表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/17

第13話「ガルダ市」

ガルダ市が見えてきたのは昼前だった。


丘の上から見下ろすと、石造りの建物が密集する街並みが広がっていた。ミレヴァとは規模が違う。城壁が街を囲み、大きな門が二つ見える。城壁の内側に市場らしき広場があり、人の往来が遠目にも分かった。


「人口五千か」ガレスが言った。「久しぶりに大きな町だな」


「冒険者ギルドがある」エルヴィンが地図を見ながら言った。「情報量が増えます。黒崎一行の動向も、ここなら詳しく分かるかもしれません」


蓮は丘の上から街を見下ろした。


大きな町は情報が集まる。しかし同時に、目立つ。黒崎の手の者がここにもいる可能性がある。


(慎重に動く)


「入る前に確認する」蓮は言った。「俺の名前は使わない。他のメンバーも本名は控えろ。ギルドの登録は別名で」


「別名?」リリアが言った。


「昨日の宿場で城の騎士に追われた。ここでも同じことが起きる可能性がある。用心するだけだ」


ガレスが頷いた。「分かった。俺はガードでいい。よく使う偽名だ」


エルヴィンは「エルでいいです」と言った。リリアは少し考えて「リアにします」と言った。


蓮は少し間を置いた。


「俺は……レンでいい。名字だけ変える。田中じゃなく、レン・クロスで登録する」


「クロス?」ガレスが笑った。「洒落てるな」


「深い意味はない」


四人は丘を下り始めた。


ガルダ市の門は東西に二つある。


東門から入ると、すぐに商業区が広がっていた。露店、商店、食堂、宿屋が密集している。人の声と荷馬車の音が交差して、辺境の村とは全く別の空気だった。


「まず宿を取る」蓮は言った。「目立たない場所で。大通りは避けろ」


ガレスが周囲を見回した。「あの路地の奥に宿屋の看板が見える。大通りから外れている」


四人は路地に入った。


「白狼亭」という名の宿屋だった。外観は地味だが、清潔感はある。蓮が交渉して一泊銅貨二枚の部屋を二部屋取った。


宿の主人は四人をちらりと見て「冒険者か」と聞いた。


「旅人だ」蓮は答えた。


主人はそれ以上聞かなかった。


荷物を部屋に置いてから、四人は手分けして動いた。


ガレスとエルヴィンは市場へ。食料の補充と地域の情報収集。


リリアは薬草店へ。薬草の在庫補充と、治癒魔法の素材購入。


蓮は一人でギルドへ向かった。


ガルダ市の冒険者ギルドは、大通りに面した二階建ての建物だった。ミレヴァのギルドとは比べものにならない規模だ。一階の広間だけで、ミレヴァのギルド全体より広い。掲示板が三面の壁を覆っている。


蓮は受付に向かった。


「登録したい」


受付の男が書類を出した。「名前、スキル、出身地を」


「レン・クロス。スキルは【魔眼 Lv3】。出身地は東部」


男が書き込む手を止めた。「……魔眼、Lv3ですか」


「そうだ」


男は少し間を置いてから書き込んだ。「登録完了です。ランクはFからのスタートになります」


「構わない」


蓮は登録証を受け取りながら、掲示板を見た。


依頼が大量に貼り出されている。魔獣討伐、護衛、荷物運搬、情報収集。金額も様々だ。


しかしそれより、蓮が見ていたのは別の掲示板だった。


情報掲示板。旅の情報、危険地域の報告、人物の目撃情報が貼り出されている板だ。


その中の一枚に、目が止まった。


小さな羊皮紙に走り書きがされていた。


「北東部の複数の村で食料と資源の強制徴収が起きている。勇者一行との関連が指摘されているが確認取れず。被害を受けた村人は王都への陳情を試みたが、勇者一行の護衛騎士により阻止された模様」


蓮はその内容を全部読んだ。


(王都への陳情を阻止した)


黒崎は情報の遮断まで始めている。村人が王都に訴えられないように、騎士を使って抑えている。それが事実なら、黒崎の計画はもっと大きな規模だ。


(王都を取るつもりだ)


確証はない。しかし辺境での物資収集、村人の陳情阻止、王の名を使った正当化。全部が一つの方向を向いている。


蓮は掲示板から離れた。


情報を持って宿に戻る必要がある。


しかし宿に向かう前に、蓮は広間の奥のテーブルで一人の男に気づいた。


五十代くらい。白髪交じりの短い髪、厚みのある肩、長剣を背負っている。目が鋭い。ただ座っているだけなのに、周囲の空気が違う。


(強い)


