第8話
すいません、長いです。
自分でびっくりしました(涙)
国王一家の夕食は、豪華すぎることもなく、かと言って王家の名に恥じることない品々が並んでいる。以前は『食事は食べきるものではない』というくらいの品数が並び、その中から好きな物を好きな分だけ食べる、という一般市民からは考えられないものだったが、いつの頃からかアーデルヴァイド城内では『そんなのは無駄』と言われ、以来他国からの賓客を招く時以外に膨大な量の食事が作られることはなくなったという。
そんなある意味一般的な家族と同じようにテーブルを囲んだ国王一家だったが、今日の雰囲気はいつもと少し違っていた。ふだんなら両親や兄に最近の出来事を話したり、また逆に話をせがんだりしている妹姫――マナー的に良くはないが、一家での食事の時のみ王妃が許可をしている。――が、今日は黙々と食事に専念しているからだ。向かいに座るユーリックも『自分のせいかもしれない』と、午前中にサーシャマリーから怒られたことを思い、なんと声を掛けていいのかわからずチラチラと妹の顔を盗み見るばかりだ。
二人の子供の様子に両親も不審に思い、たがいに声には出さず目配せをし合っているため、一家の食事はいつになく静かに進んだ。
とうとう食後のお茶が供された時、上座に座る国王が妻に押し切られた形で口を開いた。
「サーシャマリー。ユーリックと何かあったのか?」
低く威厳のある声で父に問われ、サーシャマリーはおずおずと視線を上げるとゆっくりと頭を振った。
「いえ…」
「では、どうしてそんな顔をしているの?」
隣に座る王妃が優しく聞いてくる。ユーリックも心配そうに妹を見つめていた。三人の視線に耐えられないかのようにまた顔を俯かせてしまったサーシャマリーに、王妃が娘の髪に手を滑らせながらなおも問う。
「サーシャ。なにか悩んでいるの?それとも…ユーリックが何かしたのかしら」
「っ!違います!!兄様は何も悪いことはしてませんわっ。私が勝手に…」
両親がユーリックを見つめていることに気付いたサーシャマリーは慌てて二人を止める。
「勝手に…どうしたの?」
「……。あの、お父様?」
娘の呼びかけに視線を戻した国王に、サーシャマリーは意を決したように顔をあげた。
「ユーリ兄様は、もっとお忙しくなるの?」
「いや…しばらくは今の状況に慣れてもらうために仕事を増やすつもりはないが?」
「そう、ですか」
どこかほっとしたように言う娘に国王は先を促す。
「……兄様が、最近お忙しいようなので、その…」
「なんだ、寂しかったのか?」
「…はい」
再び視線を落とす姫に、隣から王妃の優しげ声がかかる。
「サーシャ」
「はい」
「そういうことは、言ってもいいのよ」
「でも…兄様はそろそろお妃様をお選びになるから、わたくしは少し遠慮しなくては、と…」
今にも瞳が潤みそうになるのを必死でこらえるサーシャマリーに、両親は穏やかな眼差しを向ける。
だが、そう言われた兄は眉間をわずかに寄せながら
「サーシャ。誰かにそう言われたのか?」
「いえ。ですからわたくしが勝手にと…」
「ならばそんなことを気にする必要はない。私は好きでお前との時間を作っていたんだ。…たしかに、最近父上から任せていただいた新しい仕事に慣れず、執務に時間を取られてしまっていたが。もう時機に落ち着くはずだから。…すまなかったな」
眉尻を下げながら言うユーリックに、サーシャマリーは目をあわせて聞く。
「…ご無理をさせてしまうんじゃないですか?」
「この程度で『無理』と言っていたら父上から見放されてしまうよ」
肩をすくめながら言う兄に、ようやくサーシャマリーが表情を明るくさせる。
そんな兄弟を見つめながら、王妃も彼女の手を取りながら微笑みかけた。
「そうよ。それにお父様はまだまだご健在ですからね。私たちはユーリックの結婚も急いでいないし。あなた達の時間を大切にしなさい」
「さっさと引退して田舎にひっこむのもいいがな」
父の言葉に兄弟が目を丸くするが、長年の付き合いで冗談だとわかっている王妃がたしなめる。
「心にもないことを言わないでくださいな。…ユーリック。確かに、あなたはこの国の皇太子であり、ゆくゆくはこのアーデルヴァイドを背負わなくてはいけないわ。結婚も、必ず必要になってくるでしょう。でもね、私たちは政略的なことの前に、あなた自身が『大切だ』と思える方と添ってほしいと思っているのよ」
「そうだな。周りはそろそろ騒がしくなるだろうが、お前が納得して決めるといい。妻や妹の心にすら寄り添えない男が王になるべきではない、と私も思う。」
「父上、母上…」
