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therapy-7

 ウェイトレスぶりも板についてきたある朝、ユファはサンドラからフォウス・リーフの店番を頼まれた。その日はサンドラの採血事前検査の1週目だった。

「表の札はCLOSEにしておいたから。それでもいらっしゃったお客さまには『今日は料理を作る者がおりませんので、場所だけのご提供となります』って言うの。今日は木曜だから、佐倉さん以外のお客さまは来ないと思うけど、念のためね。じゃあ、よろしく」

 サンドラの予想どおり、昼過ぎに佐倉が来た。何も出さないのは気がひけたので、せめて、とユファは水を出す。

 あまりにも佐倉が退屈そうだったので、ユファはこの前サンドラには聞けなかったことを口にしてみようと思った。

「佐倉さん、この前ミセスが言っていたんですけど、ここってコロニーに何か残してきた人が来るんでしょ。あたしもいろんなお客さん見て、そうだなって思ったんだけど」

「ああ」

 佐倉は気の抜けたような返事をする。

「ミセスはどうなのかな。佐倉さん、何か知りませんか?」

 サンドラの名が出た途端、佐倉の目に光が宿ったのをユファは見逃さなかった。

「彼女もコロニー生れだから、何もないわけはないと思うよ。たとえばね……」

 そうして佐倉は人がいないのにもかかわらず、はばかるといったように声を落として続ける。

「ミセスがいつもしているピアスがあるだろう?」

 言われてみればサンドラはいつも一個は同じピアスをしているような気がした。小さくて目立たないが、光の具合によって光るのだ。店に出る時はさらにもうひとつつけるのだが、その小さな光るピアスをはずしたところをユファは見たことはなかった。

 佐倉はさらに続ける。

「あれ、どうやら磯崎氏からの贈り物ではないらしいんだ。コロニーに残してきた大切な人の思い出の品じゃないかと、ぼくは考えている」

「大切な人? ……それって『いい人』ってやつですか?」

 ユファの声が上ずる。サンドラに、磯崎氏以外にそんな人がいるというのは意外な気がした。

「ま、ミセスほど魅力的な人なら、そういうこともありえるだろうさ」

 ユファは佐倉に続けて何か言おうとしたが、ドアベルの音にさえぎられてしまった。

 入ってきた4人連れの女性を見て、佐倉がユファに耳打ちする。

「ユファは初めてだな。あのご婦人方は月に1回ぐらいしか来ないんだけど、今月は今日がその日らしい。ミセスがいないのが幸いだ。ぼくは用事を思い出したんで、失礼するよ」

 佐倉が彼女たちを避けているのは明白だった。そのわけはユファもじきに判った。

 彼女たちはそろって30代後半といった年恰好だった。話題からスクールに通う年代の子供がいることが判った。彼女たちの共通点はもうひとつあった。

 噂好きなのだ。互いに、近所や子供をとりまく人の、ユファにはどうでもいいと思えるような話をした後、矛先が向けられた。

「あら、あなた新しい子?」

 まるで酔っ払いが安酒を飲ませる飲食店のウェイトレスに声をかけるようなぞんざいな言い方だったので、ユファはそれだけでめいってしまう。

「ユファ・リーといいます」

 名乗ってから、しまったとユファは思った。エンジェル・フィールドに来てからは味わったことがなかったしかし、おなじみの気分をユファは味わった。4人はぴたりと話をやめ、ユファのことを穴が開くほどみつめる。

 やがて一人が口を開いた。

「ごめんなさいね、ユファ。東洋人エイジャンに見えたのよ」

 ユファは胸の中だけでため息をつく。久しくなかった最悪のパターンだ。

 さらに婦人の一人が、ノースリーブのデニムワンピースを着ていたためむき出しになっていたユファの腕を見て言う。

「あら、あなた皮膚端子がまだなのね」

 普通、ちょっと見ただけでは判らないことが彼女には判るらしかった。

「早くつけるといいわ。皮膚端子はエンジェルの証、誇りなんだから」

 彼女は得意げに言う。彼女自身が誇りに思うのは勝手だが、ユファはそれを押しつけられるのは嫌だった。最近のユファはどちらかというと自分がエンジェルだということに後ろめたさを感じていた。

 結局、自分は逃げてきたのではないかと思い始めていたからかもしれない──スラムからも、義母からも。

 義母はいまだにあのスラムの、光も射さないかび臭い部屋で目を覚ますのだろうか。今の自分がなまじ恵まれていると感じるので、後ろめたさはユファの胸の中で日々、増して来ていた。

 それ以来、皮膚端子をつけるまで、ユファは袖なしの服を着なくなるが、それはまた別の話だ。

 彼女たちの追究はさらに続く。

「小さいのにえらいわ、一人でエンジェル・フィールドに来たのね。うちの子も同じくらいの年だけど、とても真似させられないわ」

 可哀相な子、という気持ちがその言葉にはこめられていた。悪気はないのだろうが、自分の意志とは無関係に決めつけられるのは気持ちがいいものではない。

「どうして一人で来たって判るんですか」

 話してもいないことを口にされ、ユファはムッとしながら訊く。

 思えば佐倉も、ユファは何も話していないのにコロニー生まれだと知っているようだった。

「ここはそういう子を世話するところだからね。ま、それぐらいの負担はしてもらわないと。磯崎さんのところは義務を果たしてないんだから」

 ユファは心の中に冷たいものを感じた。

 自分は義務で世話してもらっていたんだ。磯崎夫妻にとって、はたさなければならない義務、負担なんだろうか。傍からはそう見えるかもしれない。でも、心がちがうと感じる。

「……どういうことですか」

 声が無表情になるのは、色々な感情を抑えるためだ。

「ドナー同士の結婚のことよ」

 ユファは驚いて問い返す。

「磯崎さんってドナーじゃないんですか?」

 すると4人は意味ありげな視線を互いに交わした。

「サンドラさんはドナー。でもね、磯崎さんは研究者なの。ま、お二人はコロニーからのおつきあいらしいから責めるつもりはないんだけど」

「でも、義務を怠っているのには間違いないでしょう。そんなことされたらエンジェル・フィールドの意味がなくなるじゃない」

「そう言えば……」

 と彼女たちの言う「義務を怠っている人」の話がえんえんと続く。しかし、ユファの耳に彼女たちの声はもう入らない。

 コロニーなら自由に結婚できる。自分の義母のように。自分の気持ちを貫いて、誰かの幸せをちょっとぐらい削ったとしても、相手を選べる。

 そんなことを考えかけてユファはやめた。ここでは彼女たちが正しい。自分がそのための負担だ、などという考え方はしたくなかった。けれども言われてみれば、そういうふうにも考えられるかもしれない。

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