最大の決断
改行、表現その他、読みやすく直しました。(2016.8.6)
マリスの姿が完全に見えなくなった後、それまで、背後で見守っていたヴァルドリューズに、ケインは振り返った。
「ヴァルは、当然知ってたんだよな? マリスが、ベアトリクス王女だってこと……」
ヴァルドリューズは、いつもと変わらない、静かな瞳で頷いてから応えた。
「現在のベアトリクスにおいて、セルフィス王子に継ぐ、王位継承権を持っている」
彼の淡々とした声は、ケインの中に響いていた。
「ホントだったんだな……。でも、セルフィス王子とは、兄妹というわけではなさそうだったけど……。王女なのに、何で王子の護衛なんて?」
「私と出会う以前のことは、わからない。出会った時、マリスは近衛兵ではなく、軍隊を率いたり、辺境の警備にも就いていたようだ」
「それで、あのヤミ魔道士グスタフが、マリスのことを『隊長』って……」
一国の王女が軍隊を率いる、ましてや、護衛や、警備隊に属するということは、ケインの知る限り、見たことも、噂ですら聞いたこともない。
ベアトリクスでは、戦士の育成に力を注いでいたことから、彼女の戦士としての才覚も認められ、彼女の意志もあり、例外的にそのようなことになったのか。
今までの彼女の話も辿って、今のケインには、そう考えるしかなかった。
「マリスから詳しいことは聞いていないが、ゴールダヌス殿によると、マリスと王子とは、従兄弟であり、許嫁であったようだ」
「マリスが、王子の……婚約者……!」
マリスの様子から、王子には、ただならぬ感情を持っているように思えたケインだったが、その事実には、大きく動揺していた。
「そ、そっか、王女だもんな……。アイリス様がそうだったように、マリスも王女なんだったら、婚約者は早くから決まってしまうのは、当然……だよな……」
そう肯定するよう努めている間にも、ヴァルドリューズの話は続く。
「マリスは前国王の血統、セルフィス王子は、現ベアトリクス女王の息子で、許嫁とは、前国王が決めたという。現在は、前国王は行方不明となり、それに代わって政権を執っているのが、国王の妹である現女王なのだ」
「それだけ聞いても、なんだか複雑そうな……。国王が行方不明っていうのも、普通じゃないし……、それこそ、陰謀のようなものもあったんじゃないかって、気がしてくるな」
「まさに、彼女が私と旅をしているのは、モンスター退治という目的が大きいが、もう一つ――城からの追手から逃れるためということもある」
ケインは、息を飲んだ。
マリスが、ベアトリクスからの追手を避けているようなことを、言っていたのを思い出す。
それは、城の中での、反マリス派の手から逃れるということだったのだろう。
彼女が、いずれ、軍を率いて反旗を翻すことにでもなれば厄介だと踏み、刺客を差し向けた――そう考えると、話が繋がった。
「もし、城からの刺客が、マリスを追っているんだとしたら……、あの蒼い大魔道士と合わせて、二つの刺客があることは間違いないんだな? もしかして、他にも……? いったい、いくつの組織が、彼女を狙ってるんだ? 彼女の味方は、ゴールダヌスだけなのか?」
ヴァルドリューズは、一度、空に視線を向けてからケインに戻した。
「反マリス派の頂点が、女王だ。女王は、ヤミ魔道士ともつながりを持ち、マリスに多額の賞金を賭けたようだ。紅通りの魔道士たちには、どうやら届いていなかったようであったのは、幸いにして、彼らが、外界と関わりを持とうとしなかったためだろう。
ヤミ魔道士で、彼女を狙うものの数は、以前よりも増えていると思われ、はっきりとはわからない。真相を知った上での味方は、ゴールダヌス殿だけだった」
いつも通りの、平坦な口調で、そう告げる。
宿では必ずヴァルドリューズがマリスと同室に、マリスが一人の時はインカの香を焚いて結界を張るという、厳重な警戒をしていたことにも、ケインには納得がいった。
「なんだか、思ったより複雑で、強敵も、まだまだ潜んでそうだな。なのに、マリスは、俺には、アイリス王女を守ってやれって……。自分だって、大変な目に遭ってるのに……」
「お前にもアイリス王女にも、自分の叶わなかった想いを重ね、託しているのだろう」
「よりによって、婚約者の母親が、反マリス派とはな……。王子とは、陰謀のおかげで、仲を引き裂かれた……ってとこか」
マリスの去って行った後ろ姿を思い起こすと、ケインの中では、なんとも言い難い、遣る瀬ないような思いが湧いてくる。
「ヴァル、ゴールダヌス派のヤツは、お前の他には?」
「私は、ゴールダヌス派というわけではない」
意外な言葉が、ヴァルドリューズの口から発せられ、ケインは、耳を疑った。
「えっ、だって、マリスを守れって、ゴールダヌスから言われて……そのカシスルビーだって授かって……?」
わけがわからないケインを、ヴァルドリューズは何事も起きていないかのように見つめた。
「その通りだ」
ケインには、ますますわからなかった。
(ヴァルは、完全にはマリスの味方じゃないのか!?)
