旅の全貌
改行、表現その他、読みやすく直しました。(2016.5.18)
アトレキア王のもとへ呼ばれたマリユスが、町の近況報告を告げると、直ちに会議が執り行われ、北の山の警備の設置と、町の警備隊の増員が決まった。
ヴァルドリューズはまだ外国から戻らないので、彼を除く一行のメンバーが、マリスの宿泊している部屋に集まった。
「いやあ、久しぶりだよなー。お城で真面目に仕事なんかしちゃってると、今までみたいに、ぷらぷら出来なくてさー、たまには息抜きが必要だよなー」
カイルが、片方のベッドに腰かけ、サイドテーブルに置いた木の実酒の壺を持ち、ごくっと呷った。
「へえ、カイル、女官をナンパはしてないの?」
向かいのベッドに座るマリスが、からかった。
マリスは昨日とは違い、町娘の格好をし、髪をひとつの三つ編みに結っていた。
「それがさあ、俺に気のある女官がいるんだけど、城の中は、人の目が多くて、これがなかなか……」
「まあ! 不謹慎な!」
そう怒り出したのは、やはり、クレアだった。
マリスの隣に座っていた彼女は、カイルのホラ話を、すっかり信じている。
それを、面白がったカイルが、ますます彼女をからかう。
「木の実酒って、おいしーねー!」
ケインの膝の上では、ミュミュが、器に入っている酒をぺろぺろ舐めて、上機嫌になっていた。
「おいおい、ミュミュ、大丈夫か?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。人間はいいね。こんなもの毎日飲んでるのかー」
ミュミュは、お行儀悪く、口を手で拭い、足を投げ出していた。
「マリス、これからどうするつもりだ? ヴァルが戻ってきたら、今度はどこに行くんだ?」
マリスはまばたきをして、杯を手にしたまま、ケインを振り向いた。
「あら、ケインは、王女様と結婚して、アストーレに残るんじゃなかったの?」
「俺は、真面目に聞いてるんだよ! ……だいたい、お前がジャマしてるんじゃないか」
ケインは、後半は、口の中で呟いた。
「そうねえ……、魔物のいそうな辺りを虱潰しに……、ってのは飽きてきたし、……考えとくわ」
「ホントにお前、隊長だったのか? 何の計画性もないんじゃ、その辺の野盗と変わんないぞ?」
「や~ね~、ケインたら、飲んでるのにシラフなんだから。先のことは、ちゃんと考えてるから、大丈夫だってば~」
すると、ケインの横で、突然カイルがゲラゲラ笑い出した。
「うるさいぞ、酔っぱらい! まったく、人がマジメに話そうとしてるのってのに、こいつらは……」
「そうよ、みんな、不真面目よ! ヴァルドリューズさんがいなくても、私たちだけでも、ちゃんと次のことは考えておきましょうよ!」
魔道士見習いとなっても、巫女時代から引き続きアルコール度数の低い酒しか飲むのは許されないクレアが、真面目な顔で呼びかけるが……、
「きゃはははははははは!」
ミュミュが笑いながら、その辺を飛び回っていた。妖精でも酔っ払うんだろうか? と、ケインは目を丸くしていた。
「だいたいマリス、私たち、まだあなたから詳しく旅の目的を聞いてないのよ。それだけでも、今ここで、教えてくれない?」
「そうだよ、一体、お前とヴァルは、何を目指してるんだよ?」
クレアに続いて、ケインも、マリスに詰め寄った。
マリスは一口酒を飲むと、観念したのか、すっと立ち上がり、壁際の棚の中から数枚の地図を取り出す。
広げられた地図を、ケインもクレアも覗き込む。
「この丸く囲ってある箇所が、魔物の出現したという噂のある場所。この小さく四角で囲ってあるのが、次元の穴のありそうな場所で、バツがしてあるのは、もう退治してきたところね」
一行の出会いの場であった、クレアの出身地でもあるモルデラの町には、バツ印がしてあった。
その他にも、数カ所同じ印があり、他の地図にも、似たような書き込みがされていた。
「これ、みんな、あなたとヴァルドリューズさんが調べたの? 図書館にだって、こんな詳しい地図はなかったわ」
クレアが驚いて、地図からマリスへと視線を移動させた。
「ええ、そうよ。諸国を旅して回ってそうな人から得た情報をもとにね。あまり遠い国のことは、吟遊詩人に頼るしかなかったから、大袈裟なだけのネタもあると思うけど……」