思いもかけず両親から己の将来について語りかけられ、ユーリックも驚く。そんな息子にいい機会だとばかりに国王は飲んでいた茶のカップを置いて続ける。その姿にユーリックどころかサーシャマリーまで居住まいを正した。一人、王妃だけはすべてわかっているかのよう微笑んでいる。
「アーデルヴァイドでは男児は十八で成人する。それはお前も例外ではない。だが、成人したからといって突然何もかもができるようになるわけではない。だからこそ、以前よりお前にいくつか仕事を任せてきた。だが、それは決してサーシャマリーや私達との時間をないがしろにさせるために行ってきたのではない。むしろ、王家なのにこのような『家族』として関わり合いを持っている国は少ないだろう。だが、私はお前たちの将来にとってこの時間は必ず必要なものだと思っている」
二人の兄弟はじっと父を見つめている。その瞳をしっかりと見つめ返し、最後に妻に視線を送る。すべてを理解しているかのような王妃は、その視線にひとつ頷いて答えた。
「…かつて、アーデルヴァイドは戦いの中にあった。それはお前たちが生まれる直前まで続いていた。我が国は今もなお『大陸に敵なし』と謳われるほどの軍事力もある。かつても知る者の中には『国を広げろ』と言って来る者もある。だが、私は二度とこの国を戦乱の中に落とすことはしないと誓ったのだ。人々の声に耳を傾け、その気持ちに添うよう努めようと思った時。…国民の誰も戦いを望んでいた者などいないことに気付いたのだ」
知らず握りこんだ国王の拳に、兄妹はハッとなる。――父は後悔しているのだ。そして、その罪ために負った重みを今なお背負い続けている。血に塗れた過去を繰り返さないために、きっとあえて消さないのだろう。
その父を長年傍らで支え続けてきた母が、そっと席を立ち国王の隣に寄り添った。父は肩に置かれたその手に顔を上げ、自らの手を重ねる。険しくなっていた表情を緩め、再び兄妹に向き直った。
「国を治めるには時には非情な決断も必要だろう。だが、常に人の言葉に耳を傾け、その心の声を聞け。己が最善だと思う道を必ず見つけなさい。そして、ユーリック。良き王となるのだ」
「サーシャマリー。あなたがユーリックを思う気持ちはとても大切よ。自分をわがままだと思ってしまったことも、私は悪いとは思わないわ。でもね。あなたが自分の心を殺さず素直に兄に甘えることも、ユーリックが人の心を知っていくのに必要なことだと思うの」
「兄を煩わせたくないと思う気持ちがお前にある分には、私たちはお前を止めるつもりはない。それよりも、お前がそんな顔をしていることの方がユーリックの気掛かりになってしまうのではないか?」
温かい言葉に励ましと愛しみを感じられた兄妹は、お互いの顔を見やって、ようやく表情を緩める。
サーシャマリーも本来の笑顔を取り戻し、ユーリックに向かって可愛らしくぺこりと頭を下げる。
「はい、お父様。兄様、ごめんなさい」
「私こそ、気付かなくて悪かった。今度お詫びに何か甘い物でも持って行こうかな?」
ユーリックはその笑顔に応えるように言って立ち上がり、妹の隣に来るとその傍らに跪き、その手を取る。
「サーシャマリー、私の小さな姫君。どうかこの不甲斐ない兄を許してはもらえないだろうか?」
その小さな指先に軽く唇を寄せ、彼女の顔をチラリと見やる。兄の行動に驚いたサーシャマリーだったが、すぐに満面の笑みを浮かべる。
「もちろんですわ、お兄様。これからもいっぱいわたくしのわがままを聞いて頂きますからね!」
「それはこわいな。覚悟しておくよ」
「…ユーリックよりもサーシャマリーの結婚の方が大変そうね」
仲睦まじい二人を嬉しそうに見守っていた王妃の言葉に、兄妹は揃って笑う。
立ち上がったユーリックはそんな両親に向かいなおり、右手を胸に当て表情を改める。
「父上、母上。私はこのアーデルヴァイドを治める良き王となるよう、ここに改めてお誓い申し上げます」
軽く頭を下げて宣誓するユーリックを王妃は軽く抱きしめた。
「ありがとう、ユーリック。大変でしょうけど、がんばってね」
「はい、母上」
頷き、母を抱きしめ返すとユーリックは席へ戻った。
王妃はそんな息子を誇らしげに見やり、そしてちょっといたずらっぽい顔をする。
「そうそう、ユーリックの結婚の件ですけどね。心配しなくても全然大丈夫よ」
「?はい」
「だって、陛下が私と結婚したのなんて三十ですもの~。それまでは逃げられるわよ」
「…二九だ」
いっそ朗らかに笑う王妃に国王がむっつりと訂正すると、今日ようやく広間に一家の笑い声が広がった。