王女と傭兵
改行、表現その他、読みやすく直しました。(2016.8.7)
「掌に全神経を集中させて、白く暖かい光を感じるのです。頭に思い描いて……、そうです、そんな感じです。あとは、それを持続させるのです」
王たちが去り、王女の部屋には、王女とクレア、ケインの三人だけとなった。
ケインは、いつもの立ち位置と同じく、扉の近くに立っていた。
コツンと、窓に何か当たったような音がすると、
「よう、ケイン、元気にやってるか?」
「カイル!」
王女とクレアも、窓を見る。
「やっほー、お姫さん、クレア」
カイルは、室内にいる二人に向かって、手を振った。彼もまた、ケインと同じく、警備兵の紺色の制服を着ている。
「お前、勤務中じゃないのかよ?」
「もう交代したよ。俺の方は、六時間置きだから、ラクなもんだぜ。お前は、朝から夕方までだもんな。大変だよなー。……よっと」
カイルは、ひらりと窓から入った。
「まあ、カイル! 勝手に王女殿下のお部屋に入るなんて……! しかも、窓から……!」
「わたくしならいいのよ、クレア。皆さん、お知り合いなのでしょう? ちょうどいいわ、お茶にしません?」
怒りかけたクレアの隣で、王女はにこやかに言った。
「さすが、話のわかる姫さんだぜ。どっかのお固い巫女さんとは大違いだよなー。あ、巫女じゃなくて、魔道士見習いだっけ?」
にやにやしながら、ずかずか入ってきたカイルを、じろっとクレアが睨みつけた。
「皆さんは、ずっと一緒に旅をしてらしたの?」
紅茶を飲みながら、アイリスは無邪気な瞳で、彼らを見回した。
「ああ。……といっても、仲間になってから、まだ一ヶ月も経っちゃいないがな」
カイルが、茶菓子のクッキーに手を伸ばす。
「ちょっと、殿下の前よ。話し方に気をつけたら?」
横で、クレアがカイルの袖を引っ張りながら、囁く。
「わたくしなら構いません。貴族の方以外とお話しする機会なんて、滅多にありませんもの。言葉遣いでも何もかもが新鮮で楽しいですわ」
王女はにこにこしている。
「ここの北の森には、魔物が棲んでいたのですってね。ダミアスは何も言ってくれなかったから、そんなこととは全然知りませんでした。それも、あなたがたが倒してくださったのでしょう? 頼もしいですわ!」
「はっはっはっ、それほどでもありませんよ」
そこに居もしなかったカイルが、笑いながら紅茶を啜る。ケイン、クレアは、思わずカップを落としそうになった。
「アストーレには、久しく魔物の影などありませんでしたので、騎士たちも、その手の訓練はしていなかったのです。あなたがたは、魔物を退治する旅をしているのですか?」
アイリスは、三人を満遍なく見渡した。
「いかにもです。俺たちは、この世にはびこる悪を、野放しにしておけないのです。悪であれば、例え人間であろうと魔物であろうと、とことんその根を断ち切る! そのような正義の信念のもとに、行っております」
真顔のカイルのセリフに、ケイン、クレアは、吹き出しそうになった。
「ところでさー、殿下」
がらっと砕けた口調に戻り、カイルが親し気に尋ねる。
「殿下がさっき言ってた『スマートで、ハンサムで、しっかりしてて優しくて、笑顔の素敵な頼もしい男』って、誰のこと?」
「えっ!?」
王女は、びっくりして、紅茶をこぼしそうになった。
「お前、立ち聞きしてたのかよ?」
「はははっ。国王に、フェルディナンドの皇后もいたら、さすがに窓から入る勇気はないからさ」
呆れながらカイルを窘めるケインへと、徐々にアイリスの視線が移動していく。
なんとなく視線に気付いた彼と目が合うと、彼女の頬はポッと真っ赤になり、その大きな栗色の瞳は、みるみる潤んでいくのは、傍目にもわかるほどだった。
(『スマートでハンサムで……』って、姫のただの理想なんだと思ったけど……もしかして……!?)