そこまで話すと、ふとマリスが顔を上げ、回りを見回す。
ケイン、クレアも、なんだか周りが静かになったと見ると、ベッドに座っていたはずのカイルが、なぜか床に突っ伏して眠っていた。
ミュミュも、彼の髪の毛に包まって、気持ち良さそうに眠っている。
三人は、納得して、また地図に視線を戻した。
「……で、旅の目的は?」
ケインの質問に、マリスは肩を竦めてみせた。
「それが、あたしにも、よくわかんないのよ」
「なんだと? そんなことあるか」
「そうよ、マリス、茶化さないで、ちゃんと教えてよ!」
ケインとクレアの両方から攻められ、さすがに逃げられそうもないと諦めたのか、マリスが渋々語り始めた。
「あたしは、ほんとによくわかんないんだってば。ただ、ゴドーが……ゴドリオ・ゴールダヌスが……」
「ゴドリオ・ゴールダヌス……ですって!? あの大魔道士ゴールダヌスだって言うの!?」
クレアが、すぐさま打ち切った。
その名前を聞いた途端、以前のダミアスと同じように、クレアも非常に驚いていたのだった。
『その大魔道士って、一体何者なんだ?』と、ケインが尋ねる必要もなく、彼女は無意識のうちに解説していた。
「魔道士の中の魔道士――魔道士教会の知識と力を多いに超え、半ば魔神と化してしまったと言われている、あの伝説の魔道士ゴドリオ・ゴールダヌス――! 大昔のベアトリクス王国の宮廷魔道士をしていたって、聞いたことがあるわ。
でも、引退してからは、どこにいるのか誰も知らず、密かに、もう亡くなったのではないかと言われていたのだけれど……。マリス、そのゴールダヌス様のことなの!?」
クレアが、マリスを睨むように見つめる。
マリスは、けろっとした顔をしていた。
「へー、あのじいちゃん、そんな伝説的な人だったんだー? すごいのねえ」
「なっ、なんてことを……! おお、お許し下さい! ゴールダヌス様! 我らに災いをもたらすこと勿れ!」
クレアが、跪いて天井に向かい、懇願した。
それを、マリスは、嫌そうな顔で見る。
「そんなことしなくたって大丈夫よ。あのじいちゃんは、そのくらいで怒るような小さい人間じゃないんだから」
呆れたようにそういうマリスのセリフに、クレアは、今にも『ひーっ!』と叫び出さんばかりに、目を見開き、両手で頬を覆っていた。
「なあ、クレア。そのお方は、そんなに恐ろしいお方なのか?」
ケインは、なるべくクレアを刺激しないように心がけて、質問した。
クレアは、キッとした視線を返す。
「当たり前です! モルデラの祭司長様は、村が災いに見舞われたのは、ゴールダヌス様のお怒りに触れたからだと判断し、神様と一緒にゴールダヌス様のことも拝んでおられたのですから」
「けっ、バカバカしい!」
マリスが、クレアに聞こえないように、ぼそっと呟いてから、言い放った。
「あのじいちゃんは、ただの魔道士よ。神じゃないわ。拝むようなモンじゃないって」
「ま、またそんなことを……!」
怯えるクレアに構わず、マリスは真面目な表情で続けた。
「『獣神サンダガー』の召喚を思い付いたのは、あいつなのよ! すなわち、あたしの運命を変えた男でもあるわ!」
マリスの、静かだが強い口調が、静まり返った夜の闇の中へ、響いていった。
すべての生き物が活動を停止してしまっていたかのようだった。
闇は、すべてのものを飲み込んでいた。時でさえも――。
沈黙を打ち破ることは、ケインにもクレアにも出来なかった。その同じ空間にいる誰にも――ただひとりを除いては――。
「七つの星が揃う暁の時、千年の長きにわたり眠りから目覚し魔王が、この地に降り立つ。この世は再び闇に包まれ、やがて暗黒の時代が来よう。我らの魔王とともに我らの時代が訪れる。ただひとつ、『黒く輝く盾を備えた金色の竜』が、我らの前に立ちはだかり、我らにとって必ずや凶星となるであろう……。
それは、大魔道士ゴールダヌスが、闇に住まうものの間に伝わってきた予言を解釈し、わかりやすくしたものだった。まだ不明瞭なところはいくらかあるにせよ、魔道士協会を始め、他の大魔道士と呼ばれる者ですら、ここまで詳しく究明することは出来なかったわ」
インカの香の漂う部屋の中で、マリスは、声を低くして語る。
