02、アンジェラ
蒸し暑い夏の夜。酒くさい街。
アンジェラという、きらびやかで少々いかがわしい夜の店で働いている女が居た。
可憐だった彼女は、その店のナンバーワンに目をつけられ、残飯にアクセサリーを隠されたり、大事に持っている男の写真――現在一緒に暮らしている大好きな男、その高校時代の写真――がグシャグシャにされたり、財布からお金を抜かれることもあったりと、言ってしまえば、いじめに遭っていたのだ。
この日も赤い服を着たアンジェラは、足を引っ掛けられて転ばされた。
膝を打ち、「あぅ」という声をあげて、円形の机に突っ込んだ。悲鳴と、どよめき。「何やってんだよー」と顔をしかめるスーツの男。倒れたグラスから飛び出たバカみたいに高い酒が、アンジェラの肩を濡らす。
「大丈夫? アンジェラ」
この日は清涼な青い服に身を包んでいたナンバーワン女は、心配した様子でアンジェラに駆け寄り、手を差し伸べる。この手を掴んで立ち上がりなさいと。しかし、アンジェラは気付いていた。その女こそが、いじめの黒幕だということに。
アンジェラの考えは当たっていた。このナンバーワン女が店内のボスという立場を利用して、アンジェラいじめを煽っていたのだ。
「すみません、すみません」
アンジェラは、座ったままお客さんに頭を下げると、女の手につかまることなく立ち上がり、濡れてしまった服を着替えようと控え室へと向かう。
予備の服が、あったはずだった。
でも、ずたずたに切り刻まれていた。
店を挙げてのいじめが続いていた。
男性従業員も、ことごとくナンバーワン女の言いなりで、普通は営業が終われば女の子を車で家まで送ったりするところなのだが、誰も車に乗せて送ってくれる人は居なかったほどだ。
完全に孤立していた。
一人きりの控え室。遠くから聞こえる喧騒。切り裂かれた服を見つめて、誰にもわかられないように静かに溜息を吐く。
「ねぇ、アンジェラ」
背後から声がした。ナンバーワン女の声だった。可愛いというよりは美人と言った方が適切で、抜群のスタイルとカリスマ的存在感がある。アンジェラはどちらかと言えば小動物的な可愛さが魅力の女の子なので、二人は対照的だと言っていい。アンジェラがゆっくり振り返ると、その高慢そうな女は続けて言う。
「アンジェラ、よかったら、私の服、貸してあげようか」
とても煌びやかで、美しく、アンジェラ好みに派手で、着心地の良さそうなオレンジ色のドレスを差し出してきた。
ナンバーワン女に合ったサイズの服をアンジェラが着たら、ぶかぶかである。いやみだと思った。身長が全然違うので、ひどくぼったりとしてしまうと考え、畳まれた服を叩き落した。地面にドレスが広がった。
「何するのよ、アンジェラ」
しかし、アンジェラは怒りを抱いているので答えない。青い女をにらみつけた。
「どうしたの、アンジェラ」
アンジェラとしては、「よく言うよね、自分で周りをけしかけといて」とでも言いたいところだっただろうが、じっと我慢する。ようやく何人か自分を指名してくれる人も出はじめたというところでナンバーワンである彼女に表立って歯向かってしまっては辞めさせられかねない。やめさせられたら食うに困る。だから、我慢。とにかく我慢。
「ドライヤーで乾かせば、何とかなるから」
言って、鞄からドライヤーを取り出す。
青い服の女は、地に落ちたオレンジ色の服を手にとって、丁寧な手つきで折りたたみながら、
「でも、お酒くさくなるじゃない」
「いいから、行きなよ。指名入ってるんでしょ」
「まぁ、でも、ここに置いておくからね」
そう言い残してホールに戻った。
アンジェラは、テーブル上に置かれたオレンジのドレスを一瞥すると、ドライヤーのスイッチを入れた。
「……うわ、酒くさ」
熱風と共に、酔っ払いそうなニオイが襲った。
それでも、置いて行かれた服を着ようとは思わなかった。
多少の酒くささなら、店の雰囲気もあって誤魔化せるだろうと思った。
ホールの方から、従業員の声が響く。
「アンジェラさん、十五番に御指名でーす」
「は、はーい!」
アンジェラはドライヤーを切り、パタパタと早歩き。
控え室の外に出ると、従業員が待っていた。
「アンジェラさん、十五番です」
「うん。えっと、誰かな」
「さあ、少なくともボクの知らない人でしたね」
「初めての人かぁ。そんじゃ、ありがとね」
従業員は小さく頭を下げて、別の仕事へと向かった。
アンジェラは薄暗い照明とボリュームの小さな音楽の中、十五番テーブルへと向かった。