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Dragon Sword Saga2『旅の仲間(後編)』  作者: かがみ透
第 Ⅲ 話 紅通りの魔道士
9/19

魔道士ドゥグとバヤジッド

改行、表現その他、読みやすく直しました。(2016.6.8)

 浅黒い肌に、黒い艶やかな髪の間から覗く、真っ赤なルビー。

 その下にある深く碧い切れ長の瞳は、何も語ってはいない――。


 突然、壁を打ち破るようにして現れた黒い影のようなその男は、皆のよく知る人物だった。


「ヴァルのお兄ちゃーん!」


 彼の掌にいたミュミュは、泣きながら肩にしがみついた。


 彼の手は、「もう大丈夫だ」というように、彼女にそっと触れたが、目は『床』に転がっている緑色の塊を見下ろしたままだった。


「お前、わたしの縄張り、荒らす、だめ!」


 大きな緑色の頭を起こし、魔道士ドゥグがヴァルドリューズに向かい、潰れた声を発した。


「お前の結界は、せいぜいこの小屋の周りだけにしておくのだ」


 ヴァルドリューズは眉ひとつ動かさず、言い放つ。


 ケインは、ダミアスを振り返った。


「あなたとヴァルは、確か、この周辺に集まっている魔道士たちを取り締まるって、言ってましたよね?」


 ダミアスも、静かな目を彼に向けた。


「いかにも。このドゥグのように、自分の住処(すみか)の周辺に限らず、紅通り全体に結界を張り巡らせている者や、他の町などにまで手を伸ばしている者どももいる。


 ここに移り住んできた魔道士たちは、それぞれの身を守るためというよりも、おのれの力を他の者に見せしめるために結界を張っているようなものなので、まずは結界の解除を求めることになったのだ。それだけは、なんとか聞き入れてもらわねばならない」