呪文のような厳かな彼女の口調に、ケインとクレアは、聞き漏らすまいと、静かに耳を傾けていた。
「彼は、始め、『金色の竜』をゴールドドラゴンと、それを召喚し、操ることの出来る黒魔道士を『黒く輝く盾』としていたわ。でも、彼のあらゆる知識を用いて行われた占い、その他の研究、実験によって、さらに詰め寄っていった結果、ゴールド・メタル・ビーストの化身である獣神『サンダガー』と、もっとも闇に近い神、『黒い魔神』の異名を持つ『グルーヌ・ルー』を呼び出せる魔道士のことだと解釈するようになったの。
なぜ、魔神『グルーヌ・ルー』そのものではないのかというと、魔神はもっとも闇に近い、即ち、『魔王』と共鳴してしまうかも知れなかったから。
大魔道士はヴァルに、魔神の召喚の時は気を付けるように言っていたわ。だから、彼が魔神を召喚した時は、ごく一部のみだから、見た目には変わってなかったでしょう?」
クレアとケインが頷くのを見計らってから、マリスは続けた。
「『サンダガー』を守護に持つのは、稀らしいわ。ゴールド・メタル・ビーストを守護神に持つ武将たちは、たくさんいても、『その化身』を守護神に持つ者は、滅多にいないんですって。あえて、その可能性があるのは戦士でね。
だとすると、例えサンダガーが守護に付いていたとしても、魔力の乏しい戦士が召喚魔法を会得して、自分で召喚するなんてことは、まず不可能だし、万が一、召喚出来たとしても制御するのが難しくて、暴走を恐れてということもあって、魔道士協会では『獣神サンダガー』の文字を記録から消し去ったの」
「そして、大魔道士ゴールダヌス様は、『サンダガー』を守護神に持つマリスと、『グルーヌ・ルー』を召喚出来る魔道士ヴァルドリューズさんを引き合わせ、『獣神サンダガー』の召喚技を成功させたのね」
クレアの静かな声に、マリスは、ちょっと首を捻った。
「う~ん、引き合わせたっていうか……まあ、結局は、そういうことになるのかも知れないけど……。『サンダガー』の召喚は、彼はヒントをくれただけで、実行に移したのはヴァルだったわ。あたしもちょっとは訓練したんだけどね。ま、『サンダガー』が完成した時は、ちょっと立て込んでたから喜ぶ暇も、あんまりなかったんだけどね」
マリスは、いつもの口調でそう言うと、木の実酒を飲むのを思い出したように、杯を口へ運んだ。
(かる~く言ってるけど、『サンダガー』の訓練や初陣戦て、実際、大変だったんじゃないだろうか? あんなものを呼び出し、うまくコントロールするなんて、練習する場もなかったはずだ。あの凄まじい威力を考えると、その度に山一つ削ることになるんだろうからな)
どうも、彼女は、どうでもいいところは本心をさらけ出しているようだが、核心部分に触れようとすると、こうしてなんでもないように、さらっと言いのけてしまう。
それは、彼女なりのガードの仕方なのだろうと、ケインは思い、だんだんマリスのことがわかってきた気がした。
ケインがそう観察している間も、クレアとマリスの話は続いていた。
「さっきの予言の『七つの星が揃う』っていうのは、なんのことなのかしら?」
クレアが慎重な面持ちで尋ねる。
「その辺は、まだ解明されていないわ。でも、大魔道士はあたしに、一七歳になるまでに、『サンダガー』を完成させろって、言ってたわ。技の完成が年齢と関係があったのか、もしくは、……今から約一年後から先に……と、にらんだのかも知れないわね」
マリスの瞳に、真剣な色が浮かび、すぐに消えた。
「ちょっと待てよ……、それって、魔王がやってくるのが、早くて一年後ってことか!? ま、まさか、お前達の最終目的って……魔王打倒なのか!?」
思わず乗り出しているケインの発言には、クレアも、はっと息を飲んだ。
二人に見つめられたマリスは、杯の中身を飲み干すと、珍しくためらいがちに、重々しく口を開いた。
「あたしは、そこまで知らされていない……。『サンダガー』の力が、いったいどこまでで、魔王に対抗するに値するほどなのかどうかもわからない。ただ、闇の魔王の現れる場所を限定するのだと、大魔道士に言われたわ。魔王もやはり、他の魔物と同じく、次元の穴を伝わって降臨するのだと、推測してのことでしょうね。