蓮の直感が告げた。


今まで感じたことのない種類の強さだ。ガレスとも、城の騎士たちとも違う。もっと深いところにある強さ。


男は蓮の視線に気づいたのか、顔を上げた。


目が合った。


男は何も言わなかった。ただ蓮を一度見て、また手元の杯に視線を戻した。


蓮も視線を切った。


(何者だ)


記憶に刻んだ。今は関係ない。しかし覚えた。


宿に戻ると、ガレスとエルヴィンがすでに戻っていた。


テーブルに食料と、エルヴィンが書き込んだ地図が広がっていた。


「市場で話を聞いた」ガレスが言った。「黒崎一行は四日前にこの街道を通ったらしい。王都方面に向かったと商人が言っていた」


「四日前か」蓮は言った。


「ここから王都まで早足で六日だ。今頃は王都の手前にいるかもしれない」


「王都に入る前に止めることはできないのか」エルヴィンが言った。


「今の俺たちには無理だ」蓮は言った。「力が足りない。それより情報を集める。黒崎が王都で何をしようとしているのか」


「王都への接触ルートを考えた方がいいかもしれません」エルヴィンは地図を見ながら言った。「ただし王都は城壁で囲まれています。冒険者ギルドの登録証があれば入れますが、黒崎の手の者に見つかるリスクが高い」


「時間をかける」蓮は言った。「ここで力をつけながら、情報を集める。急いで動いても死ぬだけだ」


ガレスが頷いた。


リリアが戻ってきたのはその直後だった。薬草の袋を両手に持っている。


「買い足せました」リリアは言った。「それと薬草店の店主から話を聞きました。この街に……剣の師匠がいるらしいです」


「剣の師匠?」ガレスが眉を上げた。


「元騎士団長だった人だそうです。今は引退して、この街で道場を開いているとか。腕は本物だと店主が言っていました」


蓮は少し間を置いた。


ギルドで見た男の顔が浮かんだ。


(あの男か)


翌朝、蓮は一人でギルドに向かった。


昨日と同じテーブルに、男が座っていた。今日も一人だ。


蓮は真っ直ぐ男のテーブルに近づいた。


男は蓮が近づいてくるのを見ていた。逃げもしなかった。表情も変えなかった。


「昨日から気になっていた」蓮は言った。「あなたは強い。俺に分かるのはそれだけだが、間違いない」


男はしばらく蓮を見た。


「随分と直接的だな」男は言った。声は低く、落ち着いていた。


「遠回しにする理由がない」


「俺に何の用だ」


「剣を教えてほしい」蓮は言った。「報酬は出せる。条件があるなら聞く」


男は蓮を頭から足まで見た。剣の位置、立ち方、目の動かし方。全部を見ているような目だった。


「左目に何かあるな」男は言った。


蓮は答えなかった。


「見え方が違う。左目だけ、少し色が違う」


「関係ない話だ」


「関係あるかどうかは俺が決める」男は杯を置いた。「お前の剣を見てやる。今すぐここで動いてみろ」


「ここで?」


「動き方を見るだけだ。剣は抜かなくていい。五歩歩け」


蓮は五歩歩いた。


男は黙って見ていた。


「もう一度。今度は急に止まれ」


蓮は歩いて、急に止まった。


「重心が後ろにある」男は言った。「踏み込む前に体が先に教えてしまっている。隙だ」


蓮は何も言わなかった。しかし頭に入れた。


「明日の朝、ギルドの裏の広場に来い。一時間だけ見てやる」


「名前を聞いていいか」


「ドラン」男は言った。「それだけだ」


翌朝、夜明けとともに広場に向かった。


ドランはすでにいた。長剣を地面に立てて、腕を組んで待っていた。


「昨日より早いな」ドランは言った。


「時間を守る」


「それはいい」ドランは剣を手に取った。「構えろ」


蓮は剣を抜いた。中古の片刃剣。先日市場で買ったものだ。


ドランは蓮の構えを見た。


「誰に習った」


「独学と、仲間の元騎士から少し」


「なるほど」ドランは少し間を置いた。「悪くはない。しかし根本的な問題がある」


「何だ」


「お前の剣は、全部反応だ」ドランは言った。「来たから避ける。来たから返す。全部、相手が先で俺が後だ」


「魔眼で先を読んでいる」


「それは分かっている」ドランは言った。「だから余計に問題だ。お前は目で先を読んで、体で後追いする。その二段階に、わずかな時間差がある。その時間差が、強い相手には命取りになる」


