紅通りの魔道対決2
改行、表現その他、読みやすく直しました。(2016.6.25)
「じゃ、行ってくるわね」
マリスの声に、カイルが毛布の中から手だけを振って、答えてみせた。
マリス、ケイン、クレア、ダミアスは朝早く、木の魔道士バヤジッドの家を後にすると、ヴァルドリューズと手分けをして、魔道士達の縄張りを整理することになっていた。
何かあれば、助け合えるよう、お互い同じ地区にいるよう申し合わせておく。
魔道士の最も集中している地区である南と西は、制圧したということで、この日は東地区を回る予定であった。
「クレアを援護するんだったら、あなたが先手を打つことね。常に、彼女に呪文を唱える時間を作ってあげるのよ」
マリスがケインの隣に行き、そう言った。
昨夜の話は、彼女にも聞こえていたようだ。
「クレアは、呪文を唱えている間も、相手の動きをよく見て、スキを見つけて魔法を放つのよ。ただやみくもに放つのは魔力の無駄だからね」
「はい」
クレアは真剣な表情でマリスに頷く。
「チャンスは、なるべくクレアに作ってあげる。でも、無理そうだって思ったら、すぐに引くのよ。あなたは練習のつもりでいいんだから。後は、あたしとケインがなんとかする。本当にヤバい時は、ダミアスさんに結界張ってもらえばいいのよ。ま、キラクにやりましょ、キラクに」
マリスは、にこっと微笑んでみせた。
一軒目に訪ねたところは、話の解る魔道士で、ダミアスが説明しただけで、快く結界を解いた。
外見も、ヴァルドリューズやダミアスのように、ただ黒いフード付きのマントを羽織っただけの、ごく普通の老人であった。
彼は、昨日の木の魔道士バヤジッドのように、茶までご馳走してくれ、親切であった。
朝から気合いを入れて来た彼らは、なんとなく拍子抜けした感じもしたが、穏やかに勧められるに越したことはなかった。
二軒目も、あっさり片付く。
怪し気な動物たちを飼っていた中年の魔道士であったが、ただ召喚して楽しんでいるだけのようだったので、あまり世間には害はなさそうである。
アオトカゲの大きいものを呼び出して、「ペットにどうだい?」と、クレアにプレゼントしようとして、大騒ぎになったが、そんな程度だった。
「ダミアスさんが話して回れば、済むことなんじゃないか? ヴァルが、わざわざ荒っぽいことしなくてもさ」
ケインがダミアスに言うと、「これで済む方が珍しいのだ」と、ダミアスが微笑した。
ケインは、アストーレにいる時より、彼がよく微笑むようになったような気がした。
よく言えばクール、悪く言えば陰気くさく見えてしまうところは、ヴァルドリューズ同様であり、それは、上級の魔道士特有のものだと思っていたのが、ここのことろ、ダミアスはヴァルドリューズよりも、ずっと人間らしい表情をするように、ケインには思えていた。
三軒目の家の前まで来た時であった。
「こちらから、何かとても邪悪な波動が伝わってくる。皆、私の周りに集まってくれ」
ダミアスの静かな瞳には、真剣な色が浮かんでいた。
彼らがダミアスの周りに集まると、見慣れた薄い膜が出来ていき――!
「誰じゃあ!? 貴様らは!」
瞬時に、その家の中に入ったようで、ドゥグの部屋のように、強い違和感を感じる空間の中に、彼らは飛び込んでいた。
もわーっとした空気の淀み。部屋の中全体が、はっきりとしないおかしな感覚に包まれている。
表向きは赤煉瓦の家であるのが、中は、薄汚れた灰色の石造りであった。
そして、彼らが現れたのは、凝視するのもおぞましい、巨大なムシの前であった!
「きゃああ!」
クレアが悲鳴を上げ、ケインにしがみついた。
彼女でなくとも、普通の女性であれば、まず直視は無理であっただろう。
身体全体が黒光りしていて、いくつもの凹凸が背にあり、赤く丸い大きな目、丸い頭には、長い触角が二本生えている。
長い胴体の両脇からは、何十本もの足が、せかせかと動き回り、その一本一本に、気味の悪い黄色い毛が密集し、足の先は赤くなっている。
さらに、その魔物を一層不気味に見せているのは、腹だった。
ウジのように白い小さな――といっても、本体が一部屋分もあるので、それ自体はヒトの腕くらいもあり――いくつもの節目のある幼虫が、何百匹と蠢いているのだった!