いつの間にか、ミュミュが、ヴァルドリューズの肩越しに、ケインを覗いていたが、それに注目している余裕は、ケインにはない。
「ヴァル、きみの目的って……?」
「世界平和だ」
「……」
タイミングよく、トリのさえずりなどが聞こえてくる。
ケインには、そんな冷たい態度で言われても真実味が湧かなかったが、かといって、ヴァルドリューズが冗談を言うようにも思えない。
(……てことは、……やっぱり、ホントなのか!?)
「だから、もし、マリスが『サンダガー』を制御出来ないようなことがあれば、その時は、彼女を手に掛けることも、あり得るだろう」
愕然として、ケインは、ヴァルドリューズの碧眼を見つめた。
「なんてことを……! マリスは、そのことを知ってて……、……いや、知っていたら、一緒に旅なんか出来るわけがないし……。もし、知っていたとしたら、それだけの覚悟をして……!」
ケインの心の中は、ますます遣る瀬ない想いで、いっぱいになっていく。
「ヴァル、ゴールダヌスはどうしたんだ? どこにいるんだ? そして、彼は、きみが、『そういうつもりでいる』ことは、知ってるのか?」
「私は、私の考えを、彼には話さなかったが、おそらく、気が付いていたとは思う。私を完全に自分の支配下に置いたとも、思っていなかっただろう。だが、それでも、マリスと私が組むこと以外は考えられなかった――有り得なかったのだ。召喚技『サンダガー』以外の方法などは。そして、彼は、もういない。お前もここで戦ったヤミ魔道士グスタフによって、一年前、倒されたのだ」
「なんだって!? 大魔道士が、……ヤミ魔道士に!」
「もちろん、本来の大魔道士の能力であれば、グスタフなどの敵う相手ではないが、彼は、我々を守るために、あえて犠牲になったのだ」
ケインには、ヴァルドリューズの瞳が、その時の空しさに僅かに揺れたのが、見て取れた。
完全に部下となったわけではないヴァルドリューズに、自分の作戦を任せなくてはならないほど、召喚魔法『サンダガー』は重要であったのだ。
マリスが幼い頃から親しんだ大魔道士が、己の命と引き換えにしてでも、守らなければならないほどの。
その重みを、ケインは、改めて感じていた。
「一六歳の少女が背負うには、あまりにも、酷だよな……」
『少女』と呼ぶには、多少抵抗はあったが、ケインは、ぼそっと呟いた。
「私からも、お前に確かめておきたいことがある。マリスから、ゴールダヌス殿の予言の話を聞いたか?」
ヴァルドリューズから質問するとは、珍しく、ケインには思えた。
「ああ、あの魔物だか魔族だかの間に伝わる予言てのなら、前にマリスから、ちらっとな。確か、魔王降臨の際に、サンダガーが脅威の存在になるだろうっていう内容だったと思ったけど……」
ヴァルドリューズは、相変わらず、抑揚のない声で告げた。
「あの予言には、大魔道士たちも知らない別の解釈もある。『魔王と金色の竜が相見えれば、互いにこの世の塵と化す』――と」
「なっ……! それって、魔族の帝王――魔王が降臨後、マリスとヴァルドリューズのサンダガーをぶつけると、双方消滅する、って意味なんじゃ……!?」
「魔道士協会や、蒼い大魔道士たちは、また違う解釈をしている。確かなことは、誰にも解っていない。この解釈にしても、真実を裏付けるものはなく、実にあやふやなものだ。従って、マリスの耳にも入れてはいない」
「そんな!」
息をするのも忘れるほどの衝撃だった。
ケインの瞳は揺れたまま、ヴァルドリューズに向けられる。
