57話《選択する余地》
「やっぱ、威力はマダーウェには及ばないかぁ」
フレットは左頬を掻きながら、塀から降り立って目を開く。
「それでも威力はぼくの覚えてる中でも上位なんだからやばいよね。ここまで扱えるようになるまでどれだけ頑張ったかなんて、考えたくもないくらいには大変だったけどね」
そして陽の光が眩しいのか、おでこに手をかざして直射日光を防いだ。
……そう。今、目を開いたのだ。
ここまでのフレットの行動は全て、目を閉じた状態でのものだった。
なにも見えていないのに怯えなく走り、塀との距離も把握。塀に触れてから登るのではなく、数歩分前からジャンプして足を付け、手を掛けて限られた足場にふらつくことなく着地。
更にその上で、ロアの位置を誤ることなく正確に狙う攻撃をしていた。
「あー……これ、疲れるんだよね。頭に血が昇るっていうか、やり過ぎると痛いしボーっとしちゃうんだよね」
「そうか……」
「ん?」
少しずつ煙が風に流され引いていくと、そこにはあの猛攻を受けたにも関わらず、未だに立ち続けるロアの姿があった。
「ロア君!」
思わず歓喜の声を上げるライア。そしてフレットは驚きつつも想定内であったのか、残念がる様子が見て取れた。
「まだ喋れるくらいには元気が残ってるの?」
「そう見えるか?」
「全然見えないね。だから驚いてんだけど……ま、力の差は明確かな?」
「ぁ……ロア……く、ん……」
やがてはっきりと見えるようになり、ライアとフレットの視界に映るロアの姿は、直視できないほど酷いものだった。
全身のあちこちが黒く焦げて煙が立ち昇っていた。
左指は小指以外が無い。それだけで痛々しいというのに、右腕は肘から先が無くなっていた。
もう戦える状態ではない。
「ぼくも満足したし、もう大人しく降参してくれると嬉しいんだけ……ど?」
フレットは気付く。
ロアの意変に。
「はぁ……」
左目は空洞となり、少し下をみれば頬はヒビ割れていた。
そのひび割れは、皮膚が焼けてガサガサになってヒビ割れているわけはない。まるで焼いた陶器にできたヒビ割れのようだった。
そしてそれは頬だけではない。欠損していない部位の大半にヒビ割れができていた。
その割れたところから血が流れ出ることは無い。欠損した断面から血肉が覗くことも無い。
生物の在り方から遠くかけ離れている姿だった。
「……ロアってそういうものなの?それともその体って身代わり?」
「こんな思い通りに動かせる身代わりの体なんて無いだろ」
「あるから疑ってるんだけどねー。ま、だから判断方法も知ってるんだけど。【偽開・ジャッジメント】……ほんとに身代わりじゃないじゃん」
ロアが体を動かす度に、風化したようにポロポロと欠け落ちていく。
「なら、なおさら期待外れっていうか、こんな弱いとは思ってなかったよ」
「……最近、晴れ続きだったからな」
「……?なにその言い訳」
「でも、そろそろ降るらしい」
「……なにが言いたいの?時間稼ぎしたいだけ?」
「……今夜は冷える」
「だからなに、を……?」
いつの間にか、木陰の境目がわからなくなっていた。
ロアの影も薄っすらと曖昧なものになっていた。
視界の全てが一段階薄暗く変化していた。
「お前はちょっとやり過ぎたみたいだ」
木々にありふれている葉から乾いた音が聞こえた。
初めは間隔を空けて鳴っていたそれは、段々とその間隔を狭め音も大きくなっていく。
数が増え、フレットたちにも当たり始めた。
乾いた音は木々を潤し、大地を湿らせていく。
頭や肩を濡らされ、体温を少しずつ奪われていく。
「お前は運がよかった。それだけ。それだけでしかないのさ」
「そんなボロボロなのになに言っちゃってんの?」
「……この程度、どうってことない」
ひび割れていた頬が、隙間を埋めるように閉じていく。
フレットの一撃で千切れ飛んだ右腕も、その先端を左腕で塞いで伸ばすようにその手を引くだけで、服ごと元に戻っていく。左手の指もいつしか元に戻っていた。
そして、フレットの意識がそれらに注目していた間に、ロアの全身のどこにも怪我らしきものは無くなりひび割れも欠損も消えていた。
「えー、冗談じゃないって。こんな化け物と戦わされてたの?」
「酷いことを言うじゃないか」
「結構全力の攻撃だったのに……全部意味なかったってことかぁ」
「全力にしては余力ありそうじゃないか」
「違う違う。それとこれとは訳が違うよ。全力で料理するからって死ぬほど頑張る?息切れしたり怪我してまで頑張る?全力で料理するなら丁寧さとか正確さを大切にするでしょ?そういう話だよ。多分レイジならロアの思う全力で戦うと思うよ」
「そうか」
「でもさー、こんな無茶な任務だとは思ってなかったよ。もう止めた。ロアは諦めるよ」
「……」
「だから、代わりにライアを殺らせてもらうね!」