ケインも、アイリスの真意を探るように彼女から目が離せず、アイリスも大きく見開かれた瞳を、彼から反らさないでいた。
「あれって、実は、……俺のことだったりして!」
その空気を、あっけらかんとしたカイルの声が、打ち破った。
ばたっ
ケインとクレアはコケた。
が、王女は、真に受けて、真顔で答えていた。
「違います」
ばたっ
今度は、カイルが倒れた。
「じょ、じょーだんだって、じょーだん」
彼は、力なく笑いながら、手をぱたぱた振り、身を起こした。
「ケイン様は、おいくつの時に、傭兵になられたのですか?」
ある時、アイリス王女は言った。
ヴァルドリューズとダミアスが、皇后と共にフェルディナンド皇国に出向いて数日が経つが、未だ、何の連絡もない。
彼が、いつも通り扉の近くに立っていると、ソファにいたアイリスが、何気なく尋ねてきたのだった。
「幼少の頃から剣は振っていましたから……いつの間にか、ですね」
彼の答えに、アイリスは、目を丸くして、少し驚いていた。
「まあ、そうでしたの……」
「殿下には、ご縁のない世界でしょう。人を斬るなどと野蛮なことをしないと、毎日の食事にもありつけないのですから」
王女は、意外にも怖がっている様子はなかった。
「そのおかげで国は大きくなって、わたくしたちもこのように何不自由なく暮らしていけるんですもの。その傭兵の方々を野蛮だなんて言っては、バチが当たってしまうわ」
開いた窓からは、そよそよと気持ちの良い風が吹き込んでいて、まさに平和そのものだった。
「ねえ、ケイン様、……恋ってしたことあります?」
アイリスは、その純真無垢な瞳を、ケインに向けた。
「ありますよ。前のことですけれど」
「おいくつくらいの時でした?」
手にしていた分厚い本を閉じて、ソファから身を乗り出すように、彼を見る。
「どのような方でしたの? ……綺麗な方?」
「別に、特に綺麗というわけではなかったのですが……たいしたことではなかったので、あまり覚えておりません」
ケインはウソをついた。
正直、この話題には、あまり触れたくなかったのだった。
王女は、視線を落とした。
「……ケイン様は、わたくしと二つしか変わらないというのに、もう何でもご経験なさっているのね。自分のためや国のためにいくさを何度も切り抜けて、恐ろしい魔獣と戦ったり、……恋もして……。あなたから見れば、私なんて、きっと、何もできない、箱入りの、つまらない、退屈な娘なのでしょうね……」
溜め息混じりに、アイリスが言った。
「何をおっしゃるんです。殿下は、そのままで充分でございます。貴族の方にしては――というと語弊があるかも知れませんが――私のような傭兵にも親切にして下さるし、清楚でいらっしゃるし、……お、お綺麗だし……」
言っていることが、だんだんぎこちなく、陳腐な言葉になってくる気がして、ケインは困ったように、言葉を詰まらせた。
カイルだったら、慣れてるだろうから、もっと上手く言えるんだろうなと、ひょうひょうとした彼を思い浮かべ、初めて羨ましく思う。
「ケイン様は、わたくしのことをお嫌いではありませんでしたの? だって、わたくし、いつもあなたを不愉快にさせていましたし……誘拐事件の時だって、あなたを危険な目に遭わせてしまいましたし……」
アイリスは、驚いた顔をしながらも、おそるおそる彼に近寄っていった。
「嫌いだなんて、とんでもない。傭兵が危険な目に遭うなどとは、当たり前のことです」
ケインの話す間に、王女は、もうすぐにも、手の届くところにまでやってきて、立ち止まった。
そうしているのは殆ど無意識だろうが、ケインが後退っても、何の警戒もなく、一層彼に近付いていき、見上げた。
小柄な彼女からすれば、長身のケインの顔は、頭二つ分近くも上にあったので、かなり見上げるような形になる。
潤んだ無害の茶色い大きな瞳に見つめられ、なんだか、大変な成り行きになりそうに感じたケインは、冷や汗が流れるほど、内心動揺していた。
「……あなたが……もし、貴族だったら……」
小さなピンク色の唇が、ゆっくりと、そう開きかけたその時、気配を感じたケインの背に、さっと緊張が走る。
「お花をお持ちしました」
後ろから聞こえてきた声と共に、ケインの背中に強い衝撃が走った!
「まあ、クレア……! いきなりドアが開いたから、びっくりしたじゃないの」
クレアの開けたドアがケインの背に当たり、彼は、のたうち回りたかったほどの痛みに耐えていた。
アイリスも同様に驚き、声がうわずり、手も震えている。
「何度もノックしたのですけれど……あら、もしかして、ケインに、ぶつかっちゃったのかしら? ごめんなさいね。それにしても、随分ドアの近くに立っていたのね」
クレアが、何の気なしに部屋の中に入り、テーブルの上に、花瓶に生けた花を飾った。
(まさか、今の話、聞かれてたんじゃ……?)
