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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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身を焼く罪悪と名残 *奏嘉

*今回、やや女性向けな表現が入ります。

 嫌いな方は読み飛ばしお願いします。

それから、青年が自分でどう帰ったのかは覚えていない。



その腕に残ったのはあの脆くも感じる体の軋む音とーーーーーその、曖昧な熱の記憶のみ。



目まぐるしく変わる景色、見慣れた道程、自分を驚いたように避け飛び退く人々の姿。

まるで自分以外の人間が其れを見つめるかのように、一瞬とも感じるほどの速さで脳裏を駆け巡る時間。




力任せにぱしんと障子を閉めると、一気に重たいほどの静寂が青年を捕らえた。



伊織は自身の物書き部屋に辿り着いてやっと冷静に戻り、そこで自分が今まで走っていたことに気が付く。


肩を震わせるほどの息切れに、目を見開き純粋に驚いた。




それほどまでに、その間の記憶はぽっかりと抜け落ちていたのだ。



ーーーーーあれは、なんだったのだろう。




夢と現を彷徨うような、そのあまりにも実感の無い記憶と思考。



境界も曖昧な、理性と本能のぶつかり合い。



生々しい程に衣擦れの音が鼓膜を擽った感覚。





(否、あれは)





ーーーーーーあれでは、まるで




伊織は崩れ落ちるように畳に膝をつき、突き動かされるがままに机へと腕を伸ばす。



柄にもなく乱雑に引き出しを漁ると、真白な紙をかき集めインクが乱暴に腕を振る衝撃に弾かれ紙を汚すことも気にせずに、取り憑かれたように紙へとペンを走らせた。




書き記されていくのはあまりに鮮明すぎる記憶の断片と、あまりに艶かしい、ーーーーーーー友人の、姿。






もどかしいほどの、あの声音。







感じたことのない程の衝動は胸を締め付け、青年を苦しめて行く。




「……っ、」



ぐしゃりと紙が音を立て、青年のその手の内で走り書きされた文字の羅列を滅茶苦茶に歪めた。



ぽたりぽたりとその上に落つる雫は、一体誰から溢れたものなのだろうか。






『俯瞰的な』




いまでもまだはっきりと思い出せる、友人のあの純粋な感想は、息が止まるほどに衝撃でーーーーーあまりに的確だった。






(そうだよ、その通りだ)




何故かは分からずとも途端におかしくなってしまえば、その喉からは渇いた笑いが奇妙なほどに溢れ出した。




一頻り笑った後、絶え間無く頬を伝っていたそれを、袖でこすり拭う。



痛い程に目の端が赤くなることなど、どうだって良かった。




(分かっていた)





ーーーーー僕だって本当は知っていたんだ、総一郎。







いつからだろうか。




今となっては義姉となる予定の紅い髪の美しい人を、心が病むほどに求め苦しんだ彼の姿を、見たくないと思うようになったのは。





(同じようにはなれずとも、僕は紫子さんが羨ましかった)





ある日見つけたのは、キャンバスいっぱいに描かれた、美しいひと。



聖母のようなその面影は、彼の羨望の念を汲み取ることなど、あまりに容易かった。




幾年、幾月、どんな季節の君も見てきた。



こんなにも、自分は誰よりも君の傍にいたのだ。

どんな君だって、見てきたはずだった。



だがどれだけ近くとも、手を伸ばそうとも。

例えば君を、壊れるほどに掻き抱いてしまったって、




ーーーー君は、この指をすり抜けてどこかへと飛んで行ってしまうのだ。






(気付きたくなど、無かった)





ーーーーーーー否。




(見ない振りのままで、いたかった)





押し殺した嗚咽は、あまりにも痛々しく室内に溶けて、青年の心を孤独へと誘っていった。






人を愛する事が、こんなにも辛いものなのか。


報われないと知りながら、この身を焼く業火は、きっと主が悪魔を焼き尽くしたそれと同じに違いない。










意味合いは違えどーーーーー恋が罪悪であるその意味を、青年は理解したような気がした。

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