therapy-6
疑問は、夕食を終えてベッドに就いてからもユファの頭から離れることはなかった。
考えながら横になっていると不思議な音がした。澄んだ高い音なのだが、耳障りではなく転がるような音が天井からしてくる。正体を確かめようと廊下へ出ると、今までは見たこともなかった上に昇る階段があった。おそるおそる昇ると、階段は屋根裏部屋につながっていた。
そこは妙に心の安らぐ空間だった。誰かの秘密の隠れ家だとしたら、その誰かがうらやましくなる。
まるで図書館と博物館を合わせたような、時間と知識が蓄えられている場所に独特の雰囲気がそこにはあった。
天井は全面ガラス張りの天窓になっていて、夜空がよく見える。正方形の部屋の壁、三面は本で埋められていた。
モルシートではなく、紙を束ねて作った昔ながらの「本」だ。残りの一面は出窓になっていて棚が置かれ、その棚には色々なものが置かれていた。
たとえばビン。大きさはさまざまだが、どれも透明なガラスのビンだ。中味もさまざまで、ざっと見ただけでも砂、石、貝、などが入っている。横倒しにされたひときわ大きなビンにはどうやってその狭い口から入れたのか、模型の帆船が入っていた。
セピア色の球体は最初、地球儀かと思ったが、よく見ると地球から見える星の配置を現す天球儀だった。
そのほか鳥の頭がついたガラス棒のおもちゃだとか、組み上げるのに時間がかかったろう二重らせんの分子模型だとか、とにかく色々なものが並べられている。
そして、その空間を天窓から入る沈みかけの月の光が満たしていた。息を吸い込むと、かすかに日だまりの匂いがした。ユファの記憶にはないのだが、何故か懐かしいと表現したくなるような匂いだった。
窓辺に、ユファは不思議な音の正体を見た。木と鉄の棒が下がった円盤だ。風が吹くと棒が揺れてあの音を出す。
下から光が射しこんできて、ユファはそちらに顔を向けた。そこには階段を上がってきたソウがいた。右手にはランプを掲げている。
風が吹いてきて、円盤が音を立てる。
「うるさかった?」
「ううん、いい音だったから、何かなと思って」
ソウは円盤の方をちらりと見た。
「ウィンドチャイムっていうんだ、これ」
あらためて部屋を見回し、ユファは言う。
「……こんな部屋があったんだ」
「うん、磯崎さんに教えてもらった」
言いながらソウは部屋に入ってきた。ランプを部屋の真ん中に置き、本棚に近づくとなれた手つきで一冊の本を取り出す。ページの間からしおりを取り出したので、読みかけなのだろう。
「何を読んでたの?」
ソウは持っていた本をユファに差し出した。その本の表紙は紙ではなく皮でできていた。「妖精の祈り」というタイトルがついている。
「どういうお話なの?」
「妖精が命をかけて森を甦らせるんだ。もとはと言えば、森が失われたのは人間のせいなんだけど」
「ふーん」
タイトルに「祈り」という言葉が使われていたので、ユファは本の内容に興味を持った。
もしかすると、この本が自分の持っている疑問のひとつを解決してくれるかもしれない。しかしソウが読みたそうにしていたので返した。時間はまだ1ヶ月もあるのだ。読もうと思えばいつだって読める。
ふいに猫の鳴き声がして、ユファとソウはびくっと肩を震わせた。マリィがユファの後を追ってきていた。碧の毛が月とランプの光を受けてキラキラと光る。
「マリィをね、最初に見た時はちょっと驚いた」
ソウが本に視線を落としたまま、そう言った。マリィの毛のことを言っているのだろう。
「自然の色じゃないからね。染めてるんだ。でも、これってマリィの希望なのよ。あたしと初めて会った時から、ずっとこうなの」
ユファはソウに、まだ誰にも話したことのないマリィとの出逢いを話し始める。
「マリィはね、あたしが6歳の時、ごみ箱から拾ったの。その時にはもう充分おとなの猫で、傷だらけのボロボロだった。
いたずらだと思ったんだけど、青いペンキをかけられててグッタリしてたの。ペンキは後からいたずらじゃないって判った。マリィったら自分からペンキをかぶる癖があったの。しかも青のだけ。色が判るのかな。あんまりペンキをかぶるから、髪を染めるやつで青く染めてあげたの。それ以来、ペンキとじゃれなくなったんだ……」
ランプの揺らめく暖かな光が静かに二人を照らす。
ソウはいつの間にか、本から視線を上げ、うなずきながら熱心にユファの話を聞いていた。
エンジェル・フィールドに来て、ユファとしてはすぐにでもスクールに通いたかったのだが、スクールが夏休みに入ってしまい、そうもいかなくなっていた。ぶらぶらするのも性に合わないので、翌日からはフォウス・リーフの手伝いをすることにした。
ソウはというと、朝食を終えると何も言わずにどこかに行ってしまうのだった。どこへ行くのかは話してもくれないし、ユファの方からは訊ねもしなかった。人が何をしていようと関係ない。
でも、ソウから話してくれるなら、その時は聞こうと思っていた。
フォウス・リーフは10時に開店し、夕方の6時に閉まる。普通は客がとぎれることはあまりない。町で唯一の喫茶店だからだろうか。街には軽食屋は他にもあるし、ファーストフード風の店もあった。しかし、喫茶店の名に相応しい茶へのこだわりが見られるのは、フォウス・リーフだけだ。
また、客は一度来ると1時間はいた。サンドラと話しこんでいくのだ。
昼はランチ目当ての客でにぎわう。サンドウィッチ、パスタ、ライスの3種類のメニューが各限定10食、曜日変わりで出る。ほぼ毎日来るいわゆる顔なじみさんもいる。
利益はあまり考えていないらしい。生活の最低限が当局から保障されているから、あまり儲ける必要がないのだろう。
昼時以外のフォウス・リーフにはありとあらゆる珍しい職業の人たちがちらちら来た。
表現者という言葉でくくれる彼らは具体的には、物書き、歌い手、手品師、絵描き、楽器弾きといった職業の人々だった。彼らには共通していることがあった。話しぶりから判ったのだが、みんなコロニーに何か、残してきたのだ。