑みをうかべていた。その眼は冬の庭へと向けられていたけれど、きっと本当に見ていたのは過ぎ去った時。

「わたくし、これでも殿方には沢山言い寄られますの。お付き合いした殿方の数など、もう覚えてもいませんわ」

 さもありなんと伊織は思う。美しい美しい磁力のような蠱惑の艶やかさをその身にまとう、女性。それは男を魅了してやまないに違いない。

「肉欲など犬猫と変わりませんもの、簡単に抱けるわ。家柄や財力で選ぶならなおさら。けれど、心を欲しいと思ったのは、たった一度」

 きっと最初で最後、吐息のような呟きが赤々とした唇からもれる。

「どうしても、欲しかった。どうしてもあの方に、わたくしを認めさせたかった。愛させたかった・・・・・・ずいぶん見苦しい真似もしましたわ、けれどついぞあの方は、わたくしなど見て下さらず、とうとう終わってしまった」

「・・・・・・“終わった”?」

 疑問の声に、女性がやわらかく苦笑した。

「柄にもない、そんな風にお思いで?わたくしならあの方の想い人から奪ってやるとでも思われた?」

「いえ、そんな事は」

「優しい嘘はいりませんわ。きっとあの方が選んだのが、あの子でなければわたくしはきっと殺してでもそうしていた」

 殺伐とした物言いも、けれど誇張でなく本物なのだろう。きっとこの人は気性の激しい、炎のような情熱を内にはらむ人。だが、今は美しい過去を語るように穏やかな微笑すら浮かべている。

「好きになってしまったんです、わたくしも。あの方の想い人を。脆くも凛とした、気高いあの少女を」

 そっと、打ち明けるように囁くその言葉に、伊織は息をのんだ。

「好ましい二人だから、幸せを願い身をひく。わたくしはそんなことができる女ではありません。でも、何故でしょう。あの二人が並んでいるのを見て、わたくしの恋は、終わった。終わってしまったと悟ったのです」

 ふと遠くを眺めていたその眼を、今へと戻す。

 今そこに座っている、青年へと。

「だからわたくしは、その恋に悔いなど遺していないのですわ。残念ではありますが、これは未練であって悔いではない」

 あなたも悔いの遺る恋になど、しないように。

「それがまことの恋ならば」

 そっと落とされた呟きは、伊織の心に烙印のように焼きついた。

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