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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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空白の欠片 *奏嘉

おりんの店を後にし、ゆっくりとした足取りで薫は辺りの景色を目に焼き付けるかのように歩を進め始めた。



独特な長い時を経たような色味やデザインの暖簾の数々、美しく揺れる人々がその身に纏う着物、揺れる袖たち。



繊細で密やかな、この国の彩り。



今までその肌でひしひしと感じてきた人々の温かみ。

それがなお切なくて、けれどひどく愛おしかった。




(いけない)



胸が締め付けられるような感覚に顔を歪めては、少女は涙を必死に堪えるように俯き歩を止める。




(何故、こんな時に)




浮かぶのは、自分の兄であると直感したあの青年の面影。




(まだ、なにも知らないのに)




ーーーーー母に似たあの青灰色の瞳、端正な横顔。

間違えているはずなど、無いのに。









「ーーーーRachel!」



人の少ない街中響いたのは、あまり耳馴染みの無い声ではあったが自らの特別な存在から発せられた声であったのは理解でき、薫は直ぐに振り返った。



「……東郷、さん」




そこにあったのは、僅かに息を切らした軍人の姿。



兄の名を呼び掛けて、薫は躊躇いがちにかの人の苗字を呟く。




「…謝らなくては、レイチェル」




ーーーーもう懐かしくも感じる、その、名前。


薫は次なる不安へと堪えるように再び俯く。

青年は真っ直ぐに妹を見つめると、呼吸を整え切り出した。





「……嘘を、どうか許して欲しい。……俺が、アロイスなんだ」



少女はその大きな瞳をなおこぼれ落ちそうなほどに見開き顔を上げ、青年を見つめる。




「…なら、どうして」




震える唇は、自分との血縁を嫌悪されたのかもしれないという不安から、可哀想なほどに震えていた。



青年は言葉を選ぶように唇を開いた後、ゆっくりとした口調で言葉を紡ぎ始める。



「俺は、…この国で、自分を殺すことでしか生きて来れなかった。俺が俺として生きるには、誰かを不幸にするしかなかったんだ」




青年はおもむろに軍服の襟を寛げると、その右の首筋に貼られた湿布を外して見せーーーーーそこには、古くありながらも深く、大きな傷跡が胸へと向かって走っているようだった。


薫は驚きと恐怖に息を詰めると、再び青年を泣き出しそうな表情を浮かべ見上げる。




「………レイチェル、」



名を呼ぶより先か、少女は青年の胸へと飛び込んだ。



青年は僅かによろめくも抱きとめると、その小さな妹の体を抱き返す。




「にぃ、さま…」



大きな瞳からは次々に涙が玉を結んで落ち、着物の色を深めていく。



縋るように青年の背を掻き抱く少女に、青年は何度も謝罪の言葉を零した。









暫くして彼女が落ち着くのを待つと、その頬を撫でる。



「…神名宮殿には、まだここにいられるよう俺からお願いしてみよう。……だからレイチェル、君の話を訊かせておくれ」




別邸に閉じ込められていた自分は、遠いこの国に来るまで、母と長い時間過ごすことを許されていなかった。



だから、あの国での奔放な母の姿を見たことがないのだ。




「どうか、君の話しを」



そしてーーーーー自分の知らない、母の話しを。




空白の時を、少しづつでも温かなもので埋め合わせたかった。



「……俺は、君の兄なれるだろうか?」




不意に響いたその言葉に、少女は花のように微笑むと




「Du bist das Einzige」



そう囁き、青年のその頬へと唇を寄せて見せた。

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