「マリスは、魔王と戦うとまでは聞いていないみたいだった。魔界をつなぐ次元の穴を塞いでいき、そこを通って復活するとされる魔王の現れる場所を限定する、と。
ゴールダヌスからは、次元の穴を塞ぐことしか、言われてないんだろ? 魔王の復活する場所がわかったら、その後はどうするんだ? 俺も、多分、カイルたちも、いざという時は、召喚魔法『サンダガー』があるのを強みにしていたところがあった。それが通用しないとなると、魔王を倒す手だては……」
「魔王を完全に倒すのは不可能だ。封印するか、その方法がわからぬままでは、……『サンダガー』しか、可能性はないだろう」
「だけど……それじゃあ、マリスが、……そんなの、あんまりじゃないか!」
「数奇な運命は、サンダガーを守護神に持つ者の宿命だろう」
淡々とそう言ってのけたヴァルドリューズを、ケインは、キッと睨みつけた。
「よくそんなこと、簡単に言えるな? 魔道を極めると、人間らしい感情は無くしてしまうものなのか!? きみは、マリスと、少なくとも一年は一緒に旅をしてきたのに、彼女に対して、何も情は湧かなかったのか? 彼女は、ただの『サンダガー』を召喚させる道具で、きみが彼女を守るのは、魔王に対抗するまでなのか? 暴走すれば、マリスを斬るなんて淡々と言うし!
サンダガーを守護神に持ったのと、一国の王女だったということが重なったために、陰謀に巻き込まれ、ややこしい敵に追われることにもなって……結局、マリスは、自分で、自分の身を守るしかないのか……?」
それまでに積もってきた遣る瀬なさと、もどかしさが、熱い思いとなって吹き出す。
そんなケインを見下ろす碧い瞳は、依然として静かなままだ。
しばらくして、先に口を開いたのは、ヴァルドリューズの方であった。
「だから、お前が助けてやれ」
意外な言葉に、ケインは、驚いて彼を見上げる。
「……俺が?」
ヴァルドリューズがそのようなことを言うのを意外に思ったが、それは、ヴァルドリューズとしても、出来ることならマリスを助けたいと思っていることが、ケインにも感じ取れ、少しだけ、ほっとすることが出来た。
「だけど、ヴァルだって見てただろ? 俺は、たった今、マリスに解雇されたばかりじゃないか。どっちみち、俺よりも強い彼女の助けになんて、なれるはずもない……」
ケインは、自分の左手――今まで剣を握って来た手を見つめてから、顔を上げた。
「ヴァルなら、守ってやれるじゃないか。きみみたいな上級魔道士なら――あの蒼い大魔道士だって、一目置いてるようだったきみの力なら、マリスを守ってやることが出来るじゃないか」
ヴァルドリューズは、首を振る。
「蒼い大魔道士には、私の力では勝てない」
「……!」
それは、意外でもあり、絶望的な言葉でもあった。
沈黙が続く。
諦めたように首を横に振ってから、ケインは重い口を開いた。
「……だったら、なおさら、俺になんか無理じゃないか」
「私には出来ないが、お前になら出来るかも知れない」
「あのな、いったいどんな根拠で、そんなこと……!」
「魔道士は剣を持たない。だからこそ、時には、剣が脅威に思えることがある」
ケインの青い瞳が見開かれ、ヴァルドリューズを見直す。
「魔道士の力を持ってしても出来なかったこと――すなわち、ドラゴンを操り、マスター・ソードを手にすることが出来たというのに、なぜ、お前は、その剣を使おうとしない? なぜ、魔石をすぐに探さなかった? お前には、彼らを倒すことが出来るかも知れない。その威力を、身を以て経験したことのあるお前になら、想像の付くことではないか?」
ケインは、はっとした。