ケインは、ちらっとマリスを見てみたが、彼女は、ちっとも驚いてはいないようだった。
(やっぱりな……)
心の中で微笑みながら、ケインは標的に視線を戻した。
「私はフェルディナンド宮廷魔道士の遣いの者です。失礼ですが、あなたのお名前などを教えて頂きたいのですが」
平然とした口振りで、ダミアスは尋ねる。
「ふん! おぬしらなんぞに名乗る名前はないわい!」
声の様子からすると、相当な頑固じいさんだと想像がつく。
「あっそ。じゃあ、勝手に呼ばせていただくわ。『ムシじじい』で、いいわね?」
マリスが言った。
「……そのまんまだが、ケンカ売ってんのか、お前は?」
隣で、ケインは横目でマリスを見る。
「なんじゃと、小娘が! ワシは、れっきとした魔道士じゃぞ! このムシは仮の姿じゃ!」
ムシは、何十本もの足を、一斉にバタバタと上下する。
まるで、地団駄を踏んでいるようであった。
「じゃあ、もとの姿に戻れば?」
マリスの声に、ピタッと、ムシの足は止まった。
し~んと、静まりかえる。
「まさか、こいつ……?」
ケインがマリスを見ると、マリスは視線をムシから反らさずに言った。
「ダミアスさん、こいつの結界を解いて」
ズウゥン……!
ダミアスが掌を部屋の中に向かって翳すと、僅かな振動が伝わり、部屋の中の違和感はなくなった。
そして、普通の煉瓦造りの部屋が、皆の目の前に広がった。
だが、ムシは相変わらず巨大ムシのままだった。
狭そうに、何十本もの足をバタつかせている。
「あんた、戻れないんじゃないの!」
マリスの声を聞いて、余計にムシは激しく足を上下する。
「やっぱり……」ケインが呟く。
「もしかしたら、もとに戻れる魔法が、この中に書いてあるかも知れないわ」
クレアが、ムシに背を向けたまま、震えの止まらない手で、ヴァルドリューズからもらった魔道書を取り出し、パラパラとめくった。
「ムシ男、もし、あたしたちが、あんたの姿を元通りに戻せたら、あたしたちの言うことを、おとなしく聞いてもらうわよ」
マリスが手を腰に当て、勝ち気な笑みを浮かべる。
「誰が、お前たちの言うことなんぞ――!」
ムシ男は、余計に足をバタバタさせ、地団駄を踏む。
「そう。じゃあ、あんたは一生そのままムシでいることね。もっとも、魔力を根こそぎ抜き取ってやれば、本当のムシになっちゃうかも知れないけどね」
「魔力を抜き取るじゃと!? お前らごとこき、そんなことが――!」
「出来るわよ。あたしたちにとっちゃあ、あんたをもとに戻すよりも、その方が簡単なんだけどね。さあ、どっちにするの?」
ケインには、それがマリスのハッタリであることはわかっていた。
クレアが呪文を見つけるまでの間、ムシを元に戻すことを恩に着せておこうというつもりなのだろう、と。
「あ、あったわ……!」クレアが、嬉しそうな声を上げた。
「なにっ!? 本当か!?」
ムシ男は驚いていたが、それは、恐怖でも嫌悪でもなく、歓喜に近い声だった。
「えーと……」
クレアは、呪文を繰り返し口の中で練習してから、顔を上げた。
「クレア、出来そうか?」
ケインの目を見て、彼女は頷く。
「やってみるわ」
ダミアスが結界を解く。
クレアは、ゆっくりと、ひとりで、ムシ男の前に進み出た。
巨大なムシの前に立ち、今こそ呪文を唱えようとした時――
「きゃあああ!」
突然、両手で顔を押さえて、へたへたと座り込んだ。
ケインが駆け寄った。
「どうしたんだ、クレア! 何かされたのか!?」
「……こわい……!」
クレアは震えながら、ケインの胸に顔を押し付けた。
「確かに、こうして近くで見ると、不気味ではあるな」
「こりゃ、小娘! 早くなんとかせんかあ!」
ムシは、再び足を一斉に動かす。
「きゃあああ!」
余計に怖がったクレアは、ますます深くケインの懐に埋まる。
「小娘が! 元に戻せないのなら、貴様を食ってしまうぞ!」
ムシの足が、一斉に動き出す。
「来るか!?」
ケインが、マスター・ソードを抜きかけた、その時――!