そして、これは、あたしのカンなんだけど、以前に比べて次元の穴が増えて、呼び出した者がいるというのはもちろんなんだけど、それだけではない気がするの。あれは、魔物たちが、魔王を迎え入れる準備に入ったのかも知れない……って……」
マリスは気遣うような視線をケインとクレアに注ぐが、その事態を恐れているというより、彼らが怯えるのを案じていた。
マリスの心配通り、クレアが両手を口に当て、目を見開き、恐怖で顔は青ざめていた。
ケインなどは、魔王といわれても、いまいちピンとこない顔をしていたが、巫女だった彼女は、神のありがたみと共に、魔王の恐ろしさを充分教えこまれてきたのだから、二人の反応が違うのは、当然である。
マリスは、そんな二人に、勝ち気な表情を作り、微笑さえも浮かべて見せた。それは、何も見せかけだけではなかった。
「そして、これも、あたしのカンなんだけど、万が一の対魔王戦に備えて、『魔王打倒の切り札になるような何か』を、ヴァルドリューズは『感じ取っている』ーーそう思うの!」
それは、衝撃的な夜だった。
ケインは、酔っ払って起きないカイルを背負って、クレアを女官の部屋まで送り届けた後、警備兵の宿舎に戻り、カイルを寝かせてから、自分のベッドに横になったが、全然寝付けそうになかった。
その後のことを、ふと思い起こす。
「最初っからこんなこと言うと、みんなが怯えると思ったから。ごめんね、今まで黙ってて。でも、そんなあてにならない勝算しかない戦いに、わざわざ付き合うことなんてないわ。こればかりは、ヒトの力では何とも出来ないことだもの。
それぞれが、好きな町でお別れしてくれていいのよ。あたしは、始めから関係ないあなた達を巻き込むつもりなんてなかったんだから。……ただね、昨日もケインに言ったけど、……人恋しかったの。同じ世代の人に出会えたのは、旅をしてからは初めてだったものだから……」
そう、珍しく、はにかんで話すマリスだったが、酒を一口飲むと、今度は、少し淋し気な口調で語った。
「旅をするまでは、いつもたくさんの友達に囲まれていたわ。でも、一番仲が良かった人に去られて、更に、得体の知れない超クールな魔道士と旅をしなくちゃならなくなって……。
特訓も厳しかったし、何度やってみてもうまくいかなかったから、ヤケになったこともあって……。淋しい時に出会った人は、すぐに去っていったし……というより、そういう男をあえて選んでたのかも知れない。
情報のために、武遊浮術の愛技を使ったり、イヤな女にもならなくちゃいけないって、思うようになっていって……」
ケインも、クレアも、痛々しい思いで、マリスを見つめる。
「こんなことなら、昔、誰かに言われたように、あたしが男で、セル……」
マリスは慌てて言い直した。
「あたしは、男に生まれてれば良かったのかもね……」
「マリス……!」
クレアが、いきなりマリスを抱きしめた。
ケインも、もし、この場に誰もいなければ、そうしていただろうと、思った。
クレアの瞳からは、大粒の涙が零れ落ちていた。
「ずっと淋しかったのでしょうね。可哀相に……! あなたは、私よりも二歳も下なのに、もう一年も旅をしていて、辛かったでしょう! それなのに、そんな素振りは一度だって見せずに……!」
「ク、クレア……?」
マリスは驚いていたが、クレアは、余計に強くマリスを抱きしめた。
「始めは、『なんてお行儀の悪い、乱暴者の、わけのわからない不良娘』だと思っていたけど、それは、あなたの繊細な部分を隠すための『巧妙な演技』だったのね? それなのに、私ったら、あなたのこと、『お行儀の悪い、乱暴者の、わけのわからない不良娘』だなんて思っていたなんて……ごめんなさい! 本当に、ごめんなさい!」
マリスは苦笑しながら、クレアの背中を撫でた。
「ありがとう、クレア。ああ、行儀の悪い、乱暴者の不良娘ってのは、その通りだわ! あたし、時々クレアに叱られるの、ちょっと新鮮だったのよ。最初は、『なんてウザい女なのかしら? 連れてこなきゃよかった』って、思ったくらいだったけど、だんだん、『母親』に叱られてるみたいな気になってきて……」
「まあ! ……マリス!」
二人の少女は、片や涙ぐみ、片や涙にぬれ、堅く抱き合っていた。
なぜか、徐々に感動が薄れていく気のするケインだけが、取り残されていた。