蓮は黙って聞いた。


「目と体を同時に動かせ。読んだ瞬間に体が動いている状態を作れ。それが本当の先読みだ」


「どうやって」


「体に覚えさせるしかない」ドランは剣を構えた。「かかってこい」


ドランとの稽古は、今まで経験したことのない質のものだった。


ガレスの訓練は実戦的で荒削りだった。ドランの稽古は違う。一つ一つの動きを分解して、問題を特定して、修正する。


「今の踏み込みをもう一度」


蓮が踏み込む。


「左足の角度が五度ずれている。それだけで体重の乗り方が変わる。もう一度」


十回繰り返した。


「今度は右肩が上がっている。力が入りすぎだ。剣は力で振るものじゃない。重さで振るものだ。もう一度」


二十回繰り返した。


蓮の額から汗が落ちた。これは体力の消耗ではない。集中力の消耗だ。全神経を一つの動きに集中させ続けることの消耗。


「止まれ」ドランが言った。


一時間が経っていた。


「明日も来るか」ドランは聞いた。


「来る」蓮は即答した。


ドランは短く頷いた。それだけだった。


その日の午後、ガレスとの訓練も続けた。


「ドランに習い始めたのか」ガレスが言った。「あの人は……相当だぞ。昔の話だが、王国剣術大会で三連覇した人だと市場で聞いた」


「知らなかった」


「知らずに話しかけたのか」


「強いと感じたから話しかけた。それだけだ」


ガレスは少し笑った。「まあ、お前らしい。ドランに習うなら、俺との訓練と内容が重複しないようにする。俺は実戦の動きを教える。ドランは基礎を教えてくれるだろう。両方を並行してやれ」


「ありがとう」


「それと」ガレスは少し真剣な顔になった。「左目の代償について、もっと詳しく教えてくれ。戦闘中に視覚喪失が起きたとき、俺はどう動けばいい」


蓮は少し間を置いた。


「左目が使えなくなったとき、俺は右側が弱くなる。視野の半分が狂う。そのとき俺の右側に回れ。カバーしてくれ」


「分かった」ガレスは頷いた。「サインを決めよう。右手を上げたら視覚喪失が来たという合図にしろ。俺が右側に動く」


「ありがとう」


ガレスは「礼はいい」と言って剣を構えた。「始めるぞ」


三日目の朝、ドランとの稽古で変化が起きた。


踏み込みの動作を何度も繰り返した後、ドランが「今度は俺が打つ。避けろ」と言った。


ドランが踏み込んだ。


蓮は左目を使わなかった。


体だけで反応した。


ドランの重心が前に移動する微かな感覚。足元の振動。肩の動き方。全部が一瞬で入ってきた。


蓮は左に動いた。


ドランの剣が空を切った。


一瞬の静寂があった。


「……今のは魔眼を使ったか」ドランが言った。


「使っていない」


ドランは少し間を置いた。「もう一度」


今度はドランが素早く踏み込んだ。昨日より速い。


蓮は体だけで反応した。


右に動いた。ドランの剣が左肩を掠めた。完全には避けられなかった。しかし当たらなかった。


「惜しい」ドランは言った。「しかし進んでいる」


「感覚が繋がり始めた気がする」蓮は言った。


「そうだ」ドランは剣を下げた。「目で読んで体で動く、ではなく、体全体で読んで動く。その感覚が少し出てきた。続けろ」


五日目の夜、エルヴィンが情報をまとめてきた。


「黒崎一行についてです」エルヴィンはテーブルに資料を広げた。「ギルドとの情報源から集めました」


四人が集まった。


「黒崎一行は三日前に王都に入ったとみられます。王都内での動向は不明ですが、複数の商人から情報があります。黒崎が王に謁見したという話が広まっています」


「王に謁見した」ガレスが言った。「それは……まずいな」


「はい」エルヴィンは続けた。「それだけじゃありません。黒崎が王都に入る前に通過した村の数は、判明しているだけで八つです。全ての村で食料と金品の徴収が行われています。そして……」


エルヴィンは少し間を置いた。


「王都の城門の外に、陳情のために集まった村人が十数人いたそうです。しかし城門の騎士に追い払われた。黒崎の護衛騎士が先回りして、門番に話をつけていたらしいです」


部屋が静かになった。


「つまり」蓮は言った。「黒崎は王都の内側も外側も、自分に都合のいいように動かし始めている」


「そうなります」


蓮は地図を見た。


王都まで、ここから四日の距離だ。


(黒崎が王に近づいた)