「確かに、この紅通りを取り仕切るには、腕のいい魔道士の力が必要みたいね」


 マリスも頷いた。


「だけど、魔道士の誓約ってのがあるんだったら、奴等を取り締まるって言っても限度があるんじゃないか?」


 珍しく、カイルがまともなことを言ったように、ケインとクレアは思った。


「そこが、難しいところなのだ」ダミアスが肩を竦めた。


 ドゥグの部屋の中は相変わらず不安定で、とても魔道士ではない人間たちが、出て行ける状態ではない。


 だが、ヴァルドリューズは、いつものように平然としており、ミュミュは、はぐれないように彼の肩にとまり、首につかまっていた。


「わたし、縄張り、広げる。ドゥグ、ここで、一番の魔道士」


 緑の魔道士は、うっそりと立ち上がった。

 たたた……と走って、ヴァルドリューズに掴みかかろうとするが――


「げこーっ!」


 ヴァルドリューズに触れる前に、弾き返されたように吹っ飛んでいた。

 対するヴァルドリューズは、身動きひとつしていなかった。


「愚かな。お前では、私に触れることすら出来ん」


 彼の抑揚のない声が、そう告げた。


「いいぞー! やっちゃえ、やっちゃえー!」


 形勢逆転とばかりに、ミュミュは拳を振り回して喜んでいた。


 ドゥグは、腰の辺りと思われる箇所をさすりながら起き上がると、奇妙な音を発し始めた。


 それは、何かの呪文のようで、そのまま両方の手を上に伸ばすと、徐々にもくもくと煙のようなものが沸き起こり、だんだんと、あるものを形作っていった。


「我が蝦蟇蛙(がまがえる)神『ガマンダマ』よ! 我に力を貸し与え給え!」


 彼の拝んでいる神の名前らしかった。

 ドゥグの口からというよりも、念波としてそう言っているのが、一行にも伝わった。


「『ガマンダマ』ですって!?」


 クレアが悲鳴に近い声を上げた。


「あんなものを拝んでいる人間が、まだ存在しているなんて……! 汚らわしい!」


 クレアは、胸元で神の印を切った。


 彼女によると、ガマンダマというのは、大きな蟾蜍(ヒキガエル)のような格好をした獣と蛙の間に生まれた邪神で、口から吐く白い毒液で人々を苦しめていたのだという。


 恐怖に耐えられなくなった人々の中には、逆にそれをあがめて難を逃れようとする者たちが増えていき、ある村では、彼らと邪神ガマンダマによる大虐殺が行われたりもした。


 だが、その邪神を拝んでいた者たちは、次第に手足が退化したように短くなっていき、全身に大きなイボができるなどの皮膚に異常が現れ、みるみるうちに人間離れしていったのだという。


「魔道士の塔が設立されてからは、『ガマンダマ』は邪神とされ、あがめるのは禁じられたわ。それが、なぜ……」


「彼は、七〇〇年以上生きている。魔道士の塔と魔道士協会が出来る以前から、『ガマンダマ』を密かに崇めていたのだ」


 クレアが、そう答えたダミアスを振り返り、驚いて見つめた。


「げーっ! あいつ、そんなに長生きしてたのかよ!? 魔道士って、人間の寿命を越えることが出来るのかー。すげえなぁ!」


 カイルが妙なことに感心した。


「こちらの宮廷魔道士の方は? 先に法律を作って、彼らを取り締まるということは、考えられなかったのですか? 魔道士の塔にだって協力を求めるとか」


 クレアの質問にダミアスが答えるより早く、マリスが口を開いた。


「ここに移ってきた魔道士たちは、上品な宮廷魔道士さんでは手が付けられなかったんでしょうね。あたしたちはあいつ(ドゥグ)しか見ていないけど、あんなようなヤツが他にもいるっていうのなら、なおさらだわ。魔道士の塔にしても、宮廷に害を成すでもないことでは動いてくれないでしょうし……」


「だったらさー、せめて、こっちの宮廷魔道士が直接案内してくれりゃあいいじゃねーか。何も、わざわざアストーレの宮廷魔道士であるダミアスを、こっちに引き止めなくたってさ。ダミアスの方が腕がいいにしても、てめえの国の始末くらい、てめえでつけらんなくて、どーすんだよ、なあ?」


 カイルがケインに同意を求める。

 彼がそれを言うことには少々引っかかるケインであったが、同感ではあった。


「ここの宮廷魔道士にヴァルを紹介すれば、もうダミアスさんの用は済んだようなものなのに、なぜ、彼らはヴァルと一緒に紅通りを取り締まらないのかな?」


「それは、今にわかる」


 そうケインとカイルに言ったダミアスの横顔は、意外なことに、またしても微笑んでいたのだった。


 一方、ドゥグの両手の上には、いよいよ、大きなイボだらけの茶色い塊が、はっきりと浮かび上がる。


「なんだ あのデカいのは!?」カイルが身を乗り出す。


 塊は、だんだんと形を成していく。四つん這いの、ヒトとも獣とも違うものだった。

 皮膚はてかてかと、脂を塗りたくっているかのように光り、折れ曲がった四肢には動物の毛のような短い毛が生えている。

 ドゥグと同じように、指が四本しかなく、先が丸い。


 まさに、ヒキガエルが、さらに巨大に、おぞましい存在となったような――そのようなものだった。


 それは、さらに膨張していった。

 小屋からは、はみ出してしまうほどにまで膨らんでいるように見えるが、この室内の広さも何もかもが、一行には見当もつかない空間であったので、『それ』が『そこ』にあっても、不思議ではなかった。


 ダミアスが、一行を連れ、更に上昇したため、彼らが上から見下ろしている状態には変わりはない。


「あ、あれは、『ガマンダマ』自身……! なんてことを! 『ガマンダマ』を召喚していたというの!?」


 クレアが、今にも悲鳴を上げそうになりながら、両手を顔に当ててた。


(自分の技――といっても、体当たりにしか見えなかったけど、それが通用しなかったからって、いきなり切り札を出してくるとは……! ――てことは、あいつ自身は全然たいしたことないんじゃ……?)


