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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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傾城の君 *矢玉

明るく響く声に、重く閉じた瞼を上げる。

 ぼんやりした視界を、数回瞬きを繰り返すことでもやをはらう。

 伊織を泥のような眠りから目覚めさせたのは軽やかな少女の声。

 閉めきっていた障子に指を伸ばす。腕をあげるのが驚く程おっくうだ。

 冬に近くなり驚く程鋭くなった朝の陽射しのもと少女達がくすくすと笑いながら花を摘んでいるという、そんな絵画から抜け出したような光景。


 金の髪をした西洋文学に書かれた妖精のような少女と、東洋の顔立ちに赤い髪という風変わりな色彩が目を引く清楚な少女。


――――――春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ乙女


 そっとこぼれたのは古い古い和歌。呟いた声は、無惨にひび割れかすれた。


 眩しいほど美しい、美しい光景。目が、眩む。

 くらりと暗転。

 眼を瞑っても

 ちらちらと像を結ぶのは、兄の想い人。

 全く似ていない、異母兄弟のはずなのに。――――――白皙のその面立ちが、重なる。

 性状は全く異なっていても顔かたちにはやはり血を感じさせるものがあるのか。


 細い柳眉、物憂げな色をうかべれば息をのむほど周りを魅了するその瞳。薄い、花色の唇。

 まるで鏡合わせの天使と悪魔。その鏡を隔てた並ぶ対。


 背を向けた障子をずるりと滑る。

「まるで・・・・・・傾城だ」

 人々を魅力し、狂わせ一国の命運さえ左右するという古の“傾城の美姫”

 だいたい傾城は、楊貴妃のような清らかな聖女か、妲己のような蠱惑の悪女と決まっている。

 凛としていながらも儚げでな少女と、毒さえ魅力になる青年。

 どちらも魅了されずには、いられない。

 いつかあの別荘で無数に描かれていた、キャンパスの向こうの少女。

 涙を白い頬にこぼす紫子の絵は、清げでありながらぞくりとするほどなまめかしかった。


 あの頑なな兄の心さえ、ときほぐした聖女のような少女、彼の姉妹の紫子。

 しかしその兄である男が与え運んでくれるのは己を焼く破滅の業火だろう。


 禁断の赤い果実は、知らなくていい感情すら与えてくれた。

 知らなければ、もっと楽に生きられたであろうに。

 ふと、庭に立つ紫子がこちらに顔を向け視線が絡む。不思議そうな、清く澄むんだ透明な眼差しを受け、酷い罪悪感に教われ背筋が震えた。

 とてもその視線に耐えきれず、音を立てて障子をとじた。きりきりと音が鳴る程その木肌に爪を立てる。

 ひどい吐き気がした。


***


「紫子さん?」

 ふと立ち上がった少女。つられるように同じ所に目を向けたが、そこはただ閉められ障子があるだけだ。

「どうしたんですの?」

 不思議そうな薫に、紫子はかすかに眉を寄せた言いよどむ。

「今、伊織さんと目があったような気がしたんですが・・・・・・目を、そらされてしまって」

 ひどく昏い眼差し。見たくないというように、閉められた障子。

「私が何かしてしまったのでしょうか?」

 落ち込んだ様子を、慰めるように薫は明るく笑う。

「気のせいですわ。昨晩も夕飯を断っていたようですし体調が悪いとか」

「それなら、弥生さんにご相談した方がいいでしょうか」

 あくまで不安げに思案顔の紫子に薫は、では、と声をかける。

「早くお花を摘んでしまいましょう。でもすごいです。この国にはこんなにクリュザテーンの種類があるなんて」

 薫が手を伸ばしたのは小さな花片が髪飾りのように重なる菊だった。一つの枝に白い花を幾つもの咲かせている。冬の時期、寂しくなる庭でも菊だけはたくさんの花をさかせ、庭園を彩っていた。

 特に薫が感心していたのは一つの株に一つだけ花を咲かせる手法で育てられた一輪菊。その花びらの重なり合い丸になった様子が珍しくしげしげと見入っていたのが印象的だった。