「確かに、三つの魔石の力を備えたマスター・ソードの威力を思い出すと、魔物や魔道士なんかには負けないと思うけど……」
それまで黙って聞いていたミュミュが、ぱたぱたっと、嬉しそうに羽を鳴らした。
「そーだよ、ケイン! ミュミュもまだ見たことないけど、マスター・ソードは、すっごい力を持ってるんだって、妖精の間でも言われてたよ! だから、ミュミュは、マスター・ソードの使者に『付き』たかったんだから! 魔石さえそろえば、ぜーったいイケるよ!」
ミュミュは、ヴァルドリューズの肩の上で、勢い良く拳を回して喜んだ。
わずかでも希望が見えてきたことに、ケインの瞳も、少しずつ輝いていく。
一人で旅に出てからというもの、自分の過去を封印するかのように、マスター・ソードを使うことを避けてきてしまったが、今こそ、使う時なのかも知れない。
ケインは、マスター・ソードの柄に、確かめるように触れた。
二年前の威力が、その感触が、思い起こされる。
剣を伝って、さまざまな敵との戦いも、まだ記憶に新しい。ケインは、力が甦ってくるような気持ちだった。
「だったら、早く、残りの魔石も探さないとな」
そのケインのセリフに、ミュミュは大喜びし、ヴァルドリューズの肩の上で、小躍りしていた。
「だけど、俺、サンダガーが戦う巨大モンスターや、大魔道士なんかにまでは、今まで遭ったことなかったから、試したことないんだ」
「少なくとも、サンダガー以上の力を発揮出来なければなるまい」
「えっ、あそこまでの? ……そ、そうだよな。そうでなくちゃ、意味ないもんな。それに、魔石を全部揃えたとしても、どこまでが可能なのか、見当も付かないし……、例えば、魔王にも対抗出来るほどの力なのか……とか」
「確かに、すべての魔石を揃えても、魔王にまで通用するものかどうかは、わからない」
ミュミュの羽の音は、ぱたっと止まってしまい、ケインも、うなだれた。
またしても、絶望の沈黙が流れる。
「だが、……手は有る」
そう言われても、ケインは手放しで喜べる状態ではなかった。
先程から、ヴァルドリューズの思わせ振りなセリフには、喜んだり、がっかりさせられたりである。
魔道士というものは、なんで、ハッキリ、ストレートに言ってくれないのかと、恨めしくも思う。
「……それって、どんな……?」
ヴァルドリューズは、真面目なのか、無表情なだけなのか、わからない表情のままで答える。
「……今は言えん」
「……やっぱりな……」
「ケインたら、どこに行ってたの? 探したのよ」
城の警備に戻ろうと、王女の部屋に繋がる廊下を行くと、ちょうどクレアに出会った。
「どこって……? 俺は、ずっと、あの後も、あの北の山でマリスと話して、その後も、ヴァルと話していただけだけど?」
クレアが、怪訝そうな顔をする。
「変ね。アイリス様が、あなたをお探しだったから、私も北の山にもう一度行ったら、マリスが下りてきたところで、一緒にまた登ってくれたのよ。そうしたら、誰もいなかったから、てっきりヴァルドリューズさんと別の道を通って、帰ったんだとばかり思っていたわ。本当に、ずっと、あそこにいたの?」
言われてみて、ケインは気が付いた。
マリスと話していた時はわからないが、ヴァルドリューズと話していた時は、重要な話だったから、もしかすると、魔道士の敵を懸念して、ヴァルドリューズが密かに結界を張っていたのかも知れない、と思ったのだ。
(相変わらず、抜け目のないヤツだ!)
クレアに連れられて、ケインが王女の部屋に行くと、
「ケイン様!」
アイリスが、いきなり抱きついたのだった。
(えっ、えっ? そ、そんな……、クレアだっているのに!?)
