王女と白い騎士と王子
改行、表現その他、読みやすく直しました。(2016.8.3)
ケインたちが、フェルディナンドでの仕事を終える少し前、カイルとクレアが、マリスの宿を訪れた。
「ダミアスさんから手紙が届いたの! ケインもミュミュも、ヴァルドリューズさんも皆無事だそうよ!」
マリスの部屋へ入るなり、クレアは紅潮した顔で、握りしめていた手紙を見せた。
白い甲冑姿のマリスは、皺になった羊皮紙を広げ、文字を目で追った。
「……ケインも、ヴァルも、無事だった……!」
はーっと、全身の力が抜けたのか、ベッドに座り込む。
「良かった……! あの蒼い大魔道士を前にして、よく無事で……!」
マリスは、放心したように呟いた。
「それと、インカの香、安く売ってたとこ見つけたから、買っておいてやったぜ」
カイルが、茶色い布袋を取り出し、マリスに渡す。
「カイル、いつもケチなあなたが、こんなにたくさん……!」
「おっと! タダでやるとは言ってないぜ? 五〇〇〇リブルだ。半額だぜ」
カイルが、ちっちっちっと舌を鳴らすと、マリスが、にっと笑った。
「それじゃあ、あたしの知ってる店の方が安いから、そっちで買うことにするわ」
カイルは、ピタッと笑うのを止めると、すぐに、にやっとした笑いに変わった。
「さすが、マリスは騙せねえか。冗談だよ、ホントは二千五百リブルだったんだ」
「まあ! 仲間相手に、ぼったくるなんて……!」
クレアが、手を腰に当てて怒った。カイルは、ヘラヘラと逃げ腰であった。
マリスは、カイルに代金を払い、しばらく三人で話した後、帰り際に、クレアが言った。
「マリス、こんなこと、あなたに頼むのは、おかしいってわかってるんだけど……王女様のお話し相手になってくれないかしら? 私には、心の内を、お話していただけないの」
「どういうこと?」
「あの、私が、思うには、ここのところ、アイリス様がふさいでいらっしゃるのは、もしかしたら、……恋の病なのかも知れない、と思って……」
マリスは、目を丸くした。
「姫様は、白い騎士、つまり、男性だと思っているあなたに憧れてるから、あなたとお話し出来たら、気が紛れるのではないかと思うの。ヴァルドリューズさんとケインが戻ってくるまででいいから。でないと、あの新しく婚約者候補として現れた、あのお方が、自分が慰めるから早く姫様に会わせろって、うるさいのよ」
「ああ、なんだか、強引な王子が登場したんですってね」
クレアは、真面目な表情で、マリスの手を握った。
「ねえ、マリス、お願いよ。あの王子様が姫様を慰めることになったら、余計に姫様はふさいでしまうと思うの。それに、こう言ってはなんだけど、あの王子殿下よりは、マリスの方が、……アイリス様はお好きだと思うの。こんなお願い、異常だとわかってるけど、アイリス様が痛ましくて……」
マリスは、どうしたものかと、考えていたが、
「わかったわ。明日にでも、あなたたちのところへ行くわ」
そう聞いて安心したクレアは、宿を後にし、城の女官室へと戻っていった。
マリスは、インカの香の炊かれた部屋の、ベッドの中で、なかなか眠りにつけないでいた。
ヴァルドリューズとケインが無事であったのが、何よりも嬉しかった。
それは、ヴァルドリューズが、あの大魔道士を撒くことの出来る実力を持ち、ケインも、強大な敵を前にして、無事であったという、喜ばしい事実だった。
(あの大魔道士、ケインに以前から目を付けていて、敵と見なしていたってことは、実力だと認めているということ。ケインなら、もしかしたら、あたしがベアトリクスに戻った時も、力を貸してくれて……)
マリスは、寝返りを打った。
そして、また考えていた。
(あんなに、あたしのことを親身になって、守ろうとしてくれたなんて……蒼い大魔道士の前でも、怯まなかった。そんな凄い人には見えないのにね)
マリスは、ケインの年齢よりも幼い顔立ちを思い起こし、くすっと笑いを漏らしたのだった。
「まあ……! マリユス様……!」
翌日、アイリスの部屋に、マリユスは招かれていた。白い甲冑姿である。
アイリスは立ち尽くし、次第に頬を染め、か細い手は、かすかに震え出した。
