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1 自己紹介、そしていろいろと始まる

 そのとき、私は学院の回廊を思い切り走っていた。他の生徒はもう集合場所に行ってしまっていると思って全速力で走っていたのだが、回廊のまがりかどで出会い頭に誰かとぶつかり、私は、はねとばされるような形で尻餅をついた。

 相手は浅葱色の制服を着た男子生徒だった。胸には銀色のバッジ。

 まずい、と私は咄嗟に思った。浅葱色の制服は、魔法科。つまりは貴族ということだ。

 今住んでいる国には貴族制度があり、貴族相手にまずい立ち回りをすると、平民は生命の危険を心配しないといけない。前の人生ではそういうものが薄い国に住んでいたし、この世界で生まれ育った場所もそういうのがあまりない場所だったので、王都に出てきてそういうものによく接するようになった後もなかなかなじめずにいた。

 なので、私はなるべく貴族に近寄らないように気をつけていた。貴族は平民とは人間の種類が違うのだといって、こちらを人間扱いしないものだと耳にたこができるほどきいたから。

 学院の中では貴族と平民の別はないということに建前上はなっているけど、銀色のバッジは相手が2年生であることを意味し、つまりは上級生で、ダブルでまずい相手にぶつかってしまい、入学三日目にしてもうこれは詰んだかもしれない。 

 私が魔素術トップの成績で入学しようが、この人には全く関係ないのだから。

「あのっ、すみません」

 即座に立ち上がると、腰を直角に曲げ、頭を下げる。すると、向こうが言った。

「ごめん、こちらも気をつければ良かった。大丈夫?」

 私はゆっくりと頭を上げた。銀髪で、超絶綺麗な顔立ちをしている男子がそこにいた。

 彼は穏やかに笑みを浮かべながら言った。

「ごめん、本当に」

「すみません、こちらこそ。あの、私、急いでるんで」

 すぐに立ち去ろうとしたが、もう一人別の声がした。

「落ちてるよ、そこ」

 もう一人、これまたモテそうな男子が、さっきの男子の少し後ろにいた。こっちは明るい茶色の髪をしていて、陽気そうな雰囲気をしていた。その彼が指さす先を見ると、キュロットのポケットに入れていたキーホルダーが床に落ちていた。キーホルダーは学院の門を通るために使うため、入学時に生徒全員に配られたものである。

 私にぶつかった方の男子が、私がキーホルダーを拾い上げようとする前にそれをつまみあげて私に渡してきた。

「落ちた衝撃で割れたかな」

 キーホルダーにはごく小さな鏡がついているのだが、それが割れていた。私にはかなりのショックだった。三日前にもらったばかりなのに。

 ショックで言葉も出ない私をよそに、先輩たちは会話を交わしている。

「これって、職員室に言ったら新しいのに交換してもらえるのな」

「してもらえるかもしれないが、ペナルティがあるかもな」

 そうかもしれない。入学式の後にこれは配られたのだが、確かに先生はくれぐれも大事に扱うように、と言っていた。なくさないようにしないと、と思って、いつも確認できるようキュロットのポケットに入れていたのだけど、それが仇になってしまうとは。

「とりあえず、急いだら。新入生のオリエンテーリング、出発時間はもうすぐだろう」

 銀髪の彼に言われ、私はもう一度軽く頭を下げて、走り出した。本当は廊下を走ってはいけない。わかってる。でも、走らないと。



 秋。紅葉が美しいキャンパスで高等学院の入学式があったのは三日前。

 新緑美しい季節に新学年が始まる国で暮らしていた記憶がある身としては、秋の入学は慣れないなあと思う。

 そう、私には、今の人生とは違う人生を生きた記憶がある。多分、それは私の前世なのだと思う。想像力だけで作り上げたとは思えないほどディテールが細かくて、あれもまた現実だったのだと思うよりほかない。

 私は前世、日本という国でそれなりの年齢まで生きて、働いて、死んだ。

 私が前世の記憶を抱えていることに気付いたのは、物心ついた頃だった。他の子たちと私は違うなあ、と思ったときに、自分の中にもう一つ別な人間の記憶があることに気がつき、ああそれで、と納得した。当時、他の子たちが間抜けに失敗してる傍で私はいろいろこなせていた。それはつまり、一度経験していたので、いろいろミスしないで済んでいたのだろう。

 とはいえ、何の苦労もないというわけではない。今生きているの世界は、前世で暮らしていたのとは別な世界。いろんなことが違う。違う人生なんだから家族だって違うし。

 誤解してほしくないんだけど、今の両親に問題があるわけじゃない。少なくとも毒親じゃない。前世で一度大人をやっていろいろ世間を見た身から見てそう思える。ちょっとお人好しかなあとは思うけど。

 前の人生と全然違うのは、今生きている世界には魔法とか魔物とか、前生きていた世界では空想の産物と言われていたものが実在していること。

 そして、貴族は魔法を、平民は魔素術を使うことができるということ。

 平民である私も、魔素術を使えた。そしてそのことを知ったとき、私は思ったのだ。

 今度の人生では、前の世界には存在しなかった魔素術を極めよう、と。

 幸い私は、魔素術に才能があった。また、環境も良かった。小さい頃に住んでいた場所は魔素術の腕を磨くのにうってつけの場所だったから。そこを出た後も、父の仕事を手伝ったり親戚のおばあちゃんについて習ったりしながら、魔素術のレベルを着々と上げることができた。