まごまごしているケインには構わず、クレアが、静かに扉を閉めた。
「わたくし、勇気を持って、お父様にお話してみましたの! そうしたら……」
「は? お話?」
いったい何のお話なのか、ケインには、見当も付かない。
王女は、きらきらと星でも浮かんでいるのかと思えるくらい、大きな栗色の瞳を輝かせ、頬も、ほんのり上気している。
「そうしましたら、……ケイン様さえよろしければ、……アストーレの正規の騎士にしてくださるって……!」
「なんですって!?」
ケインには、よく事態が飲み込めず、呆然としているが、王女は、もう一度、ケインの胸にすがりつくと、うっとりと言った。
「ずっと夢でした。ケイン様が騎士に……貴族とおなりになれば、わたくしとだって、……もっと、皆の前で、堂々とお会いできるわ……!」
言ってから、王女は、恥ずかしそうに、顔をうずめた。
徐々に状況が飲み込めてきたケインは、話がとんとんと、知らない間に、何かの強い力で押し進められていくように感じた。
この、可愛らしく、儚いと思えた王女の、恋の力なのだろうか?
ケインには、それは、自分への美化した思い込みにしか、思えなかった。
クレアを見ると、クレアは、微笑んではいるものの、どことなく複雑そうな表情にも見える。
おそらく、彼女もマリスから、彼を解雇したいきさつは聞いているのだろう。
ケイン自身も、内心複雑だった。
北の山で、ヴァルドリューズと話さなければ、悪くはない話だと思ったかも知れない。
だが、そんなふうに、周囲の力に流されたまま、人生とは決まってしまうものだろうか?
自分の意志ではないところで、強い流れに身を任せるーーそんな感覚で、決めるものだろうか?
ケインの中では、疑問が渦巻く。
(俺は、多分、宮廷では暮らしていけない。姫の護衛をした、たったの一ヶ月でさえ退屈で、見ている限り、平和ボケしてしまいそうな世界だった。いくさもしばらく起きないとなると、城にいることの方が多くなる……)
となると、サンスエラ王子とマリスが言っていたように、陰謀のお時間がやってくる。
(やっぱり、俺は、武道家だから、そんな陰湿な世界は、きっと耐えられないだろうし、国の政治を取り仕切ることが、俺のやりたいことじゃない)
わずかな期間でも、カイルやクレアたち仲間と旅をして、強敵とも対峙したが、かなり充実していた。
それまで、ケインが単身で旅をしていた頃と違い、仲間がいることは、振り回されることがあっても、良いものだと感じていたのだった。
そして、マリスのことが気にかかっていた。
初めて出会った時から、気になる存在ではあったが、ヴァルドリューズの話を聞いてから、一層、彼女のことが、頭から離れなかった。
自分よりも優れた戦士であり、頼もしくもあるマリスだが、放ってはおけなかった。
マスター・ソードを授かり、手に入れた力は、世のため、人のために役立てることにこそ、価値がある。同情からではなく、彼の中に流れる正義の血が、マリスの力になってやれるのならなってやろう――彼には、そのような説明が、自分が納得するのに、一番しっくりきた。
ケインは、抱きついているアイリスを、両手ではがすように離し、大きく潤んだ茶色の瞳を見つめた。
アイリスは、ぽっと頬を染めて、微笑んだ。
明らかに、良い返事を期待をしている星の浮かんだ瞳には、つい怯んでしまいそうになるが、ケインは、思い切って打ち明けた。
「殿下、どうか聞いてください。せっかくのお申し出ですが、……俺は、アストーレの騎士には、なれません。クレアやカイル、マリユスたちと、旅を続けます!」
クレアが、はっとして面を上げた。
ぐらーっ……
「姫っ!」
倒れ落ちかけた王女を、ケインが咄嗟に抱きかかえる。
