03、春木くんと再会
「よう、江夏なつみ」
「は?」
十五番には、キザったらしい感じに右手を挙げてアンジェラの本名を呼ぶ男が居た。
スーツを着て、高そうな時計をして、髪型もきまっていて、ネクタイも靴も靴下も有名ブランド。見慣れたクリーム色のソファに座った見慣れない男だった。足を組んで座っていた。
いやしかし、どこかで見たような気もする。
それは高校時代、アンジェラが所属していた卓球部の部長。春木すばるであった。
春木は、懐から名刺を取り出して、置いた。
アンジェラは春木の隣に座った後、それを受け取る。
証券会社の係長という肩書きと、春木すばるという名前が書かれていた。
「春木くんっ!?」
驚きを隠せなかった。ずいぶん変わってしまったと思ったからだ。
高校時代の春木はと言えば、真面目な髪型で、余程のことがない限りいつも不真面目そうに笑っていて、あまり融通はきかないけど頼れる卓球部の部長といったところであった。しかし、今では髪型まで不真面目そうになって証券会社の営業係長なんてやっている。
「ああ、久しぶりだな、江夏。高校卒業した後、行方不明になったなんていう話だったから驚いたけど、元気そうで何より」
「ん、うん。春木くんも元気そうだね」
「ていうか、なんか、酒くさいな江夏」
「い、いや、これは飲んでるとかじゃなくて、服にこぼしちゃって」
「そうか」
「うん」
アンジェラは何をどう言えば良いのかわからず、沈黙してしまった。本来なら、お客様である春木を喜ばせるために話を弾ませねばならないところなのだが。
と、先に口を開いたのは、春木の方であった。
「江夏は、なんか、こう……すれたな。そっちの世界に慣れちまったっていうか」
「そう見える?」
「ああ。ぶっちゃけ、江夏にこんな仕事に合わないから、普通の仕事をして、一人で食っていきゃ良いのに」
「そんなこと、できないよ」
「だろうな。あいつ、元気か?」
「まぁね。今日も自分の部屋で彼女のこと考えてるんじゃない?」
「ん、彼女? あれ、もしかしてお前たち、破局の危機とか?」
そう言いながら、春木はタバコをくわえた。
アンジェラは、すかさず取り出したライターで火をつけながら、
「あ、そっか。春木くんは彼女のこと知らないんだもんね」
「ん?」
「破局とか以前の問題だってこと」
春木は煙を吐き、アンジェラの差し出した灰皿にタバコをぶつけながら耳を傾ける。
「キスだって、まだしたことないし」
春木は息を止めて固まった。絶句というやつだ。
「な、じゃあ江夏、その年になってまだ……」
「うん? いんや、それは、その……」
「なぁんだ。やることやってんじゃねーか。んじゃ大丈夫だろう。あいつはバカみたいに律儀で潔癖なところあるし、遅刻はしまくるくせに根が真面目なんだよな。そういうことしたんなら、江夏のとこから離れてなんかいかないさ」
「あははっ」
「あれ、でも、そういうときにキスとかしないか、普通」
「いやー、あはは」
とにかく笑って誤魔化していた。
「ま、仲良くやれよな」
春木は言って、少しひきつった笑いをした。
「うん。あ、ところで春木くんは、どうしてここに?」
「ん、ああ。まだ言ってなかったか。高校の時の知り合いがさ、見て来て欲しいってさ」
「誰?」
「ほら、エセ関西弁の女子が居たろ。この間、同窓会出た時にさ、帰り際にそいつが話しかけてきて、江夏が此処にいるんじゃないかって噂がどうのこうのって。それで、何故か僕に見て来いとかってさ」
嘘である。本当は、春木すばるの方から、質問ぜめにしていた。
「珍しい。春木くんが人の名前忘れるなんて」
「いや、そりゃ、あれから何年経ってると思ってんだ。誰だって変わるさ。お前も変わっちまったしな」
「そうかな……」
「あいつは、どうなんだ。遅刻しなくなったか? ちょっとは大人になったんだろうな。デートの時とか待たされたりしてないか?」
「あー、遅刻はしないね。デートしないし」
「おいちょっと待て。えーと、それぁ、つまり、一緒に住んでるって意味か?」
「さすが春木くん。一瞬でわかるなんて、相変わらずすごいね」
「一緒に住んでて、キスとか、しねーの?」
「そんなに気になるなら、様子見てきなよ。住所教えるから。秋川は……」
「秋川? 一緒に住む仲だってのに、何で名字で呼んでんだ。よそよそしいな」
「秋川は……春木くんに会いたいかどうかは、知らないけど」
春木は、灰皿から吸いかけのタバコを手に取った。
「春木くん」
「ん?」
「柊あんじぇらって女の子のこと、憶えてる?」
「アンジェラって、江夏の源氏名だろ」
「まぁね。でも、そういうことじゃなくてさ」
「ていうか、何で江夏は、アンジェラなんだ」
しかしアンジェラは質問に答えず、
「注文、入れてよ。高いやつ」
「お、まかせろ」