 結果、王都にある高等学院に魔素術はトップの成績で入学できた。これで更に三年間、魔素術の勉強をすることができる。

 そんな感じで、私はこの世界に転生した後は、概ね思うがままに生きてきた。まあ、嫌な目とか理不尽な目にあったことはあるけれど、まあ概ねはうまくやっていたと思う。

 前世と違って友だちにも恵まれたし。



 集合場所は、回廊を抜けた先の噴水の周りだった。噴水の手前に私が所属する魔素術科の臙脂色の制服が固まっている。噴水の向こうに、浅葱色の制服の一群がいる。さっきの先輩のことを思い出し、私は胃がうっすら痛くなっていた。頼むから、私のことは忘れてくれますように。

「あーっ、シホちゃん、待ってたよ!」

 手を挙げながら声を上げているのは、同じ中等学校から上がってきたマリちゃんだ。ふわふわの橙色の髪が、日の光を受けてきらきら光っている。本当、今回の人生、ものすごく恵まれてると、マリちゃんと話すたびに思うんだよね。

 マリちゃんは少し気遣わしげに、

「もう、本当に心配したんだよ。シホちゃん、いつも時間を守っているのに、来ないから」

「うん。本当、心配かけてごめん。ちょっとやっておきたいことがあったからさ」

 そんな風に話をしていると、

「お前らって、同じ学校から上がってきたのか?」

 と、傍にいたクラスメートの男子が話に入ってきた。ゼンタという、少しばかり肩幅が広すぎる男子だ。肩幅以外は普通なので、プロポーションが少しアンバランスなことになっている。

「うん。北北森から来たの」

「うええ、そんなとこから?」

 北北森は一応王都の城壁の中にはあるが辺縁で、城壁の外にある副都心の方が王城には近いと言われるほどの場所にある。

「もしかして、寮生?」

「私はね。北北森でも城壁の傍だから、通うのは大変だろうって」

 高等学院は国に十校しかない。高等学院がない地域出身の子たちのために学院には寮があるのだ。そして私は、今言ったような理由で寮に入っている。魔素術で移動すれば簡単に通えるけれど、町中でそんなことをするなと周りの反対に遭い、あきらめたのだった。

 ゼンタはマリちゃんに訊く。

「お前は?」

「私は近くに親戚の家があるから、そこから通っているの」

「あー、そっかー。そうでもなきゃ難しいよなあ。おっ、向こうが動き出したぞ」

 ゼンタが、噴水の向こうにいた魔法科の子たちを見ながら言った。教師が数人集まって各々杖を掲げ、そしてその間に光が集まる。魔法科の生徒たちはその光の中に歩を進め、そして次々とその姿が消えた。

「あれって、転移陣?」

 初めて見た。存在ばかりは有名なのだけど、如何せん魔法使いの中でも使える人が少ないらしくて、平民が市井で普通に生活していたのでは見る機会はまずない。

「そうみたいだな。いいよな、お貴族様は。オリエンテーリングの場所までああやって送ってもらえてよ」

「仕方ないでしょ、魔法科はオリエンテーリングの場所が遠いんだから」

 マリちゃんが言う。魔法科のオリエンテーリングは王都の城壁から見ても霞んで見えるようなテッサ山脈を越えた先にある森で行われるときいている。歩いて行くと数日かかる距離だ。

「そうだけどさ。俺らだってそんなに近いわけじゃないじゃん」

 魔素術科のオリエンテーリングの場所は王都の近くの森。魔法科と比べると遙かに近いけど、王都自体が広く、そこを出るまでにも時間がかかる。私たちの移動には、馬車が使われることになっている。

「おい、おしゃべりはそろそろよせ。魔法科が出発したら、次は俺たちだぞ」

 同じ班のクロウが話しかけてきた。彼は入学前の説明会のときから目立っていて、魔素術科の一年では既に有名人だった。何で目立っていたのかというと、一言で言うと「見た目」。黒い髪にきりりとした眉、身長もありながらガタイもそれなりによく、男前、という感じだ。

 私はオリエンテーリングで彼と同じ班になるとわかった瞬間に、リーダーは彼に任せよう、と決めた。旗印として皆が納得すると思ったからだ。

 クロウをリーダーにすることに反対したのは、というか賛成しなかったのは、クロウ本人とマリちゃん。マリちゃんが反対したのは意外だったけど、最終的には賛成してくれた。

 クロウ自身はリーダーに選ばれたとき渋面を作っていたけど、もともと面倒見がいい性格だったらしく、いろいろてきぱきと動いてくれている。今も皆に声かけをしていて、私は有り難くそれに従った。

 そうしている間に、浅葱色の制服の子たちは全員がいなくなった。移転完了というわけだ。

 そして、私たちが移動する番がきた。

 そのとき、足元の石畳が一瞬だけふっと遠くなった気がした。気のせいだ。多分、疲れているだけ。

 本日3話連続投稿の一話目。

 この話の前半に出てきた顔の綺麗な先輩たちは17話に再登場します。

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