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第2話

侍女の控室まであと5歩。

なんでこんな所で立ち止まってしまったんだろう、とフレアは舌打ちしたい気分だった。

自分に詰め寄ってきていた侍女はフレアと向かい合っていたため、声を掛けてきた人物をもろに見てしまったのか頬を赤く染めて固まっている。

「フレア、頼みがある」

フレアの背後から再び問いかけられさすがに無視できなくなってくる。

そっと、まだ固まったままの侍女から手を抜きとるとできるだけ背後の人物と視線が合わないよう、うつむき加減に振り返る。

「――ご用でしょうか、オーランジュ様」

「破れた。直してくれ」

床に向けていたフレアの視線の先にぬっと突き出された布の固まり。思わず受け取ってしまうと

「夕方にまた来る」

そう言って布の持ち主であり、先ほどまでの話題の人物は踵を返して行ってしまった。

あとに残されたのは異なる理由で硬直したままの、王女付きの侍女が四人だけだった。



「どういうご関係か、伺ってもいいわよね?」

半分目が据わり気味な侍女―――濃い茶色の髪を持つリリーは先ほどフレアに掴みかからんばかりだった勢いもそのままに、彼女にじっとりとした視線を向けてくる。

「関係って言われても、別になにも…」

溜息交じりにつぶやきながら手元の布の固まりに針をチクチク刺していく。

先ほどオーランジュがフレアに押し付けていったのは今朝がたもう一人の侍女―――淡い金髪のネルが見かけたという近衛隊のマントだ。深紅のそれにぐるりと施されている金の紐で編まれた刺繍飾りが肩口のあたりから一方の裾まで見事に取れている。引っかけたと思われるそれはマントを破ることはしていなかったが、その縫わねばならない長さを見たときフレアはまたしても溜息をつきたくなった。

当然、彼女は他の侍女たちに問われるのを予想して自室で修復しようとしたのだが、一部始終を見ていた他の侍女、特にリリーとネルがそれを許すはずもなかった。

無理やり侍女たちの控室へ引っ張っていかれると奥のテーブル一卓を4人で陣取り、フレアが席を立てないよう一人が彼女の肩を押さえて椅子に座らせ、一人がお茶を人数分運んできて、一人が侍女たちが日常の簡単なほつれなどを直すのに棚に常備されている裁縫道具一式を運んできた。

諦めてその場でマントの補修を始めたフレアに、当然のように目の前の席に座りこみ問い詰める気満々のリリーが身を乗り出しながら聞いてきたのだ。


「何もないわけないでしょう!?お誕生日を知っていたことといい、こんな個人的なご用まで頼まれるなんて!ぜっっったいなにかある!!」

「ないわよ、本当に」

困ったような笑顔を浮かべながら、それでもフレアは手元から視線を離さない。夕方までにこの長い縫物を終わらせる、しかも自分が私的に使える時間なんてわずかなのだ。言いたいことは山のようにあったが、今は手元をおろそかにしている場合ではない。隣に座っているアデリーがフレアの針の進む方向に軽くマントと房飾りを引っ張ってくれているおかげでかなりやりやすい。しかし、昼の休憩時間にはたくさんの侍女たちがこの部屋を使うためこんなに大っぴらに作業することはできないだろう。まして、自分が深紅のマントを手にしているところなんてこれ以上多くの人に見られたくない。

――――絶対に後がコワイ

ともに仕事をしているリリーでさえこの剣幕なのだ。さほど面識のない、オーランジュの信奉者になど見られたら何をされるかわからない。

今まで心の中で舌を出していたり毒を吐きまくっていたことはあれど、表面的には穏やかに、慎ましやかに侍女の仕事をしてきたのだ。今さら女同士の悲惨ないじめの的にされるのはごめんである。

その思いだけがフレアの指先をひたすら突き動かす。おそらく当初は城のお針子たちが一針一針心を込めて縫いあげたのだろう紐飾りを、猛スピードで縫いつけていく。

その手元を隣で見ていたアデリーが、なおも追求しようとするリリーにそっと手をかざして止めた。

「リリー。聞きたいことがあるのはわかるけど、今は集中させてあげたら?」

「アデリーは気にならないの!?私はフレアが吐くまで動かないわよっ?」

「気にならないわけじゃないけど…でもオーランジュ様が『夕方にまた来る』っておっしゃってたでしょう?それまでに仕上げるのはかなりキツイと思うのだけど?」

「そう、かもしれないけど……でも!」

「オーランジュ様にマントの端が引き攣れた物をお召しになってほしくないのなら。今はやめておきましょう?」

結局、なおも言い募ろうとするリリーをアデリーはとどめの一言で押さえた。

しぶしぶ椅子に座りなおしたリリーだが、まだ目はフレアに恨めしげに向けたままである。

「…後で絶対吐いてもらうから」

しかし、落ち付いてようやく周りに目が向くようになったのか、自分の隣に座るネルが一言もフレアに対して文句も言わなかったのに気がついた。リリーが隣に目を向けると、ネルはそれにもお構いなしにじっと一点を見つめている。

「ネル?どうしたの?」

肩に手を置かれてハッとしたネルは、それでも視線を外さないままリリーに指差した。フレアの手元を。

「…すっごい、早いの」

ネルの視線の先では一瞬も休むことなくフレアの指先が動いている。紐の刺繍飾りをマントに縫いつけるためには紐飾りに糸を一回一回くぐらせていかねばならず、かなり手間がかかる。それも一定の法則で編まれた紐飾りを同じ様にマントからはみ出させなければならない。城のお針子でも熟練した者だけが仕上げともいえるこの作業を担当できると聞く。しかし、フレアはそんな精巧な技術を物ともせずいっそザクザクした勢いで縫っていく。それでも紐が曲がることも、布が攣ることもない細かくてきれいな縫い目。

「…本当だ」

これにはリリーも驚いたようで、その後は黙ってお茶を飲みフレアの作業を見守ることにした。

しかし、たかだか20分程度の休憩で成人男性の身長はあろうかというマントの端を縫い終わるわけもなく、「そろそろ行かないと」と遠慮がちに掛けてきたアデリーの声にようやく手を止めて息をついた。

「やっぱり終わらないわね~」

フレアは右手をぶらぶらさせながら冷めてしまったお茶を一気に飲み干す。

「でも半分は行ったんじゃない?フレアならお昼の休憩時間でなんとかなりそうだけど」

マントを畳むのを手伝いながらアデリーが言うのに、フレアは確かにと頷く。

手にだけ集中していたため、どのくらい縫い進んだのかを考えていなかったが、これならアデリーの言うとおりお昼中ににどうにかできそうだ。

「そうね、大丈夫だと思う。アデリーもありがとう。助かったわ」

この日フレアはようやく心の底からの笑顔で答えた。


 その日の昼過ぎ。フレアは城の裏手にある脇道とも呼べるような影を走っていた。

――――あんの、馬鹿ぼっちゃんが!!

決して口から出すことはないが今のフレアの真実の声である。

昼前の休憩後、結局修復が終わらなかったオーランジュのマントは人目に付かない方がいい、というアデリーの忠告によりフレアの自室に置いてきてあった。一度部屋へ戻るため休憩の後リリーたちとは別に王女の元へ戻れるのも、追求を逃れたいフレアにはうってつけだった。このまま昼の勤めを果たし、休憩中にマントは完成するはずだったのだが、フレアにはその後予想外のことが起こってしまったのだ。



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