マリス扮するマリユスは、入室するとソファへ促され、広いソファの端と端に、アイリスと座った。
気を利かせたクレアは、扉のない隣の部屋へ、侍女の控えの間へ移った。
アイリスは、震える手で、紅茶のカップを口へ運び、ちらちらとマリユスを気にしていた。
見られていることを気にも留めていないマリユスは、一口紅茶を啜り、カップを置いてから、アイリスに向き直った。
アイリスは、びっくりしたように、見つめる。
「最近、お加減が、すぐれないようですね」
マリスは、普段よりも低いトーンで語りかけ、アイリスを気遣うような視線になる。
「あっ、はいっ、いえ、あのっ……」
ドギマギしている王女に、マリスは、やさしい口調で続けた。
「もし、私でよろしければ、姫の悩みをお聞かせください」
「わたくしの悩みを……?」
余計に、慌てふためいていた王女であったが、いくらか冷静さを取り戻すと、もう一度、紅茶を一口飲んでから、切り出した。
「マリユス様になら、わたくし、お話し出来ますわ。実は、……あの例のモンスコール王国の王子殿下が見えた時から、初めて気付いたのかも知れません。わたくし、本当は、……結婚など、まだ、したくはないのだと」
マリスは、暖かい目線のまま、頷いた。
それを見て、安心したように、王女は続けた。
「その王子殿下も、レイピアの名手でいらして、……デロスのカール王子も再びいらして、マスカーナのサンスエラ王子も……。わたくし、以前、頼もしいお方が良いと、お姉様やお父様には打ち明けましたが……、それは、あのように、剣の強さを自慢なさっている方とは違うのです。
もちろん、ケイン様や、マリユス様には、危ないところを助けて頂いて、悪者たちを倒すお力があったからこそ、わたくしはケガもなく、守られ、今日もこうして無事で暮らすことが出来るのですわ。武力も必要だと、頭ではわかっています。ですが、……わたくしは……」
「剣を振りかざして強さを自慢する輩よりも、側でじっと見守ってくれるような……ケインのような男を、頼もしいと思われたのでしょう?」
アイリスは、そのマリユスの言葉に驚いて、顔を上げた。
みるみる、その茶色の瞳はぬれたように輝き出し、面を淡いピンク色に染めた。
(あらら、これは当たりだったようね……)
マリスは、心の中で苦笑するが、それを表には出さなかった。
「あ、あのっ、わたくし、実を言うと、……あなた様にも、憧れておりました……! 男の方なのに、信じられないほどお美しくて、お強くて……! わたくし、ケイン様とマリユス様が、お友達と知って、こんなに嬉しいことはありませんでした。あなた方お二人に守って頂けたら……と、夢見ていたのです。
でも、現実には、それは、わたくしのワガママでしかなくて……。そして、気付いてしまったのです。わたくしが、本当に、心から頼りにしているのは……いつも側にいて欲しいと、思っているのは……」
アイリス王女は、祈るように手を組み、潤んだ瞳でマリユスを見ると、目を伏せた。
マリスは、マリユスとして、アイリスの手を、外側から包み込むようにして握った。
アイリスは、ハッとして、マリユスを見上げた。
「私が、あなたを守りましょう。その時まで」
「……すみません。わたくし、本当に……自分でも、なんて図々しいと、わかっているのですが、……このような気持ちは初めてで……、どうしたらいいか、わからなくて……!」
王女は、啜り泣いていた。
その震える小さな肩を、マリユスは抱き寄せた。
その夜、舞踏会が開催された。
マリユスが王女の部屋を訪れてからずっと、『彼』は護衛を努めていた。
以前、誘拐されかけたことで、不安の続く王女には、この上なく安心出来る護衛であったが、今夜は、モンスコール王子の婚約の申し込みがされる予定だ。一曲、ダンスを踊り終わった時に、という筋書きである。
護衛といえど、さすがに、それを阻止するわけにはいかない。
魔道士との対決を終えたフェルディナンド皇国から一変して、きらびやかな宮廷舞踏会の場へと現れたケインは、少々面食らっていた。
用意されていた警備服の正装である、紺色に金色の刺繍入りの詰め襟に着替えたケインと、いつもの黒いフード付きマントを羽織ったヴァルドリューズとダミアスが、舞踏会場に出向くと、アストーレ王に挨拶を終えた。