ケインが、クレアの表情を盗み見るが、いつもと変わらないようで、どうやら何も気付いていないようだ。
「どうかなさったのですか? 今日は、昨日に引き続いて、治療の魔法をお教え致しますわ」
「あ、あら、もうそんな時間?」
王女が取り繕って、ソファに腰掛ける。
「ちょうどいいわ。見本に、ケインの背中を治療してみましょうか」
これは助かった、とばかりに、ケインはクレアの隣のソファに座ると、上着を脱ぎ始めた。
「きゃあっ!」
アイリスが顔を真っ赤にして、両手で覆った。
その声に、ケインもびっくりしたが、クレアは、きょとんとして、ケインに背中を向けるよう言い、アイリスにも、授業だからちゃんと見ておくよう言って、彼の裸の背中に触れるか触れないかのところで手をかざし、赤く腫れた部分に『治療』を施した。
アイリスにも、やってみるよう勧めたのだが、どうしても出来なかった。
「あのお姫さんさあ、お前に気があるんじゃないの?」
勤務時間を終え、クレアに剣の稽古をつけ、夕食も摂り終わった後、ケインとカイルは、警備兵の宿舎にいた。親衛隊とは違う建物で、少し狭い簡素な造りの二人部屋になっている。
彼らは、それぞれのベッドに腰掛けて、木の実酒を壺ごと口に運んでいた。
その時に、カイルがいきなり切り出したのであった。
「ミュミュも、そう思う~」
いつの間にか小妖精が現れ、男二人の酒盛りに加わっていた。
ケインは、アルコールで解放された気分になっていた。
「お前たちもそう思うか? ……実はさあ、今日の午後……」
「なに!? もうしたのか!?」
まだろくに話をしないうちに、いきなりカイルに話の腰を折られる。
「……したって、なっ、何を!?」ケインは、思わず赤面した。
「だから、俺が聞いてるんだろ? 何があったんだよ?」
一遍に酔いが吹き飛んだケインは、今までにない、小心者のようなおどおどした態度でひそひそと、昼間の情景を語り出した。
「……って言われてさ」
カイルの表情が、がっかりしていく。
「なんだ、そんなことか。お前、アホか? 俺はまた、てっきり王女に手をつけちまったんだとばかり思ってたぜ」
「アホはお前だ! 誰がいきなりそんなことするか! 王女殿下に、そんなマネしてみろ? 大罪で即刻死刑だぞ。いくら俺だって、そんなことくらいわかってるんだからな」
ミュミュは、ばたばたっと羽ばたくと、目は見開き、頬に赤みの差したケインの顔を、珍しいものでも見ているかのように、少し離れたところから眺めていた。
「俺だって、そのくらいはわきまえているさ。そんなことしたら、ただあの世へ行くだけじゃ済まされないだろうぜ。あの王様、娘思いだもんなー。普段は優しそうだけど、ああいう人間に限って、そういう時は豹変して、拷問にかけて殺さない程度にいたぶって……って、ヤツかもな」
カイルのなんでもないような口振りに、ケインは思わず身震いし、両腕で身体を抱え込んでいた。
「だけどな、ひとつだけ怒られない方法があるぜ」
カイルは、木の実酒を一口だけ啜った。
「お姫様と結婚しちまうんだよ」
あまりの唐突な発言に、ケインは目を白黒させた。
「あの姫、俺が見たところ、絶対お前に気があるって! 姫がお前と結婚したいって王様に言えば、愛娘の言うことだし、姫の婿は気に入ったヤツでいいって言ってるんだし、今までの実績を買って、お前のことを正規の騎士にしてくれるかも知れねえぜ? ゆくゆくは姫の婿に……ってな。そうなりゃ、大出世だ! お前は、いずれアストーレの王となって、この地で安泰に暮らすんだ!」
ケインは呆気に取られ、ぽかんと口を開いていた。
ミュミュが、辺りを飛び回っている。
「そうなったら、俺のことは……そうだなぁ、伯爵あたりにでもしてもらって、どっか景色のいい領地に住まわせてくれて……、結婚はしなくていいから、綺麗なお姫サマをいっぱい紹介してくれりゃあいいや。どうだ? いい話じゃないか?」
カイルは思いつきでペラペラ喋っていた。