王女は、卒倒していた。
エピローグ
夜が明けたばかりだった。白み始めた空を見上げ、既に遠くなったアストーレ城を、ケインは見つける。
「ほんとによかったの?」
ふと、隣にマリスがやってきた。
「ああ。別に、後悔はしないよ」
微笑むケインに、マリスが気遣うような目を向ける。
「だって……ケインだって、あの娘のこと、……好きだったんでしょう?」
「は!?」
思わず、ケインは、立ち止まって、マリスを見下ろした。
「なんで、そう思うんだ?」
「だって、……あんな可愛い女の子に頼りにされたら、誰だって……ねえ? いいのよ、あたし、みんなには黙っててあげるから。……って、もうみんな知ってるかぁ」
ふふっと笑ったマリスに、ケインは、ムキになった。
「ヘンなこと言うなよ。アイリス様は、……まあ、俺がたまたま何度か危機を救ったから、その……要するに、勘違いだよ! 勘違いで、俺のこと、多少良く見えちゃってただけだ。そのくらい、俺だってわかってるんだからな」
「あら、わかってたの?」
「そ、そんな、あっさり……? だ、だから、そうとわかってたから、真に受けるわけないだろ?」
それに、彼は、マリスやクレアのように、修行し、努力して頑張っている女の子の方が、好感が持てると、心の中で言いかけたのだが、それを口にするのは恥ずかしかったので、黙っていた。
マリスは、じっとケインを見つめてから、感心するように頷いた。
「そういえば、そうよね。ケインは、武浮遊術の『愛技』にだって、引っかからなかったんだもんね」
ピクッと、ケインのこめかみが引き攣った。
「おい、今後は、敵だろうと誰だろうと、『愛技』は使うなよ。『初級編』でもダメだからな」
ケインは、皆に聞こえないよう、小声で、マリスを諭す。
マリスは、きょとんとした顔で言った。
「なんで?」
「なんでも何も……! マリスは、……その……王女なんだし、……許嫁もいるんだろ?」
「まあ、そうねぇ。でも、それって、あんまり関係ないし」
マリスは、興味のなさそうな表情と声であった。
「関係なくはないだろ!? まだ間に合うかも知れないんだから」
「間に合うって……何が?」
「だから、その……陰謀片付けて、許嫁と……結婚……とか……」
「……ふ~ん……」
気の無い返事であった。
「大丈夫か? 最終的には、戻りたいんじゃないのか?」
「あたしは、お城にいると、アレルギー出ちゃうって言ったでしょ?」
ケインが、どうしていいものかわからないでいると、マリスは、両腕を上に伸ばして、伸びをした。
「あ~あ、ケインには、ホントのこと言って、損したな~。ホントに、もうお別れだと思ったから、つい……。まさか、ヴァルが話すとも思わなかったし」
そうは言うものの、ケインを振り返ったマリスの顔は、それほど嫌そうではなかった。
夜明けの朝日を受けたアメジストの瞳は、空のように透き通った青に近く輝き、同じく日を浴びてオレンジ色に光る髪は、太陽の輝きを思わせる。
ケインは、その笑顔を見て、ふと気が付いた。
(……そっか。……そういうことか……!)
ケインは、つっかえていたものが取れたように、すっきりした気分であった。
(俺は、マリスのことを……戦いも、その笑顔も、……ずっと見ていたかったのか)
蒼い大魔道士が彼女を引き離そうとした時、タペスが彼女の腕を傷付けた時、既にわかっていたのだ。
何よりも、彼女の身を案じていた自分を。
(城では暮らしていかれないとか、いろんな理由なんか、いらなかったんだ。俺が、最初から守りたいと思っていたものは、……マリスだったんだ。マリス自身と、マリスの中にある、この世の希望と言ってもいいほどの、『光』なんだ……!)
