第22話
国王の執務室がいつになく静まり返っていた。部屋には国王始め数人いたが、誰一人として口を開かない。かれこれ10分も静まり返っていただろうか。扉が静かにノックされる。
「誰だ」
「私です、陛下」
扉の前に控えているであろう侍従を通さず、直接来訪を告げたのは王妃だった。机に肘をつき、両手を顔の前で組んだままだった国王は、一瞬の間ののち入室を許可する。
共の侍女を一人もつけず、単独で入室してきた王妃に、国王以外の全員が礼を取る。それを片手で制し、国王の前にまっすぐ進む。その表情はいささか暗い。
「陛下。何か進展はございましたか?」
「…いや」
国王のその言葉に王妃はそう、と呟くと肩を落とした。ふらり、と揺れたその体を支えるように隣にユーリックがそっと寄り添う。
「母上…」
「ユーリック。…大丈夫よ。倒れるのはあの子が見つかってからにするわ。…陛下。私はかいつまんでしか情報が入ってきておりません。一度整理させていただいても?」
「そうだな。バルドー、王妃に詳細を伝えよ」
「はっ。王妃様、よろしければお掛けください」
指名された近衛総隊長のバルドーが王妃に向き直る。ユーリックに促され、王妃が執務室のソファに腰かけると、国王を取り囲んでいた輪が大きく開く。
「サーシャマリー様は今日の午後、侯爵家のご令嬢様方とのお茶会の後、姿を消されたと思われます。…通常ではありえないことですが、本日は王女様付きの侍女の人数がかなり少なく、また茶会が庭園で行われていたことからその片付けにも人手を取られ、お側についていたのは二人だったとのことです」
「二人…いいわ、続けてちょうだい。まずは全体を把握しなくては…」
考え込みそうな様子の王妃に、一度言葉を切ったバルドーだが、王妃の言葉に頷く。
「本日のご予定は以前から決まっていたこの茶会以外には、午前中の講義のほかはこれと言ってございませんでした。とくに夕方は、最近ユーリック殿下とのために空けていらしたので予定を入れることはほとんどなかったと、王女様付きの侍女頭が申しております。ただ、今日に限っては急きょドレスのご試着が決まったそうです」
「試着…?」
「はい。なんでも『早く作って他のご令嬢方に見本がてら展示をする必要がある』と昨日、仕立屋から要望をされたようで」
「ユーリック、聞いていた?」
王妃の問いかけにユーリックは首を振る。
「いえ…昨日サーシャマリーに会いましたが、そのようなことは一言も…」
「そう…それで、バルドー?」
「はっ。ほんの短時間で良い、とのお申し出を王女殿下は承諾されたようなんですが、『手間を取ることではないので』と言われたようで、入城の許可は取っていたもののお側に控える近衛達も私に報告までしなかったようで…申し訳ございません」
部下の不手際を詫びるバルドーに、王妃は仕方がない、と手を振ってやめさせる。
「その仕立屋に事情は聞いたのよね?」
「それが…仕立屋はナップ商会という新しい店で、王女殿下のドレスを仕立てていたのはそこのルーヴィッツというデザイナーだそうです。先ほど部下を差し向けましたが、ナップ商会ではそのようなデザイナーも仕立て職人も知らない、と…。サーシャマリー様はその時間にお姿を消されたと思われます」
「…なんてこと」
顔を両手に埋めてしまった王妃に、傍らに膝をついたユーリックが悔しそうに声を掛ける。
「母上…申し訳ございません。私は昨日そのルーヴィッツとやらに会っていたのに…」
「…そうなの?」
「はい。見慣れぬ顔だな、とは思ったのですが、今回は母上とサーシャが合同で商人たちを呼びましたので、目新しい者も多く…それに、サーシャがそこのドレスをかなり気に入っていたようなので。水を差すまい、と調べさせるのを怠りました。気になっていたのに…!」
唇をかみしめるユーリックに、顔をあげた王妃がその握られた拳に手を添え、首を振る。
「いいえ、ユーリック。もとはと言えば、私が多くの者を城内に招き入れてしまったのです。あなたのせいではないわ」
「母上…」
「二人とも、そこまでにしろ。責任を取り合っても何もならん。今は、サーシャマリーの行方が最優先だ」
国王の言葉に親子は揃って視線を向け、頷く。
「そうね…何か、犯人からの要求もないの?」
「今のところ、そのようなものは届いておりません」
「では、犯人の目的は…」
わからない、と首を振るバルドーに王妃はちょっと考え込む。
「バルドー。一緒に姿を消した侍女とは?」
「ディケイデット子爵家の娘ネルと、ダングレイ伯爵家のフローレディアです」
その言葉にハッとしたかのように、王妃は国王を見やる。
「陛下。もしかしたら、なんですが…」
「なんだ、申せ」
「…いえ、その前にダングレイ財務大臣と…近衛にいるグレンバック侯爵のご子息を呼んでいただけますか?」
オーランジュは国王の部屋の前でダングレイ財務大臣――フレアの父を見つけた。
サーシャマリーの姿が消えたことは帰ってすぐに聞いたが、戒厳令が敷かれているためその後の情報は彼には届いていなかった。しかし、ダングレイ伯爵の姿に嫌な予感がする。二人が同時に呼ばれることは、共通する一人の人間のため以外にないからだ。
「伯爵様…」
「!オーランジュ!君も陛下からお呼び出しを?」
「ええ、まあ…」
濁した言葉にも、ダングレイ伯爵はさっと顔色を変える。オーランジュと同じ考えに至ったのだろう。すぐに扉に向き直ると、部屋内に来訪を告げた。
執務室にはアーデルヴァイド国王夫妻とその一人息子ユーリック、そして近衛総隊長バルドーの姿だけがあった。他は人払いがすでにされている。二人が国王に最敬礼をしようとするのを手で止め、国王が口火を切る。
「二人に来てもらったのは、王妃が聞きたいことがあると言うのでな」
「はっ。なんなりとお尋ねくださいませ」
胸に手を当て頭を下げる伯爵に習い、オーランジュも頭を下げる。ちらりと横目で見れば、伯爵はまったくの無表情だ。事件のことを知らない彼はフレアが何か不手際を犯したと思っているのだろうが、顔には出さない。さすがだな、と思いつつ王妃の言葉を待つ。
「…ダングレイ伯爵。サーシャマリーが何者かに攫われたようです。…そしてフレアも姿を消しました」
「っ!!王妃様!それはっ!それは誠にございますか!!」
驚きに顔をあげたダングレイは、隣でオーランジュも驚き王妃をじっと見つめていることに気付き、王妃と彼の顔を交互に見ている。王妃はその様子にゆっくりと頷くと居住まいを正した。
「二人に聞きたいことがあります」