城ヶ崎は今日も海岸に打ちあげられている
ミクラ レイコ様主催「#打倒ミケ猫杯」(正式名称:ミケ猫さんを超えてゆけ杯)に参加した作品に少々加筆したものです。
ザ……ザザーン……。
ああ、今日もだ。
今日も波の音をBGMに、鼻先をくすぐる潮の香りと共に、髪を逆さに乱すほどの強い風を浴びながら。海を望む坂を下る俺の前にはあの光景が繰り広げられていた。
海岸に城ヶ崎寧子が打ちあげられている。
俺はため息を吐いて急カーブの坂をゆっくりと下りきる。いつもの事だがあいつはこの坂を駆け下り、カーブを曲がりきれなくてガードレールを越え、眼前の海に落ちたのだろう。ざんぶと海に飛び込み、そこからプカプカと流されて海岸に打ち上げられた様子までが想像できる。まったく……ドジなんて言葉で片付けられるレベルの話じゃないが、これが城ヶ崎なのだ。
歩道の脇から浜辺へと続く階段を降りる。流石に見捨てるわけにはいかない。この道を通って中学に通う人は他にいないから。
奴は仰向けのままピクリともしなかった。中学の紺ジャージは水を吸って一段黒く色が落ちている。そこに朝の太陽が鋭く光を差して化学繊維を鈍い色に照らした。その様は。
「まるでトドだな」
「なんだとっ!」
それまで打ち寄せる波にも反応せず、土左衛門に擬態していた城ケ崎は目を開け、がばりと身を起こした。
「JCにソレは失礼だよ三池!」
「普通のJCはこんな真似しねえよ」
「仕方ないじゃん。カーブを曲がれなかったんだもん!」
「開き直るな。行くぞ」
俺達は近くの御倉さんの家に向かう。城ヶ崎がやらかすといつもここでホースと水道を借りている。御倉さんは「寧子ちゃんまたぁ?」とケラケラ笑った。人口の少ない田舎の島ならではで、親戚でなくても皆気心が知れているらしく細かい事は気にしない。
蛇口を捻り、彼女の頭にホースの水をぶっかける。
「冷たっ!……あ~でも気持ちいい」
城ケ崎はふにゃりと頬を緩める。彼女に纏わり付いていた砂と塩水が身体を伝い、地面の側溝に流れ落ちていく。一緒に「なんで俺がこんな事を」という気持ちも流れていった。
俺は中1の春、東京から祖父母の住むこの島に引っ越してきた。
きっかけは中学受験だ。母親は俺を有名私立の所謂「御三家」に入れたがり、俺自身もそれは可能だと信じていた。何故なら小3の頃から寝る間を惜しんで勉強し、塾でも一二を争う成績だったから。
なのにあの呪わしき二月一日の朝。突然俺の身体は異常をきたした。ベッドから起きようとすると大きな石を押し付けられたような頭痛に襲われ体が震える。しかしまた横になるとなんの痛みもない。
頭痛薬を飲み試験は受けたが、そんなんで受かるほど御三家は甘くない。
「なんでよ!! 私が今までどれだけ苦労したと思って……!!」
錯乱し、手当たり次第に物を投げる母親から逃げるため、俺はトイレに閉じ籠った。涙と吐瀉物が便器に落ちて、奥に小さな波紋を作っていく。
結局、二月二日も体調は戻らず病院に行った。
「恐らく自律神経の乱れですね。勉強の為に睡眠時間を削りませんでしたか?」
そう医者に言われた時の絶望感が、何故か不合格だと知った時よりも大きかった。きっと俺の4年間は無駄だったんだと言われた気がしたからだろう。
父さんに「暫くじいちゃん達と暮らしてみないか」と言われた時も凄く悲しかった。御三家に入れなかった俺はもう要らない子なんだと思って。でもきっと有名私立に行くんだと周りに思われていたのに、今更地元の公立中には恥ずかしくて通えない。それに何より。もう、母親と一緒に暮らすのは辛すぎた。
のどかな島の小さな中学校の生徒数は全学年で僅か21人。もっと小さな離島から通ってきている生徒も含めてこの数だそうだ。数年後には廃校になるかも、なんて噂がある。
そんな中学校でも県下の学力調査一斉テストは実施される。中学に入ってすぐの事だ。無気力で休みがちだった俺は、それでもテストとなれば一応真摯に向き合った。
俺は「こんな場所なら学年一位を取って当たり前だ。父さんは俺に自信を付けさせたいのか」なんて考えた。けれどそれは驕りだったのだ。
城ヶ崎寧子は俺の上を行き、県内5位の成績を修めた。わかるか? 県一の進学校の奴らも参加する中で、小さな公立中の生徒が5位というのは驚異的だ。こいつは島始まって以来の神童だった。
そして天は二物を与えない。城ヶ崎は何もないところで転び、歩けば柱にぶつかり、上を向けばそのまま後ろへひっくり返る奴だった。
「あ、危ない!!」
「あっ……えへへ、ありがと」
「バカ、頭を打ったらどうするんだよ! 気を付けろ!!」
そんな会話が俺達の間でしょっちゅう交わされる。だってあの天才的な頭脳がいつ物理的に潰れるかと思うと、ヒヤヒヤして目が離せないんだよ。
いつの間にか俺は常に城ヶ崎の側にいて、あいつのフォロー役になってしまった。休みがちだったはずの学校は6月以降は皆勤賞だと、後から気がついた。
今日も数学の小テスト返却時に奴のドジは披露される。当然俺は満点だ。
「城ヶ崎は?」
愚問だと思いつつ訊いてみると隣からしょんぼりとした声が返ってくる。
「……5点」
「は!? なんで!」
奴から答案用紙を引ったくり、一目見て腰が砕けた。最初の問題以外は全部解答欄をズレて書いてやがる!!
「いつも言ってるだろ! ケアレスミスを無くせって」
口に出してハッとした。いつの間にか母親と同じ事を言っている自分が酷く嫌になる。だが彼女はそんな俺の気持ちも露知らず、ふにゃりと笑う。
「へへへ。これじゃ三池と同じ高校に行けないね」
「……当たり前だ。受験の時はちゃんとしろよ」
「うん!」
俺は受験出来るのだろうか。またあの頭痛に襲われないか、考えただけで手が震える。
でも何故か超絶ドジでマイペースな城ヶ崎を見ていると、根拠の無い「大丈夫」という気持ちが胸に広がるのだった。