 そうも思えたケインであった。


「きゃーっ! バケモノー!」


 ミュミュが叫び声を上げた。

 間近で見るものにとっては、一層気持ちが悪いことだろうと、皆は、ミュミュに同情した。


 赤黒い空間の中に浮かんでいる、薄汚れた茶色いものは、ゆっくりと大きく口を開いた。


 どばっ!


 濁った白い液体が、ヴァルドリューズに向かって吐きかけられると同時に、ヴァルドリューズの身体は消えていた。


 ドゥグは、ヒキガエルを持ち上げたまま、敏捷な動きで飛び退った。


 が……!


「げぶあっ!」


 彼の後方に、突然ヴァルドリューズが現れ、ドゥグに向けた人差し指が空を切ると、途端にドゥグの、緑色の身体は、頭を残してバラバラに飛び散ったのだった!


「ひえーっ! いきなりそこまでやるかー!」


 カイルが思わず叫ぶ。


「マリスも結構ムチャクチャだけど、ヴァルも似たようなモンだ!」


 ケインも、思わず口をついて出る。


「殺してはいない。ドゥグはまだ生きている」


 ダミアスが静かに言った。


「あれで死んでいないって……? 魔道士っつうより、バケモンじゃないか!」


 カイルが目を白黒させた。


 ドゥグの頭が床に落ちると、彼から飛び降りた『ガマンダマ』は、今度は、口の中から赤くしなやかな鞭のような舌をくねらせ、それが、ヴァルドリューズに向かって行く。


 その鞭は、ヴァルドリューズの間近で突然硬質化し、剣のような鋭さで、彼の胸に突き刺さった。


「ああっ! ヴァルー!」


 結界から、思わずカイルが叫び、クレアも顔を伏せ、両手で覆っている。


「大丈夫。ちゃんと(かわ)してるわ!」


 マリスは、視線を反らしていない。


 突き刺さっているように見えた硬質化した舌は、ヴァルドリューズの身体を覆い尽くしている黒いマントに、めり込んでいる様子はなく、彼は出血もしていない。


「あいつの『舌』は、ヴァルに触れてもいない。ヴァルは、自分の周りの空間を『曲げている』わ。だから、あいつの舌は、ヴァルに届くことなく、空を切っているのよ!」


「ヴァルドリューズさんが、結界を!? そんな……全然わからなかったわ……!」


 マリスの説明を聞いたクレアが、信じられない様子で、下で起きている光景に目を見張る。


「たいてい、結界というと、本人の周りを球か半月形に覆い尽くしているものや、網の目のように張り巡らせているものなどは見かけるが、私もあのように『器用に張った結界』というものは初めてだった。彼は今、自分のすぐ外側にのみ結界を張っているのだ。彼と組んで仕事をしていると、実に珍しいものばかり見せられ、常に驚かされる」


 ダミアスが、いくらか微笑んだ。


「そんなことが……!」


 クレアは、師匠であるヴァルドリューズに、尊敬の眼差しを送っていた。


 ヒキガエルは、相変わらず、硬質化した舌を、あちこちからヴァルドリューズに突き刺すのを試みるが、無駄とわからないのは、やはりカエル並みの知能しか持ち合わせていないからかも知れなかった。


 ヴァルドリューズは無言であった。

 肩に止まっていたミュミュは、彼の首の後ろにまわり、そこから少し顔を覗かせて、戦況を見守っていた。


 ヴァルドリューズが、片方の手を胸の辺りまで引き上げた。


 彼の掌からは、ぼわーっと、何かが光り出している。

 それは、だんだん大きくなっていくとともに、銀色に輝き出す。


 それを、ケインは、マリスとヴァルドリューズの宿敵、ヤミ魔道士グスタフを倒そうとしていた時に、ヴァルドリューズが放とうとした銀色の光の球と同じだと思い出した。


 ヴァルドリューズは、『それ』を、飛びかかってきた『ガマンダマ』に向けて放った。


 ボールをただ軽く放ったように見えたそれは、一瞬のうちに目的に当てられた。


 げぐぁごぼっ!