「遅れましたが、すぐに警備につきますので」
ケインが、急いで職務につこうとすると、国王は笑った。
「まあまあ、今夜くらいはよいぞ。警備の人数は足りておるのだし。そなたは、フェルディナンドで、アリッサの役に立ってくれたのだから。それに、もうすぐ旅立ってしまうのだろう? 今日は、任務などは忘れてくれてよいのだぞ。ほれ、アズウェルなどは、貴婦人たちに引っ張りだこだ」
国王が指差した方では、カイルがケインと同じく正装の警備服に身を包み、長い金髪を後ろで束ね、貴族の娘たちを侍らせ、杯を持ってペラペラ喋っていた。
「よう、ケイン!」
ケインに気が付いたカイルが、笑顔で、人混みをかき分けてやってきた。
紺色の制服に、豪華な金色の装飾品のついた制服姿は、普段軟弱なカイルを多少はキリッとして見せ、他の貴族の男たちの中でも人目を引いていた。
「いいのか、女の子たち、放っておいて。早く済ませろって、俺が睨まれちゃうだろ?」
ケインが、からかうようにカイルを突くと、彼は、まんざらでもなさそうな笑みを浮かべた。
「そうなんだけどさ、ああ、腹減ったー! なんか食おうぜ!」
カイルは人混みをいいことに、女たちからますます離れ、今度は食い気に走っていた。
ケインは、杯に注がれた酒を啜って、チーズをかじった。
「やっぱさあ、俺とお前はカッコいいんだぜ! ひ弱な貴族の男どもばっか見慣れてる姫たちから見ればさあ、俺たちなんて身体つきだってがっしりしてるし、顔だって生き生きしてるわけだしさあ。
現に、俺が、もうすぐアストーレを立つって言ったら、皆残念そうな顔してんだよ。それから、踊ろう、踊ろうって、引っ張りだこにはされるわ、女同士でバチバチ火花散らしてんのも出てくるわ、もうめんどくさいったら、ありゃしないぜー!」
カイルは、相変わらず、お下品に骨付き肉に噛み付いて、むしり取りムシャムシャ食べていた。
『また戻って来た』――そんな嬉しい感覚が、カイルと語り合うケインの中に、こみ上げてきていた。
唐突に、広間の中心では、女性たちが騒ぎ立てた。
白い騎士が、ある貴族の姫と踊り始めたのだった。
マリユスは、薄いピンク色の広がったドレスの小柄な姫の、か細く白い腕をやさしく取ると、目一杯優しい瞳で見つめ、微笑みかけながら踊っていた。
その姫に嫉妬した女たちが上げた声であった。
それには構わず、マリユスが時々彼女の耳元に口を寄せて何かを囁いたり、彼女を引き寄せたりするので、ギャラリーの女たちは、ますます騒ぐ。
ケインとカイルは目配せして、苦笑していた。
(よかった! マリスも無事だし、普段と変わらないみたいで)
実際に、自分の目で、マリスの元気そうな様子を見ると、ケインは、やっと安堵した。
早く、自分の無事な姿を見せ、彼女と話をしたいと思うが、人混みで、なかなか近付けそうにない。
「まあ、ケイン! お帰りなさい!」
振り向くと、女官服の正装姿であるクレアが、瞳を輝かせていた。
水色のスリムな、神官服に似た、詰め襟のドレス姿だった。長い黒髪はアップにしていて、耳には小さな真珠をつけている。
ケインには、ごてごてと飾り付けた、お椀ドレスに見える女たちよりも、断然好印象であった。
「クレア……! よく似合うよ!」
「な、ケイン、クレアは、やっぱりかわいいよな? さ~て、俺もそろそろ、マリスと勝負してこようかな!」
カイルは口を拭いて、今度は、別の貴婦人たちの方へ行ってしまった。
「マリスから話を聞いて、心配してたのよ。よかったわ、無事で……!」
「ああ、なんとかな」
ケインが笑いながら、片手で拳を握ってみせると、クレアも安心したように笑った。
「ねえ、ケインは踊らないの? さっきから、あなたのこと見てる姫様たちがいらっしゃるわよ」
クレアの指差す方をケインが見ると、お椀ドレスの女たちが数人、「キャーッ」と騒ぎ出した。
ケインは苦笑しながら、クレアに向き直った。
「俺は、ダンスは出来ないんだよ。クレアこそ、踊ってくれば? カイルとは踊ってないの?」
彼女は、首を横に振った。
