輪郭
ひとりの静かな時間が好きだった。
本を読むこと、絵を描くこと、風の音を聞くこと。
それらを大切にしているだけだったのに、ある日、言われた。
「もっと社交的になりなよ。そんなのじゃやっていけないよ」
「空気、読んでる?」
「真面目すぎて息が詰まるよね」
言葉は刃ではなかったけれど、
何度も何度も触れられるうちに、心がじわじわと削られていった。
それでも笑ってみせた。
自分の輪郭があいまいになっていくのを、どこかで許していた。
だけど、ある日。
帰り道、公園のベンチに座って空を見上げたとき、不意に涙がこぼれた。
「……なんで私は、私じゃなくなろうとしてたんだろう」
その瞬間、胸の奥で何かがはっきりとした。
それは「怒り」ではなく、「自分への戻りたい気持ち」だった。
──私は、笑い方を変えなくていい。
──声が小さくたっていい。
──誰かにうまく伝えられなくても、思っていることは確かにある。
社会が求める「正しさ」に合わせて、自分の輪郭を削るのではなく、
自分の中にある**“こう在りたい”**という声を抱きしめて、少しずつ外に示せばいい。
翌日、彼女はいつものカフェに行って、初めて店員にこう言った。
「今日は、いつもより静かな席がいいです」
それは小さなこと。だけど、確かな自分の声だった。
「わかりました」と、店員はやさしく笑った。
その笑顔が、世界と自分がもう一度つながり直したように思えて、彼女も少しだけ微笑んだ。