 邪神は銀の球に飲み込まれ、奇妙な叫び声ともつかぬものを上げて、しゅ~しゅ~と煙に巻かれていき、姿を消し去った。


 ヴァルドリューズは転がっている緑の丸いものを片手で拾い上げ、もう片方の手を、室内に翳した。


 突然、目の前の様子が変わった。


 今まで、皆が感じていた不安定さはなくなり、石造りのその小屋の中には、農作物の入った袋が積み上げられている。


 ヴァルドリューズが魔道士ドゥグの結界を取り除いたのだった。


 ダミアスの結界も解かれ、一行は、やっと床に降り立つことが出来た。


「ヴァル!」


 一行は、ヴァルドリューズのそばに駆け寄った。

 といっても、狭い小屋の中なので、二、三歩近付いただけだったが。


 久しぶりの対面であったが、ヴァルドリューズはにこりともせず、あいさつすらない。

 何事もなかったかのように、静かな碧い瞳で、ただ彼らを見下ろしているだけだった。


 そこには、感動的なご対面などというものは、ありはしなかった。


「そ、そいつ、もう何もしないか?」


 緑色のドゥグの頭を不気味そうに見ながら、カイルがおそるおそるヴァルドリューズに訊く。


「ああ。再生するまでは」


「さ、再生すんのかよ!? やっぱ、バケモンだな……」


 カイル、ケイン、ミュミュは、ドゥグを取り囲み、不気味そうに眺めていた。


「久しぶり」


 マリスがヴァルドリューズの前に、進み出る。


「苦労してるみたいね。ちょっとやつれたんじゃない?」


 と、マリスはウィンクして微笑むが、皆からすると、以前とどこも変わらないように見えた。


 魔道士にしてはまだ若く、年齢相応に見える彼は、もとより、元気を絵に描いたような健康優良児というわけではなく、やつれたとは言っても、こんなものではなかっただろうかと、マリス以外は、思ったものだった。


「無理もない。この一週間もの間、彼は、このように、ひとつずつ結界を解いてまわっていたのだから」


 答えたのは、ダミアスだった。


「でも、いい機会だったじゃない? 思いっきり魔法使えて。たまには、あんたも発散する場所が欲しいでしょうしね?」


 マリスがからかうような目で、ヴァルドリューズを肘でつつくが、彼は、ちらっと彼女を見ただけで、何も言わなかった。


「ま、そのために、ダミアスさんがいるんだろうけど」


 ケインとカイル、クレアは、マリスのそのセリフで、ダミアスを振り返り、ヴァルドリューズと見比べた。


「この紅通りを訪れた時、あなたたちは、これは一筋縄ではいかないことがわかった。短期間でなんとかするには、少々荒っぽい方法に出るしかなかった。それは、魔道士の塔の会員であるダミアスさんを含め、こちらの宮庭魔道士さん方には、どうしようもなかったけど、ヴァルだから出来たわけ。


 ヴァルは、魔道士の塔から外れてるから、魔道士の誓約なんて関係ないわ。だけど、そのやり方が、この国の宮廷魔道士の耳に入ったら、魔道士の塔に報告され、最悪ヴァルはお尋ね者になってしまう。そこで、親切なダミアスさんが、『カーテン』の役割をしてくれてるってわけね?」


