第4話
王女の隣室は、普段あまり使われることはない。自室に招くほどでもない客をもてなすために作られた応接室のようなもので、年に2,3回使用するかどうかだ。それでも、王女のための部屋であることには変わりがないので定期的に清掃された室内は、明るく清潔に保たれていた。
そんな部屋の中央にある応接用のソファの上に、無造作に一着の服が掛けられていた。
「頼みというのはこれなんだ」
なれなれしくもフレアの肩に手を置いてきたデュークから逃れるように、フレアはソファに近づく。
「これは…第四近衛隊の隊服ではないですか?」
「そうなんだよ。実は今日の午前中、ユーリック殿下が鍛錬場にいらっしゃって剣の稽古をされていたんだ。その時に俺と手合わせしていただいたんだが…勢い余ってしまわれてね」
そう言ってデュークはソファに掛けられていた、第四近衛隊を示す濃い緑色のラインが入った上着を手にする。市井の娘から貴族のご令嬢達までもが憧れる近衛隊の隊服は、しかし脇が腕の下から裾までざっくり裂けてしまっていた。
――――避けきれなかったあんたが下手なんじゃないの?
心の中で文句を言いつつ、目だけでだから?と問う。
「まあ、普段なら城のお針子のところに持って行くんだが、どうも今は忙しいらしくて早くても明日の昼ごろになると言われてしまったんだ。だが、俺は今日の夜から仕事があってこれが必要でさ。そしたら殿下が、以前フレアは裁縫がうまい、とおしゃってたのを思いだしてね。君にお願いできないか殿下に聞いてみたんだよ」
「殿下が?」
「ああ。なんでも以前殿下のシャツを直したことがあるらしいじゃないか」
「そういえば…」
さりげなく呼び捨てされたことや、言葉が砕けてきたことにさらにイライラとしながらも、記憶をさぐる。
「だいぶ前にそんなことが…」
「あったんだろう?それでこうやって君にお願いにやってきたってわけさ」
「でも、それは本当にちょっとのほつれを直して差し上げただけで、ここまでになると私の手にはおえませんよ」
これ以上仕事を増やしたくないフレアは、さりげなくできないとアピールしてみる。
しかし、目の前の男にそんな遠回しな言葉は通じなかったようだ。逆にフレアの逃げ道をふさぎにかかってくる。
「君が直してくれないと俺は今日隊服なしで城下の巡回に出なければならない。当然、隊長たちにも理由を聞かれたら殿下のお相手をしていたことまで話すしかない。でも俺としては『力のコントロールを誤って隊員の服を破った』なんて、殿下をなめた目で見てほしくないからさ」
大げさに肩をやれやれとばかりにすくめるデュークへ向けるフレアの瞳は冷たい。
――――自分の醜聞を隠したいだけじゃない。
ユーリックの剣の腕は確かだ。それは間違いなくこの国で他に太刀打ちできるものはいないであろう彼の父――国王自らが稽古をつけてきているからだ。そんな国王を超えるべく、ユーリックは王との稽古の時間以外でも暇を見つけては近衛隊の鍛錬場へ出向くと聞いている。
ちなみに、フレアが以前ユーリックの服を直したのもその鍛錬の時にできた服のほつれだ。ユーリックの相手をしていたのは、他ならないオーランジュであり、彼との手合わせ中にユーリックは服を引っかけ、破ってしまった。しかし父にその事実を知られたくなかったユーリックのためにオーランジュはフレアを捕まえ、その服を直させたのだ。手も早く、その出来栄えを気に入ったユーリックは、その後しばしばフレアに内密の繕いものを頼むことになった。――――ユーリックがサーシャマリーの部屋を訪れる理由でもある。
そんな自分のあまり大っぴらに公言していない特技を、うっかりとはいえよりによってデュークのような男に知られてしまうとは。ユーリックの申し訳なさそうな顔は、きっとこの男の性格によるところも大きいのだろう。『バラしてゴメン』というところか。
フレアは今日何度目かの諦めの溜息をつくと
「…私にできる限りでしかできませんよ?」
その言葉にやはり大げさな身振りでデュークは喜びを表し、
「もちろんだとも!でも君の腕は殿下のお墨付きだからね!期待しているよ」
どうやら手を抜くことも許されないらしい。内心のイライラを押さえつけるのに苦労しつつ、デュークの手から上着を奪い取った。
「サーシャマリー様から時間は頂いているから、キレイに頼むよ」
ぽん、と肩に置かれた手を今度こそ振り払うようにしてフレアはソファに腰掛けた。
結局、複雑に裂けてしまった服の修復に思ったより時間を取られてしまい、フレアは午前中のサーシャマリーの仕事どころか自分の昼休みを削ってまでデュークの上着を仕上げなければなかった。デュークが上着が出来上がるまで向かいのソファに座り、フレアに――コイツどれだけヒマなんだ?と思わせていたからでもある。
上着が仕上がったのは昼休憩ももうすぐ半ばかというほどの時間。できあがった上着をデュークに押し付け、背後で感嘆の声を上げながらフレアに何事か声を掛ける彼を、聞こえなかったフリという無視を決め込んで部屋から飛び出して来たのだ。さすがに王城内を走るわけにはいかないので、とっさに裏庭に出ると周囲を確認して人がいないとみるや、フレアは自室に向けて猛烈に走り出したのだ。
「アイツラのせいでご飯抜きだよぅ」
肩を落としながら部屋に入ったフレアだったが、机の上に油紙で包まれた物と手紙が置いてあるのを見つける。
――――オーランジュ様の大切なマントなんだから!絶対間に合わせてよね!!
リリーの殴り書きのような字だった。サーシャマリーの部屋で先ほどの様子を見ていた彼女たちは、戻ってこないフレアを気にしてくれていたのだ。おそらく面倒事を押し付けられたのであろうフレアが、昼食にも来ないのを見て差し入れてくれたらしい。それが例えオーランジュのためにしたことであっても、今のフレアにはとてもありがたかった。油紙に包まれた、野菜や肉を挟みこんだ温かいパンに感謝して、思わず気持が上昇したフレアは、今日三度目の針を手に取りマントの修復にかかった。
読みにくいですよね~。
わかってるんです。でも、どうにもできないんです(涙)
ごめんなさ~い!!