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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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母の恋した、異国 *矢玉

暖簾をくぐる人の姿にいらっしゃいと言いかけて一太郎は固まった。ついでぱっと駆け出して姉の膝にしがみつく。

「ないだい一太郎、あら。えーと薫さんだったかい?」

 くるりと振り返った鈴に薫はにっこりと笑った。

 膝にしがみついたままの一太郎の頭を軽くはたき、頭を下げさせる。

「ごめんね、こいつまだ異人さんに慣れないみたいで。こないだも叱ってやったんだけど」

「かまいません、気にしてないですわ」

 その金色のふわふわした髪を揺らして首を振る薫の様子に、ほっと鈴は息を吐く。

「今日は何にする?」

 それに、その大きな眼を瞬かせ薫は考え込んだようだ。その様子をどこかおかしさ感じる。

「どうしたんだい?何か食べに来たんじゃないのかい」

「あ、はい。それもなのですが・・・・・・お別れを言いに来たのです」

 驚きに鈴の眼がみはられる。

「家出が、ばれてしまって、国に帰ることになりましたの」

 その笑みはどこか痛々しかった。


***


 父は母の話をあまりしない人だった。いや全くしないのではない。どういう人柄だったとか、父と過ごした日々などは膝に乗せて話して聞かせてくれた。淡いブロンドの髪に、青灰の神秘的な瞳。とても美しく、でも気さくで飾らず明るく微笑む人だったと。そして妖精や、小鳥にも譬えられるほど美しい歌声の持ち主であったと。

 だが母の生い立ちや、なぜ父と出会い結婚したのか。そんなことは一度も話してくれなかった。

 どうやら母は、勘当されていたらしい。名家の娘でありながら、東洋人の子を産んだから。

 それが自分のことではないと知ったのは、いつだったろうか。

 館の別棟に住まう、兄。鋼のように鈍く光る銀糸の髪に、母によく似た青灰の瞳をもつという。その人と会うことはほとんど無かったためあまりよく覚えていない。父がなぜかその人から自分を遠ざけていたからだ。

 父親が違うと知ったのは、その兄と母が遠い異国。父の故郷の島国へと旅立った後だった。

 父はしきりに、レイチェルに繰り返し

「お前は私に似なくてよかった」

 そう、口癖のように繰り返し言った。

 自分に“薫”という彼の国の名を与えながらも、けして外では名乗ってはいけない。そして言葉を話してもいけないと言われた。

 異国人への差別は、独逸にもあった。特に東洋人を見下した、それ。

 母譲りの淡いブロンドに、母より青が強い青灰の瞳。白い肌。レイチェルの外見は、独逸においては自然と溶け込む。だがブルネットの髪に象牙色の肌の父は、蔑視を受けることも多かった。

 父は時折、父の故郷の島国からさまざまな品を手に入れて、レイチェルに与えてくれた。

エキゾチックな細かな模様の布地を使った、不思議な形をしたキモノ。シノワズリの陶磁器や、カンザシという髪飾り。極彩色で彩られたボール。不思議な香りのする貝殻。

 レイチェルの彼の国の憧れは、雪のように降り積もり心をしめるようになっていた。そこには母恋しさもあったと思う。おぼろげにしか思い出せない、やわらかな母の微笑と腕のぬくもり。

 父の反対を押し切り、書置きひとつで世界の半分を渡る船へと乗り込んだ。

 長い長い船旅を終えて行き着いた先は、父の生まれ故郷で、母が恋した国。

 そろいのブルネットの髪に、象牙色の肌の人々。みんな小柄で、すべてが小さくできていて繊細でも、どこか素朴で優しげ。

 だが、この国は長く長く気の遠くなるような時間、外の国と国交をもたない国だった。

 金の髪に青い瞳。そんな自分は、驚きをもって人々に見られる。

 じろじろと、きょろきょろとしきりに己の顔を見る人々に、最初は慣れなかった。けれど、この国の言葉で話しかけ、明るく笑えば控えめな笑みで親切にしてくれる人も、確かにいた。

 異国からの客人をもてなす、心。

 だがその控えめな笑みは、けして最後まで己のうちに異国人の自分を受け入れないという拒絶だったのかもしれない。

 父の部屋で見つけた、母がよこしたいくつかの手紙。そのうちで最も新しい日付の住所を訪ねると、そこはバール(呑み屋)だった。

 そこで母は給仕として働いていたらしい。

 母と親しかったというそこの古参の女性たちは、母の生き写しだという自分を懐かしがり、親切にしてくれた。持ち出したお金は少なくなかったけれど、それでも少しでもこの国で長く過ごしたい。少しでも節約したいというと、あっさり此処に住めばいいと言ってくれた。それが嬉しくて、ありがたくて店を手伝うようになった。


 そこで聴いた噂話。

 気さくな軍人の青年。

 そして生国の血を感じさせる、あのひと。


 自分の兄は死んだと、死んでしまったとあのひとに言われて、レイチェルは己がどうしたらいいのかわからなくなってしまった。

「最後に紫子さんや山縣さんにも会いたかったけれど、どこに住んでいるのか知らなないので。おりんさんだけでもと思って、会いに来ました」

 わたくし、忘れません。そう朝露のような雫を眼の端にため、薫は言った。

「おりんさんのぜんざいの味も、たくさんみんなとおしゃべりしたことも、この素敵な、親切な人がいる国の思い出みんな、忘れません」

 切なそうなその微笑みに鈴は言葉を失う。

「悪い。あたしも、あのひとらがどこに住んでるのか、知らなくてね」

 何か伝言か、手紙でも。そう言われたが薫は断った。

「ああでも、ありがとうございましたとだけ、伝えてもらえますか?」

 美味しそうに三食団子を食べ終え、きちんと手を合わせると薫は深々と頭を下げて店を出た。

 店の外まで見送った鈴はその後姿が雑踏に消えるまでずっと見つめていた。ただ見送るだけしかできないのが歯がゆい。

「こんな時だけなんで訪ねてこないのかね、あの男は」

 悪態をついて暖簾をくぐった。

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