 ダミアスは、そう言ったマリスに微笑してみせた。


「なんだよ、ヴァル、俺の魔法剣取り返してくれって言った時は、『魔道士の誓約があるからだめだ』って言っておきながら、実は関係なかったんじゃないか。ひでーなー」


 カイルが、ヴァルドリューズに向かって文句を言うが、彼は何の反応もなかった。


 ミュミュが、ちらちら飛んで、ヴァルドリューズに甘えるように、擦り寄っている。

 カイルと同調していたかに見えたが、てのひらを返したように、ヴァルドリューズに懐いていた。


「そういえば、ヴァル、『あるもの』ってなんだ? 『吟遊詩人がなんとか』って、あの暗号の」


 そもそも、それで彼に呼ばれて、ここまで来たのだということを、ケインは思い出した。


 ヴァルドリューズは、ケインに、いつもの静かな瞳を向けた。


 そして、やはり、いつものように、感情のない声で言った。


「悪いが、それは、もう一仕事終えた後だ」




 二つの物体が、うろうろしていた。

 ひとつは小人くらいの大きさの、黒いフードを被ったもの。

 もうひとつは、ボロを着た先ほどの緑人間だった。


 紅通りのヴァルドリューズの部屋に、一行はいた。


 ソファや椅子が用意されていて、一度来た時よりも、ヒトが住んでいるような部屋のようである。


「これはこれは、お美しい娘さん方に、頼もしい剣士の方々。さあさ、皆さん、お疲れになったでしょう? どうぞ、お(くつろ)ぎください」


 ヒトのものではないような、違う高さの声がいくつか一斉に喋っているような奇妙な声で、それは言っていた。


 その黒いフードの中は、茶色いしわしわした枯れ木に、赤く光る小さな目のようなものが二つあるだけの、まるで、木で出来たヒトだった。


 ダミアスによると、三、四日前に出会った、無害な魔道士で、ヴァルドリューズの力に感服し、こうして身の回りの世話を焼きたがるのだという。


 もうひとりの魔道士ドゥグは、手も足もすっかり再生していて、これまたうろちょろと忙しなく歩き回っている。


 その、木の魔道士の、木で出来たような手が差し出す紅茶の入った器を、一行は、おそるおそる受け取った。


 彼は、五本に枝分かれした根っこのような、曲がった指をしていた。


「ヴァルドリューズ様、お手透きの時に、どうぞお飲み下さいませ」


 ヴァルドリューズは相変わらず口数が少なく、そう言われても何も返すことなく、机で書き物をしていた。


 ドゥグの後、もう一件、別の魔道士の結界を整理してから、ここへやって来たが、それでも、まだなお彼の仕事は終わらない。


 木の魔道士は、紅茶をヴァルドリューズの机の隅に置くと、今度は、いそいそと茶菓子を運ぶ。


「わたくしは、バヤジッドと申します。もうずっとこの紅通りに住んでいるのですが、最近はひどいもんです。あちこちから魔道士どもが移り住んできて、秩序も何もあったもんじゃありませんで、まったくわけがわかりません」


 実際に住んでいる住民がそう言うのなら、よそ者のケインたちになど、一向にわけがわかるはずもなかった。

 バヤジッドと名乗る魔道士は、両手を器に添え、「はあ」と溜め息混じりに、茶を啜った。


「ちゃんと皇帝陛下の許可を頂いて住んでおるものもいれば、無許可のものもいるのです。やつらは、宮廷魔道士のよこした見張りが来ると、結界によって察知し、すぐさま空間に逃げ込んでしまうのです。とくに、夕方から明け方などは、やつらの動きが最も盛んになり、迂闊にでも彼らの結界に触れようもんなら大変です!