「あの人は、人のこと可愛いとかなんとか言ってるけど、そんなの口だけなのよ。さっき、他の人にも、すっごく歯の浮いたセリフ言ってたのに、その人とは踊ろうとしなかったし……適当に遊んでるだけなんだから」
と、呆れたように笑ってから、ふいに真面目な表情になった。
「それより、ケイン、アイリス様が、やっぱり元気がないのよ。私たちのいない間に、食事もあまり召し上がらなくなって、唯一、『マリユス』にだけは、心を開いているみたいなのだけれど。ねえ、ケインも話してみてくれない?」
「ああ、わかった。そのマリユスとアイリス様は、まだ踊ってないのか?」
「王女様は、あちらのバルコニーで、モンスコールの王子殿下とご一緒にいらっしゃるの。あの方が、なかなかアイリス様を離そうとなさらなくて。あの方が、今回、アイリス様とのご婚約を希望して、このアストーレにいらしたのよ」
婚約者候補と一緒なら、自分がわざわざ割り込んで話を聞くことはないじゃないかと思う反面、王女の方は、早くマリユスと踊りたいだろうし……などと、ケインが考えていると、「お嬢さん、よろしかったら、お相手願えませんか?」と、貴族の男が、クレアにダンスを申し込んだ。
クレアは、それどころじゃないような顔を、その男に向けるが、通じていない。
クレアは、しぶしぶ付き合うことにして、男と一緒にダンスフロアに歩きかけ、ケインを振り向いた。
「ケイン、姫様をお願い」
ケインは頷いた。
クレアがその男と踊る直前に、すっと白い影が割り込んだ。
マリユスだった。
彼は、男と一言二言交わすと、クレアの手を取って踊り始めたのだった。
クレアの方も、気の進まない男から解放されてほっとしたのか、嬉しそうにマリユスを見上げる。
マリスとも、一言でも言葉を交わしたかったケインであったが、その場から去った。
「あの、……わたくし、気分がすぐれないので、お部屋に戻ります」
「では、私がお部屋まで、お送り致しましょう」
「いいえ、結構です」
少し強い口調で高い声が答えると、バルコニーから、淡いピンク色のふわふわしたものが、いきなりケインの目の中に飛び込んだ。
「きゃっ!」
ピンク色のドレスに包まれたものは、バルコニーからの階段でつまずいた。
ケインの腕が、受け止める。
その手応えは、以前よりもますます儚く、か弱くなってしまっていた。
ピンク色のふわりとしたドレスが、彼の足に絡み付いた。
そのドレスと同じ色の唇が、小さく「あっ」と開いた。
大きく見開かれたブラウンの瞳は、驚いたように、じっと、ケインの顔を見つめた。縦に巻かれた栗色の髪も、彼の記憶の通りであった。
「ただいま戻りました。アイリス王女殿下」
ケインは心配そうに王女を見下ろした直後に、慌てて微笑んだ。
王女は驚いて声も出せず、両手を口に当てると、今にも泣き出しそうな大きな瞳を、彼から反らさないでいた。
「なんだね、きみは?」
明らかに、不機嫌な声を発して、バルコニーから、王子が降りてくる。
その姿を見た瞬間、ケインの視線は王子に釘付けになったが、なんとか取り繕う。
「アイリス殿下の護衛の者で、ケイン・ランドールと申します」
「ふ~ん」
王子は不機嫌そうな顔で、ケインを頭のてっぺんから(といっても、背はケインの方が高かったので、下から見上げた形ではあるが)足の先までじろじろと眺め回した。
ケインから見た王子は、大柄で、顔もぷくっとしていて、中はそれほど整ってはいない。
首の周りには、伸縮自在の、大きな蛇腹の白い襟。
縞模様のちょうちん袖に、カボチャのようなパンツを履き、ごてごてときらびやかな、いかにも飾り物のような剣を腰に差し、脂肪のついた緩んだ足は、白いタイツで覆われ、先の尖った奇妙な靴を履いている。
色白で金髪ではあるものの、ケインには、おかしなシロブタにしか見えなかったのだった。
「私は、モンスコール王子タペス。アイリス様の婚約者候補である!」
王子は勝ち誇ったように、威張ってみせた。
(これが、噂に聞く、強引な王子!?)
ケインは、しばらく口がきけなかった。
(こ、こんなみょうちきりんなカッコしたシロブタが、この可愛らしいアイリス王女と……? 他にいなかったんかい!?)