「来ないでー!」
クレアが、片方のてのひらをムシに向け、無意識のうちに短い呪文を唱える。
てのひらからは、赤い炎が飛び出し、速さでムシの腹に飛んでいった。
「うぎゃああああああああ!」
「げっ! 攻撃してる!」
ケインは、クレアを抱えたそのままの体勢で、とりあえず見守った。
腹に炎の球が直撃したムシ男は、その場でのたうちまわり、ひっくり返って、足をバタバタさせていた。
その様子も、あまり気味のいいものではない。
「おのれ……! 元に戻すと見せかけて攻撃してくるとは、なんという極悪非道! それが、お前達を一瞬でも信頼した、この誠実な年寄りに対する仕打ちか!? これだから、若いモンは信用できんのじゃ!」
ムシ男は、白い腹をウジ虫ごと焼け焦げさせ、体勢を立て直すと、二本の触角をピクピク上下させ、大きな丸く赤い目で、彼らをにらむように見下ろした。
「あんたの魔物化したその身体は、どうも治らないみたいだから、いっそのこと安らかに葬ってあげるってことよ」
開き直ったマリスが、ケインとクレアの前に、ずいっと立ち、ロング・ブレードを手にすると、不適な笑みを浮かべて、剣を構える。
「魔物はヒトにあらずよ。ムシじじい、覚悟!」
「絶対、最初からそのつもりだっただろ!?」
ケインが、マリスの背に叫ぶ。
「キエーッ!」
ムシ男は、雄叫びなのか、奇妙な声を発した。
ケインも立ち上がり、剣を構えた。
「クレア、下がってろ」
クレアは頷くと、ダミアスの方へ走っていった。
「ケインは右へ! あたしは、左をやるわ!」
「わかった!」
ケインとマリスは離れると、まずは気色の悪い足を斬り落とす。
ズバッ! ずしゃあっ!
「うおぎゃああああああああ!」
ムシ男の叫び声が絶え間なく続く中、二人は、切り口から緑色の体液をまき散らすムシの足を避けながら、本体にも徐々に斬りつけていく。
「もとに戻す呪文を思い出したわ! 今度こそ大丈夫よ!」
クレアが、進み出た。
「えっ!? でも、こんなにズバズバ切っちゃってるのに、今もとに戻したら……!」
そのままヒトの姿に戻ったら、一体どんなことにと思うと、ケインには、想像するのもおそろしかった。
「おーい、マリス、クレアが、こいつをもとに戻すって!」
ムシを挟んで反対側にいるマリスに、ケインが呼びかけるが……
ずばっ! ざしゃあっ!
「聞こえないのか? おーい、マリス!」
彼女は、ひたすらムシと格闘していた。
「……ぜったい聞こえてるはずなのに」
ケインは、左手の剣を降ろした。
今や、殆ど、ムシ対マリスの戦いとなってしまっていた。
それには構わず、クレアも呪文を唱え始める。
「ああ、もうどうなっても、俺は知らないからな!」
そのクレアの呪文が唱え終わる時、それまで、マリスとケインが斬ってきたムシの数十本もの足が、切り口から一斉に、にょきっと再生したのだった。
「きゃあああ!」
クレアは再びその場にへたりこんで、両手で顔を覆ってしまった。
「小娘がー! また失敗しおってからにー!」
ムシ男は、怒って赤い目を点滅させ、クレアに方向転換すると、勢いよく襲いかかっていった。
ケインとマリスが援護に向かう。
「いやあっ! 来ないでー!」
ボンッ! ボンッ!
彼女の両掌から、炎の球が次々と発射された!
「うわっ!」
ケインは、とっさに剣で回避したが、クレアが目を閉じたまま攻撃していたため、以前の無差別攻撃と、まったく同じであった。
「あぢゃああああああああ!」全身に火が回ったムシ男が、跳ね上がる。
「きゃあああ!」その姿を見て、クレアが一層怯えていた。
「小娘ー! もう許さんぞー!」
黒焦げになったムシ男(元から黒かったので、あまり代わり映えはしなかったが)は、クレアに向かって、ぶすぶす燻りながら這って行った。
クレアの瞳が、恐怖のため大きく見開かれる!
「きゃあああ!」
どど~ん!
一瞬、何が起きたのか、ケインにはわからなかった。
爆発音がしたと同時に、彼の身体は、妙な感覚に包まれた。
そして、今、彼は宙に浮いていた!
ヴゥン……!