それは、使命感よりも、自分の意思であることが解った瞬間であった。
彼には、その選択しか有り得なかった。
そして、その選択が、彼の人生を大きく変え、安泰からはほど遠い世界へと、導いていく。
それが、伝説の剣を手にした者の、宿命であった。
運命の歯車は、しっかりと噛み合い、重く、ゆっくりと回っていく。
「アイリス様には悪いけど……、私、ケインが一緒に旅をすることに決めてくれて、良かったと思ってるの」
マリスが先頭に行くと、入れ替わりに、クレアがケインの隣に並び、遠慮がちに続けた。
「私とケインは、同時に旅に加わったから、ケインだけ外れちゃうのは、やっぱり淋しいもの。それに、私、まだまだあなたから教わらなくちゃいけないこと、いっぱいあるし」
ケインは微笑むと、クレアの肩に、ぽんと手を置いた。
「よーし、また剣の練習再開するか! 剣も使える美少女魔道士目指して、頑張ろうな!」
「いやあね、そんな、美少女だなんて……!」
クレアは、両手で、赤く染まった頬を押さえた。
「ケインが王様になり損ねてくれたおかげで、俺も伯爵になり損なっちゃったなー。でも、まあいっか! あのまま、俺がアストーレに残っちまったら、宮廷の女どもが、俺を取り合って、バトルにでもなっちゃったら厄介だしな。昨日なんて、次から次へと、休むヒマはねーしよー。さすがに、十人連続デートは、キツかったぜ!」
カイルがケラケラ笑った。
まったくのウソであることを、ケインは知っていた。
昨晩は、警備の宿舎で、一晩中、彼とカイルは、酒盛りをしていたのだから。
しかし、例のごとく、クレアは真に受けて、嫌そうな顔をしていた。
そこへ、風の唸る音に似た音が鳴ったと思うと、何もないところから、突然、二人の人間が現れた。
「ダミアスさん!」
ケインたちは、その二人――ダミアスとヴァルドリューズに駆け寄った。
見送りに来たダミアスは、マリスに、てのひらほどの袋を渡した。
「西の方角へ行くのでしょう? アストーレの最西端タルカの町から山を越えると、しばらくは町のようなものはなく、その先は砂漠です。食料代わりに、これを皆さんで」
言われて、マリスが茶色い布袋の中を開けて取り出したものは、一口サイズの丸く赤い玉だった。
「それには、一粒で、一日に必要な栄養分が、ほぼ詰まっていて、日持ちもするそうです」
「これは、ダミアスさんが?」
ケインの質問に、彼は、首を振った。
「これは、フェルディナンドのバヤジッド殿から頂いたものです。もしも、効果があるようでしたら、また下さるようで」
皆は、顔を見合わせた。
それらの顔には、「……てことは、誰も毒味をしていないのか?」と書いてある。
「ま、まあ、そいつは有り難いけどさ、またくれるって言ったって、どうやって連絡取るんだよ?」
眉間に皺を寄せたカイルが、首を傾げる。
「ああ、それなら……」
ケインは、思い出したように、ズボンのポケットから木のペンダントを取り出した。
フェルディナンドから帰る時、バヤジッドにもらったものだ。
ペンダントのロケットを開けると、彼の肖像画が入っている。
ただの絵だったものが、彼の姿を映し出す鏡でも嵌め込まれていたのかというように、開けた拍子に、ぼやぼやと、本物の木の魔道士の姿へと、移り変わっていったのだった。
「おや、皆さん、お久しぶりです! いやあ、こんなに早くお会いできるとは、思ってもみませんでしたよ!」
記憶通りの、ヒト離れした声が、そのまま聞こえた。
一行は、驚いて、ペンダントの中を覗き込んだ。
「今日は、フェルディナンドは快晴になると思います。皆さん方がお帰りになった後、紅通りの治安は良くなったのですが、お天気の方は、ずっといまいちでして、昨晩などは、大雨になったのでございますよ。これで、やっと洗濯物が……」
パチッ
ケインは、ペンダントを閉じた。
「あら? どうしました? もしもし? もしもしー? ……」
バヤジッドの声が、フェイドアウトしていく……。
し~ん……
「……さ、さあ! 次の目的地へ出発よ!」
マリスが、気を取り直して、拳を高く掲げた。
「そ、そうね! この世にはびこる悪を倒し、正義のために、皆で、力を合わせて頑張りましょう!」
クレアも続く。
二人の女たちを先頭に、男たちは、疲れたように、ゆっくりと付いて行く……。
『やっぱり、王様になっときゃ良かった』
ケインにとって、そう思えてならない日は、出来れば来て欲しくないものだった。
「また、いつかどこかでお会いできたら……」
ダミアスが、ヴァルドリューズの背に、声をかける。
ヴァルドリューズは、顔だけ振り返ると、僅かに頷いた。
ダミアスに見送られ、涙の別れとはほど遠く、彼らは、新しい旅路へと、出発したのだった。