「お前……」
「まずはこれをね。【偽開・炎煌】」
それは、フレットの周囲を取り囲む極炎。
片っ端から雨粒を蒸発させ、色濃くなり始めていた地面も瞬きの間に乾いていく。
しかしフレット自身にはなにも影響がないらしく、慌てふためくこともなくピンピンとしていた。
「この雨のおかげでわかったよ。さっきは効いてなかったんじゃなくて火力が足りてなかったんだね」
「……」
「原理はわからないけど、雨で回復するからその逆に炎には弱いってことなのかな?」
「……付き合うつもりはない」
「つれないこと言わないでよー。【偽開・光眩】」
フレットの前に小さな光が生まれ、空高く上がった。
それは一瞬空が晴れたと錯覚するほどの光を放った。だがそれだけで、ロアにもライアにも眩しいということ以外の影響はない。
「もう少し長く遊びたかったんだけど、ぼくはまだ死ぬ気はないからね。時間制限を作らせてもらったよ」
「あれは発動まで時間がかかるのか」
「いーや。あれはただ光を出すだけのものだよ」
「……」
「信じるも信じないもロア次第だけど、あれを気にしながら戦うのは大変じゃない?ちなみにぼくはもう待ってるだけだから、ロアに戦う気が無いならもう休戦にしたいんだけど、どうかな?」
「休戦?ライアを殺るって言ったばかりなのにか?」
「数分待つだけでいいから……」
あれほど好き勝手した癖に、休戦にしたいとロアに提案をするフレット。余裕のある表情が変わることは無いが、その瞳からはどこか緊張感が感じられた。
それはロアに対する恐怖心。未知に対する不安感。
「……どこまで流れてるかは知らないが、お前を逃がしたら後々面倒なことになりそうだ」
「つまりー?」
「可能な限り殺しはしないさ。でも、逃がしはしない」
二人の立場が反転する。
フレットは獲物となり、ロアが狩人に。
「誰かしらに拷問とかさせて、お前には洗いざらいなにもかも吐いてもらう」
「……まじ?」
「正直、お前を相手するのは面倒だ」
「なら止めない?」
「だが、面倒事を増やすつもりはない」
「もーわかったよー。ぼくもこのまま逃げ出したところで結局殺されるかもだし、ちょっとくらいは頑張るかぁ……【モールディング】」
左手の薬指と中指の指輪が消え、代わりにフレットの右手に握られたのは先ほどよりも刃幅の狭い長剣。そして、左手には柄が長く先端に鋭利な刃が付く、槍が握られていた。
「リーチが長くて振りやすい武器じゃないと怖いからね」
「……」
「ぼくは時間まで逃げ切ればいいだけ。でもロアはぼくを捕えたい。それに、自分の身を守らないといけない。ライアも守らなくちゃいけない。どっちが有利な状況なのかは明らかだよね」
「場面だけを見ればな」
「……実力はロアの方が上だって言いたいのかな?認めたくないけど、確かにその通りかもって思っちゃってるよ。でも、子供と大人がただの殴り合いをすれば勝つのは大人だけど、その勝負が専門的な知力勝負だったら?普通に生きてたら知る由もない知識。でも子供は偶然にもその道に詳しかった。その場合、どちらが勝つかなんて目に見えてるでしょ?」
堂々と長剣を携え、槍を指先で器用に振り回し操る。
「全部、全部、どんな状況でもやり方さえ変えればまだ逆転できる。ぼくはこんなところで終わってしまうほど小さな存在じゃない……」
極炎が刃先に纏わりつき、振り回される槍の先から広がる熱量が、強まりつつある雨をものともせず周囲の気温を上げていく。
「ライアを守り切ってみせなよ」
「……言われなくとも」
「って言っても、今ライアを狙ったところでロアに防がれるだけだから、まずはもうロアの足を潰させてもらうね。焼き尽くせば砕けるでしょ?」
構えるフレットに対し、ロアも半歩身を引き備え──
「……なーんてね!【偽開・チェンジアップ】」
フレットは、今までの緊張感ある様子が全て嘘だったかに思えるからかい顔に合わせ、あっさりと槍を手放して道化のように滑稽なポーズを取った。
それと同時に、大きく振りかぶらずに手首の動きだけで投げられた長剣が、ロアの額目掛けて高速で飛んできていた。
槍から意識を引き戻し、間一髪で回避。
追撃に注意しつつ、防戦一方にするつもりはないためロアも攻撃に移ろうとし──
「あああああ──ッ!」
「──ッ!?」
背後からライアの悲鳴が聞こえた。
驚きのあまり、無防備を晒すことも構わず振り向いてしまう。
「なッ……!」
倒れるライアの足から多量の血が流れていた。
小さな穴がいくつもできていて、それらは貫通した穴となっていた。とても酷い怪我だった。
このまま放置すれば出血多量で死ぬだろう。
「クハハ!駄目だよロア!注意不足過ぎるよ!」
あの者の名前が出てきましたね。もちろん意味は含まれていますよ。彼にとっては不服な意味ですが……




