第21話
仕事をさぼるなんて今までにないことだが、フレアはリリーの心遣いを今はありがたく受け取ることにする。それほど自分の心が乱れているのを嫌でも自覚したからだ。
自室に戻る道を歩きながら、ひたすらフレアは考えていた。何がオーランジュを怒らせたのか。なんでさっきはあんな態度を取られたのか。そして、自分はなぜこんなに落ち込んでいるのか。
部屋に戻るとフレアは小さな鏡台の前に座った。鏡には布がかけられている。それをそっとめくり、自分の姿を映した。映るのは明らかに落ち込み気味な顔。そして波打つスミレ色の髪。胸の下まであるその髪をそっとなぞるように鏡に触れる。
――――なんで怒ったんだろう、なんてなんとなくわかってる。リリーからオーランジュの話を聞く前から、彼がお針子の所へ行っていなかったことも(私が来る以前から行っていなかったとは思わなかったけど)。彼が自分の結婚話や恋愛に関わる話を私から振られることを嫌うのも、知っていた。
鏡をなぞりながら深く息をつく。まさか、と思いながら見て見ぬふりをし続けてきた。フレアにはそうするしかない理由があったから。だから自分は彼に『幼馴染』以上の気持ちを持ってはいけないことも、そんな自分の思いを否定することも難なくこなしてきたつもりだった。
鏡の中の自分の顔が泣きそうに歪む。ギュッと手を握りしめ、唇をかむとますます醜く見える。それでもフレアは自分から目を離せなかった。
――――あんなにキツイなんて…バカだわ、フレア。
彼がいつか誰かを好きになった時、それを祝福できるように。そういつも言い聞かせていたのに、嫌だ嫌だと言いつつ、オーランジュが繕いものを持って来ることに優越感を覚えていたことを知る。心の中で『幼馴染』を振りかざして、彼のことをどんなふうに言っても自分は許されるのだ、と思いあがっていたことを知る。
たった一度、彼が自分に背を向けたことがフレアの中で驚くほどの破壊力を持って今までの彼女を壊していく。ギュッと心臓が締め付けられるような痛みを覚え、顔を顰める。ぼやける視界に、涙が流れそうになっていることに気付く。
だが、と思いフレアはぐっと目元をぬぐう。聡いサーシャマリーのことだ。泣いた後の顔で部屋に入れば気を遣わせることになってしまう。彼女に心配を掛けることだけはできない。そう思ってフレアは鏡に布を掛け、鏡台から立ち上がる。今度は机に向かって、便箋とペンを取り出した。
――――どうあっても、知られてはいけない…
固い決意を胸に、インクに浸したペンを便箋に乗せた。
サーシャマリーの部屋へ入ると、そこには茶会から戻ったばかりの王女とネルがいた。令嬢方との茶会の首尾は上々だったらしく、機嫌が良さそうだ。
「フレア!大丈夫?リリーから具合が悪そうだって聞いたけど」
「はい、もうすっかり。ご心配をおかけして申し訳ございませんでした」
フレアに気がついたサーシャマリーから声を掛けられる。嘘をついた罪悪感がチクリと胸を指すが、あえて気付かぬふりをした。タイミング良くネルが声を掛けてくる。
「もうすぐルーヴィッツ殿もいらっしゃいますよ。お着替えなさいますか?」
「いえ、いいわ。どのみち試着をするのでしょう?このまま待つわ」
かしこまりました、と頭を下げるネルには聞こえないように、サーシャマリーがフレアに近寄って来る。
「今日もらった手袋をしていたら、みなさんすごく褒めてくれたのよ!」
「まあ!それはようございました。ほんとに良くお似合いで、作ったかいがありましたわ」
にっこり笑うサーシャマリーに、フレアも笑みがこぼれる。そっと、サーシャマリーをソファへ誘い、腰かけた彼女の傍らに控えた時、扉をノックする音がした。茶の支度をしていたネルがすぐさま応じる。
「ルーヴィッツ殿のお越しです」
「早かったわね、どうぞ」
その言葉にネルが扉を開けると、大荷物を持ったルーヴィッツと仕立屋の二人が深々と頭を下げて入ってきた。
「お忙しい時間を頂戴いたしまして、誠にありがとうございます」
「こちらこそ、手間を掛けます。さあ、さっそく始めましょう」
にこりと笑うサーシャマリーに、こちらも笑顔で答えたルーヴィッツが王女のそばに来る。カバンを開け、さっと取り出された真っ赤なドレスが二人の視界を覆う。
「若干の寸法直しと飾りを取り付けて参りました。ご試着いただけますか?」
ドレスには昨日の今日でよくこれほど、とフレアも感心するような装飾が施されていた。サーシャマリーも目を輝かせている。
「すごいわ!わたくしに似合うかしら?不安になって来るわね。さっそく着替えてきます。フレア、手伝ってもらえる?」
「かしこまりました、姫様。ルーヴィッツ殿、しばしお待ちください」
ルーヴィッツからドレスを受け取ると、フレアとサーシャマリーは寝室へと着替えに入った。
1時間後、ユーリックとオーランジュ達近衛が城外の仕事から帰還すると、真っ青な顔をした彼付きの侍従が走ってきた。
「サーシャマリー様が行方不明にございます!」
すいません、またしても一発書きです。
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