それが何を意味するのか、まだ全部は見えない。しかし黒崎が辺境での蓄積を使って、王国の中枢に食い込もうとしているのは確かだ。


(急ぐ必要があるか)


蓮は自問した。


しかし答えはすぐに出た。


(急いで死ぬのは意味がない)


今の力では、王都の中で黒崎と正面からぶつかれない。騎士団を相手にできない。もっと強くなる必要がある。


「ここに、あと一週間いる」蓮は言った。


「一週間?」ガレスが言った。


「ドランとの訓練を続ける。その間にエルヴィンはさらに情報を集めてくれ。王都の内部構造、黒崎の動きの詳細、協力できそうな人物の情報。全部だ」


エルヴィンは頷いた。「分かりました」


「リリアは」蓮は言った。「治癒魔法の練習を続けてくれ。戦闘が激しくなれば、回復の速度が命取りになる」


リリアは「はい」と言った。


ガレスは「俺は?」と言った。


「引き続き実戦訓練だ。ドランとの稽古と並行する」


「了解だ」ガレスは腕を組んだ。「一週間でどこまで変わるか、楽しみだな」


蓮は答えなかった。


しかし否定しなかった。


七日目の朝、ドランとの最後の稽古があった。


広場に出ると、ドランが長剣を持って待っていた。いつもと同じ場所、同じ姿勢。


「今日は本気で打ち合う」ドランは言った。「お前の今の実力を確認する」


「分かった」


「一つだけ聞く」ドランは蓮を見た。「何のために強くなっている」


蓮は少し間を置いた。


「超えなければならない人間がいる」


「倒すのか」


「超えるんだ。倒すのとは違う」


ドランは少し間を置いた。「その違いを分かっているなら、剣の使い方も分かっているはずだ。確認する」


ドランが構えた。


蓮も構えた。


打ち合いは十分続いた。


ドランは本気だった。蓮が今まで相手にしてきた誰より速く、誰より重かった。魔眼を使っても、体が追いつかない場面が何度もあった。


しかし蓮は止まらなかった。


左目を最初の一回だけ使った。三十秒分の情報を頭に入れた。その後は体の感覚だけで動いた。


七回打たれた。肩に、腕に、脇腹に。しかし致命的な一撃は受けなかった。


そして十分後、蓮は一度だけドランの剣を完全に受け流した。


ドランの体勢が崩れた瞬間、蓮は剣の平をドランの肩に当てた。


軽い接触だった。しかしドランは止まった。


「……そこまでだ」ドランは言った。


沈黙が続いた。


「一週間でここまで来るとは思わなかった」ドランは剣を下げながら言った。「センスではない。密度だ。一回一回の稽古の密度が違う。それだけで人間は変わる」


「まだ足りない」蓮は言った。


「分かっている。しかし方向は正しい」ドランは蓮を見た。「その人間を超えるとき、それは剣で超えるのか」


「剣だけじゃない。全部で超える」


ドランは少し間を置いた。


「王都に行くつもりか」


蓮は答えなかった。


ドランは「そうか」と言った。それ以上聞かなかった。


「一つだけ教える」ドランは続けた。「王都は剣だけでは何も変わらない。そこには政治がある。力だけで動く場所ではない。覚えておけ」


蓮は頷いた。


「ありがとう」


「礼はいい」ドランは背を向けた。「生きて戻ってこい。それだけだ」


ガルダ市を出たのは八日目の朝だった。


四人が門を出るとき、蓮は一度だけ街を振り返った。


八日間。ドランとの稽古、ガレスとの実戦訓練、エルヴィンの情報収集、リリアの治癒練習。全部が詰まった八日間だった。


(変わった)


一週間前の自分と今の自分では、剣の使い方が違う。目と体の時間差が縮まった。魔眼一回分の情報を体だけで使い切る精度が上がった。


まだ足りない。黒崎には遠く及ばない。


しかし確実に近づいている。


「行くぞ」ガレスが言った。


「ああ」蓮は前を向いた。


(ドランの言葉を覚えている。王都は剣だけでは変わらない。政治がある)


黒崎は政治を使って動いている。なら蓮も、剣以外のものを持つ必要がある。


それが何なのか、まだ分からない。


しかし探しながら進む。それしかない。


四人は王都方面へ向かう街道を歩き始めた。


蓮の左目が、朝の光の中で静かに熱を帯びていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