第167話 困惑する事態
俺は真っ白な世界で目を覚ます。
目の前には髪色こそ違うが、俺とよく似た女性が立っていた。よく見ると、腕に何かを抱えている。
「ありがとう、私の力を受け継ぎし者よ」
目の前の女性が俺に声を掛けてきた。
「……あんたは、誰だ?」
俺が問い掛けると、女性はにこりと微笑んで口を動かしている。だが、その声はまったく聞き取れなかった。
さっきの言葉が聞き取れていただけに、なぜ聞き取れないのかまったく分からない。もう一度言ってもらってもやっぱり聞こえない。どうやら、何かの力がその名を聞かれる事を拒んでいるようだ。
「まあいいや。どうやら名前を聞かれたくない奴が居るらしい」
「まったく、私の力の後継者は、可愛い顔をして言葉遣いが悪いのですね」
「俺はそもそも男だ。ドラゴニルのせいで女になっちまってはいるがよ……」
呆れたように言う女性に対して、俺は愚痴を漏らしておく。すると、女性はくすくすと笑っていた。
「そうなのですね。でも、そのおかげか、あなたたちの戦いは、かつての自分を見ているようでした。今でもすぐに思い出せますよ」
「やっぱり、あんたは……」
俺がそう言うと、女性は唇に手を当ててから、ゆっくりと俺に近付いてきた。
「あなたにこの子を託します」
女性は俺に腕に抱いていた何かをそっと手渡してきた。よく見ると、それは赤ん坊だった。しかも、その顔はどこかで見た事のあるような顔だった。
「えっと、この子は……?」
「ふふっ、どうかその子を正しく導いて下さいね。悲劇を繰り返さないためにも」
「ちょっと、待ってくれ!」
よく分からない事を言い残して、女性が光の中へと消えていく。その表情はとても穏やかだった。
それと同時に、俺の意識もまた、光へと包まれていった。
―――
「待ってくれ!」
俺は手を伸ばして目を覚ます。
「起きたか、アリスよ」
「ドラゴニル?」
俺が目を覚ました横にはドラゴニルが座っていた。よく見ると人間の姿に戻っている。
「ああ、アリスさん。ようやく目を覚ましましたのね」
「なかなか目を覚まさないから心配したぞ」
ブレアとニールも心配そうな表情をしていた。
横ではルイスが野営の準備を始めていて、辺りは暗くなり始めていた。
「はっ、そうだ。魔王は?」
よく分からないなりに状況を理解しようとしていた俺は、ふと思い出して叫ぶ。
「魔王なら、そこだ」
「そこ?」
俺はドラゴニルが指差す自分の腰のあたりに視線を落とす。すると、そこには光の中で見た赤ん坊が居たのだった。
「よくは分からんが、お前に剣で貫かれた魔王は赤子の姿になってしまったのだ」
ドラゴニルに事情を説明されたのだが、はっきりいってまったく理解できなかった。一体どういう事なんだ?
「おそらくは、アリスの持つ魔物を滅する力によって、魔王としての能力が消し去られたのだろう。だが、アリスの能力が未熟だったがために存在を消しきる事ができずに、こうやって赤子の姿になったのではないだろうかな」
「なるほど。つまりは、魔王としてでき上がっていた人格と能力だけを消し去ったというわけでしょうか」
こんな時ばかりは脳筋が鋭い事を言っている。
「へえ、こんな子どもが魔王だったやつとはね……。どれどれ」
ニールが近付いて触ろうとすると、赤ん坊が突然目を覚まして大声で泣き始めた。
「嫌われてますわね、ニールさん」
「なんだよ、ちょっと触ろうとしただけじゃないか」
「それに比べてアリスさんは……」
にまにまと笑っているブレアがちらりと俺の方へと視線を向ける。そこには、赤ん坊に抱きつかれている俺の姿があった。
これだけ大泣きされると、さすがの俺もどうしたらいいのか分からない。
「ふふっ、アリスさんは気に入られてますわね。さっきまで本気で殺し合いをしていた者同士とは、とても思えませんわ」
まったくだよ。
それにしても、封印ではなくて退化か。どちらにしろ魔王という存在を消しきれなかったわけだが、どっちがましだったのやらな……。
「何を言っているんだ。こっちの方がまだマシだぞ」
「だから、ドラゴニル様は私の思考を読まないで下さいってば」
俺は赤ん坊をドラゴニルから遠ざけながら睨んでいる。
すると、さっきまで泣いていた赤ん坊は泣きやんで、俺の方を見ながらきゃっきゃと笑っていた。
うっ、これが魔王とは思えない。なんて可愛い奴なんだ。
「はっはっはっ。アリスよ、すっかり母親の顔だな。そうだな、この赤ん坊はフェイダン公爵家で引き取るとしようか」
「誰が母親ですか。って、本気で言っているんですか?!」
俺はドラゴニルにツッコミを入れると同時に驚いていた。自分の事をトカゲとか馬鹿にしてた相手だぞ。正気なのか?
「もちろん、本気だ。だが、アリスが学園を卒業するまでの半年間は、サウラかレサに任せるしかないな」
ドラゴニルが悩んでいると、野営の設営を終えたルイスが近付いてくる。
「ドラゴニル様、設営完了致しました」
「うむ、ご苦労。さて、ゆっくり休んで傷を癒すとしようじゃないか」
「承知致しましたわ」
ルイスの報告を受けて、その場で野営をする事になった俺たち。
ちなみにだが、赤ん坊になった魔王は俺に完全に懐いているために、そのまま任されることになってしまったのだった。いや、どうしたらいいんだよ、これ。