「傭兵が出世して王様に!? アストーレ王ケインに、カイル伯爵? すごい、すごーい! それなら、ケインが伝説の戦士だったってことにもなるし! あ、じゃあ、ミュミュも、お姫様にしてもらおうかなぁ~」
「おお! ミュミュも、そうしてもらえよ!」
どうやって? と、思いながら、ケインが酒をあおる側で、ミュミュとカイルは、はしゃいでいた。
「だけど、城って退屈だよなぁ。護衛やってて思うんだけど。な~んか肩も凝るし」
ケインがコキコキ首を鳴らし、肩を回す。
「それは、お前、護衛だから疲れるんだよ。退屈なのもさ。王様になっちまえば、もっと楽しいぞ! 国交のあるいろんな国を訪問出来るしさ、美味しいものもいっぱい食べられるしさ、働かなくたって金持ちだし……そうだ! ゴールドランドだって行き放題なんだぜ!」
調子に乗ったカイルが、ケインの肩をぽんぽん叩く。
「ゴールドランド、行き放題……!」
ケインの瞳が、みるみるきらめいていく。
「そうそう! わざわざセコセコと小銭を貯め込まなくたって、思い付いたらいつでも行けるし、いくらでも行けるんだぜ!」
「ゴ、ゴールドランドに、そんな何度も……!?」
「そうだぜ! な、いいだろ? よーし、それじゃあ、未来のアストーレ王に乾杯だーっ!」
カイルが酒壺をケインの壺に傾けた。壺は、鈍い音を立てた。
瞳を輝かせていたケインだったが、少し考えてから、真面目な顔になった。
「悪くはないんだけどさ、……何か大事なことを忘れてないか?」
「何を?」
「例えば……、俺が、王女殿下を……好きになるのかどうか……とか」
がくっと、カイルは首をうなだれた。
「お前なぁ、この後に及んで、なーにを言ってんだ? この際、お前の気持ちなんか、どうでもいいんだよ。お姫様の気持ち次第で」
「は!?」
「結婚なんて、どーせ誰としたって変わらないさ。だったら、条件のいい方がイイに決まってんだろ?」
「そ、そんなことはないんじゃないか? お前、結婚したことあんの?」
「あるわけないだろ?」
ますます口をあんぐり開けているケインを見ているうちに、カイルは、テンションをいくらかダウンさせて、一口、酒を啜ってから言った。
「でも、まあ、お前が、あんまり乗り気じゃないんなら、それもしょうがないよなー。純真無垢な少女って、一見可愛いけど、裏を返せば、何も知らないってことだから、結構めんどくさいんだよな~。ここらの国では、一五歳まで男女別々に勉強するんだろ? じゃあ、お姫様が年頃の男を見たのって、つい最近なわけじゃねぇか? 最初に見たものを親鳥だと思い込む雛のように、お前なんかを見ただけで、ぽーっとなって、恋に恋してるだけかも知れねぇよな」
あははっと単純に笑うカイルに、ケインは、意表をつかれて頭を殴られたかのように、一気に酔いが醒めた。
「ええっ!? じゃあ、ケインが王様になるかも知れないっていうのは……?」
「現実には有り得っこないだろ? そんなのは、おとぎ話の世界くらいだぜ」
「なんだぁ、そうなのか~」
ミュミュも、がっかりして飛ぶのをやめ、ケインのベッドの上に、足を投げ出して座った。
「そ、そうか、……そうだよな。だいたい、俺なんかが、そんなに簡単に惚れられるわけないしな」
「そうそう! だけど、このまま姫のご機嫌を取って、気のある素振りでもして、姫の心をキープしておくんだな。そうしてて、損はないだろうよ」
「いや、だけど、そんな騙すようなことは……」
「騙すのとは違うぜ。夢見させてやるだけだって。それが功を奏して、ホントに王様になれるかも知れねえぜ」
その後、女心を掴む方法や話術を、カイルが得意気に講義していたが、いつしか、自分の過去の恋愛話に発展し、単なる自慢になっていた。
一方、王女の寝室では、天蓋付きの広い豪華なベッドで横に眠っているアイリスが、一冊の書物を抱えていた。
それは、アストーレの貴族たちの間でベストセラーとなっている、三大恋物語のひとつ、『名もない兵士と王女の出会い』の巻であった。