途端に彼は結界に包まれると、そこには、マリスとダミアスがいた。
ケインは、浮かび上がる結界の中から、下を覗き込む。
今までいた家と思われるものは、もう存在しておらず、代わりに、赤い瓦礫の山が築かれていた。
それが、ムシ男の家だったものであった。
「クレアが放ったのは、大技だったみたい。ダミアスさんが、あたしたちを宙に浮かせて、結界で守ってくれたのよ」
マリスが解説する。
結界ごと、彼らは、ゆるゆると下降していく。
「クレアは!?」
ケインは、ダミアスを振り返る。
ダミアスは、下を指差した。
下降していくうちに、瓦礫の中で、一部、円形に、そこだけは瓦礫に埋もれていない箇所があり、そこには、両手を突き出した、攻撃したままの格好で立ち尽くし、肩で大きく息をしているクレアの姿があったのだった。
「クレア!」
地上に降り立ち、結界が解かれると、ケインとマリスは、クレアのところへ駆け寄った。
クレアは、円形に張った防御結界を解き、彼の声に気付いて振り返った。
「ケイン!」
クレアは、泣きながら、ケインの腕の中に飛び込んだ。
「こわかったの! あのムシおじさん、『お前を食ってやる!』って、口から、しゅ~しゅ~白い糸を吐いて……! 私、とてもこわくなって――ああ! 思い出しただけでも、なんておそろしい!」
「わかった、わかった。もう、大丈夫だから」
ケインは、ぎこちなく笑うと、啜り泣いている彼女の背を軽く叩いて、安心させようとした。
彼には、怯えながらも、そんなことをしでかしてしまう彼女の方が、よっぽどこわかった。
「……生命反応はない。どうやら、あの魔道士は、完全に消滅したらしい」
瓦礫の山に手を翳して、ダミアスが、ぼそっと言った。
「クレアの最後の『地割れ攻撃』が効いたみたいね。やるじゃないの!」
クレアは、そう言ったマリスを振り返った。
「地割れ? ……じゃあ、私、『地』の魔法を身に着けられたのかしら?」
ダミアスもマリスも、微笑みながら頷いた。
クレアは、二人を見上げると、嬉しそうに微笑んでいった。
しかし、ケインは、無意識に地割れの呪文を唱えたことに、恐ろしさを覚えていた。
四軒目の魔道士も、先のムシほどではないが、ヒト離れしていた。
今度は、獣人タイプのモンスターが登場したかと思うくらい、それは、上半身がウルフのミドル・モンスターにそっくりの外見であった。
ダミアスの話に耳を傾けるどころか、いきなり槍を持ち、攻撃をしかけたのだった。
がしっ!
クレアに向かってきた槍を、ケインの剣が受け止める。
その後ろでは、彼女の呪文を唱える声が聞こえる。
よし、もう少し時間を稼いで……と、ケインが思っていると、
「あっ! いけない!」
クレアの叫ぶ声と同時に起こったのは、巨大なストーム――竜巻だった。
ごおおおおおおおおお――!
「うわーっ!」
ぐるるるるるるるるる!
ストームは家の屋根をぶち抜き、ケインと獣人とを巻き上げていった!
目を回したケインと獣人は交わることなく、ぐるぐると竜巻の中で回る!
ヒュン――!
巨大ストームに巻かれていたケインを、空間移動したダミアスが抱えて戻る。
地面に横たわっていたケインが、うっすら目を開けた。
「……し、死ぬかと思った……」
「ああ、ケイン、ごめんなさい! ごめんなさい!」
わあっと、クレアが泣きながら、彼に両手を翳し、回復魔法をかける。
マリスも、上から彼の顔を覗き込んでいたが、心配しているというよりも、珍しいものでも見るような目で、見下ろしていた。
「……あのモンスター……じゃないや、魔道士は?」
まだボーッとしている頭で、ケインは半身起こし、誰にともなく尋ねた。
「どうやら、別の空間へ飛ばされていってしまったようだ」
ダミアスが、静かな声で言う。
「……ってことは、ダミアスさんが俺を救い出すタイミングを間違えてたら、俺も、変な空間へ飛ばされてたのか……? 魔道士や魔物ならまだしも、普通の人間が迷い込んだりしたら、一体どんなことに……? 時空酔いはおろか、『外』への出方だってわかんないのに……」
ケインは、ぶるっと、思わず身震いした。
「ごめんなさい! 私が呪文を間違えたばっかりに、ケインを危険な目に……! ごめんなさい!」
クレアは、ケインの伸ばした足の上に突っ伏して、わあわあ泣いていた。
「だ、大丈夫だってば」
心の中では、「もう、頼むよ、クレアちゃん……」と呟き、引きつりながら、彼女の背に手を置くケインであった。
「魔法って、本当に恐ろしい……!」
マリスが、けろっとした顔で言った。
わざとらしく聞こえたケインは、何か言いた気だったが、横目で、彼女を見ただけであった。