第10話
「やっぱりお前の仕業か」
翌日。近衛隊の鍛錬場横をたまたま歩いていたフレアは、オーランジュに脇道に引っ張り込まれた。
昨日の夕食会でユーリックの背後に控え、一家の会話一部始終を見ていた彼は、サーシャマリーについてフレアに聞くためタイミングを見計らっていたらしい。
最初は驚いていたフレアも、オーランジュの話の内容を聞いてあっさりと白状する。
「姫様があんまりにも考え込んでいらっしゃったから。でも、結果オーライでしょ?」
「…あんまり肩入れしすぎるなよ?」
「なんで?お仕えする主人の憂いを少しでも晴らしたいと思っただけじゃない」
それがなぜそんなことを言われるのか理解できない、といった風に顔をしかめるフレアに、オーランジュは呆れたようなそぶりさえ見せる。
「…あと何年働く気だ、お前は」
「う~ん、殿下がご結婚なさるまで?」
ユーリックの結婚時に憂うかもしれないサーシャマリーの相談に乗る、ということは必然的にその時まではサーシャマリーに仕えていなければならない。昨日の国王一家の様子だとあと数年は掛りそうだ。傍らでその会話を聞いていたオーランジュはその先の長さに顔を顰める。
「…嫁き遅れるぞ」
「しっつれいね!!私が結婚できないとでも言いたいわけ!?」
オーランジュの言葉を曲げて捉えたらしいフレアは声を荒げる。
そうじゃなくて、と言うオーランジュの声も耳に届かない。
そもそも伯爵家の出であるフレアは本来侍女となる必要などなかったのだ。しかし彼女は、生来の行動的な性格によって家の中でおとなしくしお茶をしている、などという貴族のご令嬢の生活が我慢ならなかった。社交界にも一応デビューしたものの、貴族社会にありがちな表面的なお世辞のし合い、腹の探り合いに一度でうんざりした。父親の顔を立てるだけの数の夜会やパーティーに出席すると、その後はどんな誘いにも首を縦に振らなかった。
そんな彼女がある日父親に『働きたい』と申し出る。放っておいたらすぐにでも街で売り子でも始めそうな娘に、頭を悩ませた父親は『王城でなら』という苦肉の策を提案したのだ。伯爵の地位を持ち、城内でも財務大臣の座に就く父の『せめて自分の目の届く範囲で…』という半ば泣き落としの提案に、フレアはしぶしぶ折れたのだ。結果、サーシャマリーという慕うことのできる主の下で働くことのできた彼女は、今の状況に大変満足していた。その仕事を辞めて家に帰るなど、今はとても考えられない。
だが、勤め始めて早3年。フレアもじきに二十歳になる。親の地位も盤石なだけに、それこそ実家には縁談が降って沸いているはずだ。だが、この調子だと自分のことよりもサーシャマリーを優先させて結婚のことなど本当に頭になさそうだ。
オーランジュは目の前で、自分はどうなんだ、とか、この二重人格とかぶつぶつ呟いているフレアの頭に手を乗せてぽんぽん、と宥めるように叩く。
「…まあ、ほどほどにしとけ」
「わかったわよ!あ、それよりもさ、昨日のアメってもうない?」
「アメ?なんだ、もう全部食ったのか?」
「ちがっ…わないけど!おいしかったから、もうないかな~、と思って」
完全に何かごまかした様子のフレアだったが、彼は溜息一つで問い詰めるのをやめた。
「…ちょっと待っとけ」
そう彼女に言うと、脇道から一人出ていく。残されたフレアは他の人に見つからないよう、茂みの脇にしゃがみこんだ。
「結婚、かあ…」
フレアだとてまったく考えてないわけではない。二十歳ともなれば周りの友達の祝い話などそこらじゅうに転がっている。結婚式に参列すれば羨ましいと思うことも度々ある。だが、実感が湧かないのだ。結婚して家庭に収まって大人しくしている自分に。その原因も、自分では理解しているつもりだった。
知らず、膝を抱え込んで蹲っていたフレアの耳に近づいてくる足音が聞こえた。
「フレア?」
自分を探している声がオーランジュの物だとわかり、茂みから立ち上がる。
「何してんだ?」
「…かくれんぼ?」
へこみそうだった気持ちをごまかすため、フレアはわざとおどけて答える。はあ?と呆れているオーランジュの手に目をやれば、またしても布の固まりを持っていた。
「…なに、それ?」
「縫っといてくれ。別に急がない」
そう言って彼女に押し付けられたのは、明らかに私服とわかるシャツが2枚。広げてみればボタンが取れかけている物と裾がほつれている物だった。
「急がないならお針子に出しなさいよ!」
「私服だから無理だろう?」
「じゃあ誰か他の人に頼めばいいじゃない。こんなのも縫えないの?」
「別にいいけど…アメはいらないんだな?」
「いるわよ!」
ずいっと手を出してくるフレアに、ニヤリと笑ってオーランジュはその手を掴む。
「じゃあ縫っとけ。これはご褒美だ」
手のひらに包まれたアメ玉を乗せて握らせる。その言葉にフレアは唇を尖らせる。
「…わかったわよ」
その様子を見てオーランジュは視線をちょっと遠くに走らせ、次の瞬間フレアの腕をグイッと自分の方へ引き寄せた。驚きに目を見張る彼女に視線を合わせ、軽く微笑むと耳元に顔を寄せてくる。
「フレア…」
「な、なにっ!?」
オーランジュの息が耳にかかる。そのくすぐったさとあんまりな体勢にフレアは頬が赤くなるのを感じる。身を捩ってもびくともしないオーランジュの体に内心悲鳴をあげていると、耳元でクスリと笑われる。
「…太るぞ」
「~~~~っ!!よ、余計なお世話よっ!!」
顔を真っ赤にして彼の胸を押すと簡単に離れた。預かった服を胸に抱きこみ、2、3歩後ずさって顔をあげれば、オーランジュはすでにフレアに背を向けて歩き出していた。
「こんのっ!セクハラオヤジっ!!」
叫ぶフレアに顔だけ振り返ると、オーランジュは笑いながら手を振って去って行く。
残されたフレアは声をあげながら走り回りたい気持ちを抑えるのに必死だった。
――――本当にどこがいいんだか、あんなヤツ!!!