 変な空間に紛れ込んでしまったり、攻撃をしかけられたり……魔力の特に高い者たちの結界の中でなら、他の魔道士たちに気付かれることなく攻撃出来ますからね。もう、無法地帯のようなものです。


 ですから、ここの住民たちは、夜の間は、表をうろつかないようにしてるんです。そうこうしているうちに、宮廷魔道士たちの手に負えないほどの事態に悪化してしまったのですよ」


 紅茶をすすってから、バヤジッドの話は続いた。


「それだけなら、まだいいんですが、やつら、私などのように、もともとこの紅通りで、ささやかに暮らしていた無害な魔道士に対して、力自慢をしてきたり、嫌がらせなどをするように、なってきたのです。


 勿論、魔道士の誓約に触れないギリギリの部分で。隣の町の人々に、ちょっかいを出す奴なんかも出てきまして、宮廷の方も苦情が絶えず、大変お困りのようでした。なので、ご親戚であるアストーレ王国の、有能な宮廷魔道士であるダミアス様に、ご相談されたのです。


 あ、すみません、私ばっかり喋っちゃって。ああ、こちらのケーキも美味しいですよ。さっき、隣町で一番のお菓子屋で購入してきたんです。遠慮なく食べてください。ヴァルドリューズ様もいかがですか? よろしければ、お持ち致しますが」


 ヴァルドリューズは見向きもせず、書き物を続けている。


「すみませんね、皆さん。せっかくいらしてくださったのに、ヴァルドリューズ様は、今、宮廷に提出なさる報告書をまとめておられるのです。もう少し、お待ち下さいね」


 『彼』(おそらく、男だろうと皆思った)は、まるでヴァルドリューズの執事のようだった。


「この紅茶、美味しいわ」


 クレアが、マリスに囁いた。


 得体が知れなかったので、ケインもカイルも口をつけないでいたのだが、クレアのセリフで二人とも飲んでみると、意外にも美味しかったのだった。

 乾燥させて、細かく砕いたスロウの実を、香草と一緒に抽出した紅茶であった。


「スロウ・ティーなんて、初めてだわ。スロウの実って、紅茶と相性が良かったのね」


 マリスは怖じ気付くことなく、むしろ感心したように、木の魔道士に微笑みかけた。


「これは、私の自作なんですよ。私、料理にも興味があるもので。ただ、スロウと香草を合わせただけじゃ、ちょっと物足りなかったんで、ミシアの果皮をちょっと加えてみたんです。スロウの実の甘酸っぱい味と香りを、損なうことなく出来た紅茶だと思うんですが、お気に召されましたか? よかったら、お替わりの方はいかがです?」


 声の調子からすると、彼は喜んでいるようだった。


 マリスとクレアは、紅茶をお替わりした。


 ケインとカイル、ダミアスは紅茶をすすり、ミュミュはテーブルの真ん中で、ケーキを抱え込んで、クリームまみれになりながら、頬張っていた。


「これ、ドゥグ、作った。食べる、よろし」


 なんだか異様な匂いがすると皆が思っていると、いつの間にか、緑の魔道士ドゥグが、銀色の器をヴァルドリューズに差し出していた。


 彼も、ヴァルドリューズの機嫌を取っているつもりなのだろうか?

 食べ物の匂いとはかけ離れた、何とも言えないその匂いは、ドゥグの差し出す皿に乗ったものから発せられていた。


「あ、これ! ヴァルドリューズ様は、今は、お仕事中だというのに! だいたい、この家の台所は、私が預かっているのですよ! お前は、さっさと自分の家に戻んなさい!」


「ドゥグ、料理、上手」


「だから、私が……! だいたい、なんです、それは? 本当に食べられるものなんですか?」


「これ、ドゥグの得意料理。とても、うまい!」


「あっ! 大ネズミのしっぽなんか入ってるじゃありませんか! そんなもの、ヒトは食べませんよ!」


「これ、うまい! これ、うまい!」


「だめですってば!」


 二人の小柄な魔道士は、ヴァルドリューズの脇で、皿を引っ張り合いながら、揉めていた。


 一瞬、ヴァルドリューズが、それにはうんざりしたような目を向けたようだったが、一行が察するに、おそらく、それは、本当にうんざりしていたのだろう、と想像がついた。


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