「独国では菊は珍しいのですか?」

「いいえ、一重咲きの白いマルガレーテのような小さな花が多いです。こんなにたくさん花びらはありませんわ」

 ぱちんと音を立てて茎を断ち切る。

 すでに抱えるほどの花の量なので、これで十分だろう。屋敷に戻ろうとした玄関に足を向けたところで後ろから声がかかる。

「薫さん、紫子さん。ちょっと来てくださる?」

 はしゃいだような明るい声で、弥生夫人が障子から顔をのぞかせていた。

 顔を見合わせると、庭から直接座敷へと上がれば畳に極彩色がひろがっていた。

 足元にはたくさん広げられたたとう紙と、紫、朱、鹿の子模様、矢絣、着物が華やかに広げられ畳には足の踏み場に困るほどだ。それに仕立てる前の、反物のままの生地も多い。

 面食らう紫子の横で、薫が青灰の瞳を輝かせた。 きゃあきゃあ言いながら、身頃を当てて顔映りを確認する。

「前に薫さんの着物をいくつか仕立てをお願いしたでしょう?そういえばそろそろお正月だし、紫子さんにもと思ってついでに反物もいくつか持ってきてもらったの」

 告げられる言葉のよこで、呉服屋の主がにこにこと笑みをうかべていた。

「そんな、以前も薫さんと一緒にいくつか仕立ててもらいましたのに」

 当初は薫の着物を見立てるという目的だったはずだが、なぜだかいつの間にか紫子まで巻き込まれていたのだ。

 来年の春に紫子と将臣が結婚する事を知った薫は、何としてもそれまでこの国にいると父親に嘆願したのだ。その説得には、将臣も手を貸したと聞いている。

 長い滞在になると知った弥生夫人はそれならばと、着物をあつらえることにしたのだ。その柄選びに紫子も駆り出され、気づけばなぜか紫子の着物まで注文されてしまっていた。

「紫子さんはすごくこのイーリスの花のお着物が似合います!!」

 呉服屋からすすめられた反物を手に、こちらに近づいてきた薫がその反物を広げた。

 そこに描かれていたのは、あやめの花。

 一時息を止めた紫子だったが、しずかにそのまま息をつく。

「そうねぇ。紫子さんは凛としていてあやめの花のようよね」

「私もあやめの花は好きです」

 紫子はそっと唇を動かした。

 もともとカフェで働く際に名乗っていた“あやめ”という名は、自分が好きだとマスターに告げた花からとったのだ。

「そういえば薫さんご存知?あやめの花はね、武家では好まれるのよ。ほら葉が剣のようでしょう?それにあやめと似た菖蒲の花は“勝負”や“尚武”という音と一緒だから縁起が良いと言われているの」

「こちらの家は騎士の家ですものね。なんて素敵な!ではこれで紫子さんの着物は決まりですね」

 嬉しげに得意そうに言う薫に、弥生夫人と顔を見合わせてしまった。少し迷ったものの、紫子はそっと告げた。

「残念ですが、冬の着物にあやめの柄は使えないのです。あやめの初夏に花をつけますでしょう?だから、季節には季節の花を合わせるのがこの国の習わしなのです」

「そうなのですか?それも素敵な風習ですわね。でもこの紫のイーリス・・・・・・あやめの花、とっても綺麗なのに。残念です」

 白地に濃紫で水辺に咲くあやめの描かれたそれを、名残惜しそうに眺める薫にころころと弥生は笑った。

「なら、そちらは夏用に仕立てましょうか。ね、お願いできます?」

「弥生さん!」

 悲鳴のような声を上げる紫子に、やさしげに微笑む。

「あら、私の楽しみを取らないでくださいな。可愛いお嫁さんを着飾らせるのが私の楽しみなのよ」

 倹約が身についた紫子にしてみれば青くなるようなさまでどんどん高価な買い物がなされていく。

「やっぱり薫さんは大胆な柄がお似合いね。ほらこの花車なんて素敵じゃない?それともこちらの梅のほうがいいかしら。お正月だし、竹や松の帯とあわせれば」

 広げられたたくさんの反物。やはりそのもようは女物らしく花が多い。牡丹やすすき、椿にさざんかに菊。珍しい薔薇の柄などもある。

 真紅で染め抜かれたそれは、薫の華やかな顔立ちとあって似合うだろう。けれど薫が薔薇のようだとは不思議と思わなかった。棘のあるあの花よりもっと、薫に似つかわしいのは――――――

「チューリップの、花」

「紫子さん?」

「いえ、薫さんにはチューリップの花が似合うだろうな、と思いまして」

 あの明るくて無邪気な可愛らしいさがある、大輪の花。風にゆらゆらとゆれる、色とりどりの。

「昔、見たことがありまして。でもそんな柄はありませんよね」

「チューリップ・・・・・ああ、トゥルペの事ですね。春に咲くあの」

「自分で言っておいて春の花を上げてしまいました」

 恥ずかしそうにうつむく紫子の手を薫はぎゅっと握った。

「そんなことありませんわ!とっても嬉しいです。わたくしがトゥルペの花みたいだなんて」

 その様子を思案顔で見ていた弥生はふと思いついたように呉服屋に尋ねた。

「今からお願いすれば、染付もお願いできますよね?こちらで調べて図案をおくれば、そのとおりに作っていただける?」

「見てみないとわかりかねますが、でも東郷さまのご依頼とあればお心にかなうように尽力いたします」

 きょとんとした二人の顔を見て、弥生は満足げに笑った。

「薫さん、春にはチューリップの着物を着て見せてくださいな」

 歓声をあげる薫の横で、驚いたように紫子が目を見張る。

「春には婚礼もありますしね。あらあらそうだった。花嫁衣装もそろそろ仕立てなくては」

 その言葉で、紫子の頬が淡く染まった。




***


あとがき


チューリップ柄の着物は本当にあります。しかし登場は昭和。おしい。まあこの場合は特注ということで。


あとがき追記


和歌の和訳のせるの忘れていたので


「春の宴で くれないの匂い立つような美しさの桃の花が咲いている その下で 乙女たちがたたずんでいる」


みたいな感じです。雰囲気訳ですので厳密には違うと思います・・・気になった人はggってね!もっと美しい訳がありますから!というかたいていの古典の教科書類に載ってるよ!



あと薫さんはドイツの人なので、名詞は英語ではなく独語表記にしてあります。

「クリュザテーン=菊」 「マルガレーテ=マーガレット」 「イーリス=(英:アイリス)あやめ」「チューリップ=トゥルペ」


今後もこんな感じでいくとおもいますのでよくわからんカタカナでてきたらドイツ語だとおもってくださいませ

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